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ピラトはイエスに言った。『真理とは何ですか。』 ヨハネ18、38
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投稿者 永遠のいのち 日時 2009 年 8 月 16 日 12:55:50: PnBMgcNJWxOmQ
 

真理 広辞苑によると真理とは、ほんとうのこと、まことの道理、『不変の真理』とあります。

ピラトはイエス様が御言葉を述べ伝えていた当時のローマ帝国の総督でした。また、ユダヤの議会の指導者、ユダヤ教の指導者、祭司長、律法学者はイエス様を嫌い殺そうと計画しそれを実行しました。ここで問題なのは彼等は知識階級で物事を正確に判断出来るはずの人々でしたが”真理が何か解からなかったのです。”

これは2000年前も現代の知識階級も同じであります。皆、真理が何か解からないのです。

イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』ヨハネ14、6

私達は何故”真理”を理解出来ないのでしょうか?

なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力の神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきり認められるのであって、彼らには弁解の余地はないのです。
というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄を、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたち似た物に替えてしまいました。ローマ1、19〜23

私たちは既に神を知っていること、そして神の代わりに各種の偶像と替えてしまった。

あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地あるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならい。それに仕えてはならない。出エジプト記19、3〜5

この世には多くの偶像に溢れています。真理が何か解からないないから、目に見える物で満足しようとしているのです。

さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。『先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であること知っています。神がともにおられのでなければ、あなたのなさるこのようなしるしは、だれも行うことは出来ません。』
イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』
ニコデモは言った。『人は老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。』
イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこえ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとうりです。』
ニコデモは答えて言った。『どうして、そのようなことがありうるのでしょう。』
イエスは答えて言われた。『あなたはイスラエルの教師でありながら、こういううことがわからないのですか。
まことに、まことにあなたに告げます。わたしたちは、知ってること話、見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしのあかしを受け入れません。
あなたがたは、わたしが地上のこと話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。
だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。
それは、信じる者が人の子にあって永遠のいのちを持つためです。』ヨハネ3、1〜15

御霊について聖書の他の個所でこのように語られています。

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたもうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。わたしがあなたがたの先祖に与える地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。エゼキエル36、26〜28

聖書は明確に御霊の力なしでは真理に到達しそれを知ることができないと言ってます。私がどうしてイエス様を信じることができたのかを証させていただきます。

私はかって、聖書との接点は数回ありました。しかし何度聞いても解からないないのです。解からないものは興味の対象外になります。心の状態は悪を悪と思わず、この世の基準である傲慢な心で人を見下し、心にある悪い欲求を成し遂げようとして、神に敵対する者でした。しかし神は私が40歳ぐらいの時に離婚と病気の問題を与えられました。神は人知で解決できないような問題で追い詰め神の言葉に目を向けさせられたのです。妻が旅行の際に手渡された聖書を読む時が与えられました。何気なく開いたのはヨハネの福音書でした。読み始めてすぐに不思議な感じとともに誰かが耳元で囁いて御言葉を理解させて下さったのです。”真理の御霊”がすべてのことを語ってくださったのです。
この時にイエス様が語られている本当の意味を理解させられました。涙が滝のように流れ私は良く隠れてでよく泣きました。それからは聖書を読むのが楽しくなり、賛美、祈りの生活へと変えられました。しかし信仰生活はかならず平坦な道ではなく天国へ行くための過程にあります。神からの訓練と試練は終わりません。イエス様から魂の救いを与えらてから私の周囲の親戚、友人、知人、町内の人、会社の人のほとんどはイエス様を知りません。4500年前のノアの時代も同じでした。ノアが500歳の時に神の命令で箱船を100年掛けて造る間、多くのの人に神の警告を伝えたのと同じ状況に私達は居ます。

しかし、その方すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。ヨハネ16,13

どうして、イエス様の救いを受けることができるのでしょうか。

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるのです。ローマ11,17

聖書はこう言ってます。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』
ユダヤ人とギリシャ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。ローマ10,11〜13

尊いイエス様の御名を讃えます。  

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