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「責任力」 などという辞書にもない造語を振り回している政党がある。
現政権与党である。
尤も余りマスコミにも国民にも受けがよくなかったので、
直に消える言葉なのかも知れない。
不思議なことに、
彼らはこの 「責任力」 なる意味不明の造語を使う代わりに、
本来政権与党として当然使わなければならない
「実行力」 というありきたりの言葉は使おうとしない。
「四年前の公約がどれだけ実行され、これが国民生活にどういう結果をもたらしたか」、
本来ならこの四年間を謙虚に反省し、この功罪が詳らか明らかにされることこそ、
この総選挙に際し、先ずはなされなければならない筈である。
これをすることが政権与党の 「責任」 ではないかと私は思う。
思えばこの間、何人もの 「無責任総理」がその信も問わずに輩出され、
政権はたらい回しにされてきた。
彼らは余りに安易に政権を放り投げてきた。
今さら 「責任力」 とは片腹痛い!
過度の市場原理主義の夢・郵政民営化に伴う薔薇色の夢を、
米国田幕府の意のままにマスコミと一緒に喧伝し、
国民を籠絡し、得票率以上の大量の議席を獲得し、
障害者自立法や自衛隊海外派遣、
介護報酬の減額、後期高齢者保険制度など、
好き放題に政治を欲しいままにしてきたのは一体誰なのか。
小さな政府を標榜し、弱者を切り捨てながら、
結果として公的債務だけを膨れあげさせてきたのは誰なのか.
政権の座にありながら、4年前の選挙公約の総括は一切しない。
「郵政民営化は、行政改革の本丸であり、この改革なくしては成長もない」
と言っていた言辞は、果たしてどこへ行ってしまったのか。
それどころか国民の信も得ないで総理大臣の座に居座る 「ひょっとこ男」 に至っては、
今頃になって 「過度の市場原理主義はいかがなものか」
「私は郵政民営化には当初賛成ではなかった」 などといって否定してみせたりする。
これが同じ政党なのである。
「笑っちゃうくらいただ呆れる。」
また、今回の総選挙をして彼らは、「政権選択選挙」 ではなく 「政策選択選挙」 であるという。
野党の政策には財源根拠がなく、造花であるという。
マジックで鳩が山のように出てくる鳩山マジックだという。
自らの政策は、有能な官吏に全てを頼り、野党には窺い知ることのできない官秘のデータを元に作ってある。
与党と野党では情報量に大変大きな格差がある。
従って財源根拠の現実的な差はあって当然、これを突くのは凡そフェアではない。
問題は、財源根拠の問題ではなく、歳出の振り分け自体の見直しであって、
既得権益の見直し、天下りのような一部の高級官僚のみを利する制度の見直しである。
これは、高級官僚がいかに優秀であったとしても自ら行うことはできず、高度に政治的な判断を必要とする。
政権が変わらなければ絶対に達成できない所以である。
今回の総選挙をは、「政策選択選挙」 ではなく、間違いなく 「政権選択選挙」 である。
政権が変わることで、今までの政治が本当に国民の幸福に資する政治であったのかどうか、
国策捜査のような戦前にあったようなことが今現在も本当に行われていないのかどうか、
広告代理店と一体となったマスコミは大政翼賛体制になっていないかどうか、
都合の悪いことを隠すために事件をでっち上げ、警察発表を大本営発表として垂れ流してこなかったかどうか、
政官業外電侠、悪徳ヘキサゴンの意のままの政治ではなかったのかどうか、
郵政民営化は、ただ単に米国年次改革要望書に指示された通り、
米国保険業界の欲望故の施策であり、売国奴どもの吸血の施策ではなかったのかどうか、
なぜ、りそな銀行の破綻に際し、大勢の人間が 「自殺」 しなければならなかったのか、
これらが明らかになる。
政権が変わることで、今までの悪事が全て暴き出される。
情報公開 (グラスノスチ) されるだけで、国民は自ら権力を手中にでき、真の意味での民主主義がはじめられる、
今回の総選挙は、最大にして最後のチャンスである。
100年に一度の誠に貴重なチャンスがやってきた。
投票行動は、将にこの 『無血市民革命』 に参加することを意味する。
国民はこぞってこのチャンスを有意義に活用されたい。
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