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2009年7月21日 (火)
藤原肇氏の「さらば暴政」を読んでみて
(※ 読者の皆さんへお願い:この「さらば暴政」(清流出版)は、まだ本屋さんには出ていませんので、くれぐれもご注意ください。出版予定は7月の末だそうです。)
管理人は2006年の年明けの頃だったと思うが、書店である本の書名に引きつけられ、思わず買って、その夜、一心不乱に読破した記憶がある。題名は「小泉純一郎と日本の病理」だった。当時、管理人は小泉政権にかなり強い憤怒を感じていた。2005年、マスコミは大々的に郵政民営化キャンペーンを行った。その結果、郵政解散総選挙で自公政権は圧倒的な議席数を確保、疑念だらけの郵政民営化法案は成立した。
そういう時に、藤原肇氏の「小泉純一郎と日本の病理」を読んで、世の中には鋭い視線で小泉政治を見ている人もいるもんだなと、少し溜飲が下がったことを覚えている。ただ、管理人は著者の竹中平蔵評や郵政民営化については少し異なるものがある。
しかし、この本の内容が小泉純一郎という人間の資質や彼と稲川会の関係にあまりにも踏み込んでいたので、この著者は無事でいられるのか、出版社に迫害は起きないのかと心配になっていた。この本の扱いに関して、光文社サイドの情報は最近聞いたが、当時はいろいろあったらしい。鹿砦社・松岡利康さんの弾圧事件も、エコノミスト・植草一秀さんの弾圧事件も小泉政権で起きているので、当然、政権の真相を暴くような書籍には出版妨害はあると思っていた。
管理人は藤原肇氏の第二弾、第三弾を強く期待していたから、すぐに出るものだと思っていたが、小泉政権やその継承政権批判の続編は、待てど暮らせど出る気配はなかった。それどころか、書店から「小泉純一郎と日本の病理」はすっかり姿を消してしまい、増刷の気配もなかったし、藤原氏の新著もいっこうに目にしなかった。私は権力筋が絡んだ、何らかの形の出版妨害があったと感じていた。
管理人のその憂慮は当たっていた。著者が新刊「さらば暴政」の後書きに、そのことをソフトな出版妨害があったと書いていたからだ。「小泉純一郎と日本の病理」から四年経過した今、藤原氏の友人でもあり、私の知り合いでもある、あるお人から藤原氏が新刊を出すので、高橋さんの「神州の泉」で書評を書いてくれないかと頼まれた。管理人は、その時はまだ藤原氏が「小泉純一郎と日本の病理」を書いた著者であることは知らなかったが、家に帰ってその本を見つけ、確認したら同一人物であったので驚いた。世の中はどこで誰と関わってくるかわからないものだ。
藤原肇氏の新著は「さらば暴政」(副題は「自民党政権ー負の系譜」)、出版社は清流出版である。19日、日曜日午前、清流出版社さんからこの本が私の手元に届いた。冒頭にも書いたが、この本はまだ書店には出ていない。まだ世に出ていない本をいち早く目にできた興奮を抑えながら管理人は読み始めた。結論から言えば、こういう面白い本は滅多に出合えないと思った。これは、通常の時事本などとはまったく違う形式で書かれた、とてもユニークな論述様式になっている。
著者は小泉政権はこうだ、安倍政権はこうだったというように、一気呵成に直截な政治評論に持っていくというリニアなスタイルは取っていない。著者は事実を淡々と挙げて、歴史の観点から、あるいは文明論的な観点から、多元的にノンリニアなアプローチを行っている。それは、読者に多点的な方向へ視点を移動させて、思考にゆらぎを与え、脱構築と自己組織化に持っていこうとする、非常に高度な記述形式となっている。読者に直接明確な映像を与えるのではなく、読者自身の創発性をゆり動かして、読者自身の力で考えさせる効果を狙っているようである。
電車の中で短時間のうちに線形情報として読み込む書籍類とは違っていて、著者は複雑系の科学を書籍にも応用しているように見える。この本は最初、多元的な要素を同時並行的に提示してくるから、一見、錯綜する感じで面食らうが、慣れてくると自分の経験則や考えたことなどが動員され、いつの間にか自分で思考(再構築)しているという不思議な現象が起きてくる。これがとても知的な刺激があって楽しいのだ。政治を多角的な人文科学から照射する知的興奮がある。ひと言では言えないが、単に与えられた情報をトレースすることとは違って、読んでいるうちに著者と一緒に、自分のやり方で考えていることに気付かされる。けっして速く読む本ではない。静かにじっくり読む本である。
複雑系であるから、著者はフラクタルという概念もバタフライ効果というものにも言及しているが、人間も社会もほとんどがノンリニアで捉えられることは、管理人も納得がいく話である。ユークリッド幾何学やニュートン力学は、象徴的思考や物事の簡略化には役立つが、人間の微妙な心理の動きや創造的思考は複雑系の世界だと思っている。わずかなゆらぎが与えられても、それが大きな発見や認識に誘うことはよくあるからだ。思考が凝縮されて文字化した言語表現にもそれがあると思う。上手く説明できないが、藤原氏の表現アプローチは、とてもユニークで深い世界を持っている。
副題に「自民党政権=負の系譜」とあるように、著者は昨今の歴代自民党政権の暴政を分析しているが、暴政の反対概念としての「公共善」が国民に理解されていないから、ゾンビ政治がはびこるとも言っている。
下記に「さらば暴政」の章タイトルと小見出しを出したが、これは弊ブログの読者さんであれば、これだけでも本書の論旨が一目瞭然にご理解いただけるものと思う。全部の見出しを論評するわけにも行かないから、管理人が特に感じた部分だけ短く感想を述べておく。(各章細目と後書きは、藤原氏の「宇宙巡礼」の掲示板に出されている)
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「前書き」についての感想
著者は言う。暴政に虐げられている一億人以上の同胞が、暴政の実態に気が付いていない状況を前にして、「発言しないのは共犯だ」という後ろめたさを痛感し、その結果として本書の誕生に結びついたと。実は管理人もこれと似た感覚を大分以前から抱いていた。すなわち、小泉政権以降の本質はけっして55年体制の延長として生まれたのではなく、アメリカと通じた買弁集団による、暴政的国策への大転換だったことを国民が自覚していないと思っているからだ。
国民は小泉政権を従来日本型修正資本主義の延長で見ているが、実態は米国による日米構造摩擦から始まって、年次改革要望書にいたる一貫した対日改造プログラムの結実としてでき上がった政権だった。これに応用されたメインの政策思想が新自由主義なのである。藤原氏が言った次のことは、佐藤優氏が「国家の罠」で語った国策捜査が起こる時代背景の説明とも一致する。
「公平を求めた富の分配は差別分配となり、かつて中流意識を抱いた階層が没落して、外国と連携した一握りの買弁集団による、虚妄の「勝ち組」幻想が蔓延するに至った。不況による閉塞感が社会を覆いつくし、翼賛体制の擬態の靖国カルトが政治を操ったために、ソフトなファシズムが日本に君臨し始めた。メディア支配による情報の意図的な操作で、言論や思想を権力が完全に掌握することによって、ジョージ・オーウェルの「1984」体制が確立する。」
小泉政権が擬態として排外主義的ナショナリズムを取ったことがわかったのは、靖国に参拝しながら、思想表明的には村山談話の踏襲だったからだ。これは自己矛盾である。それを行った真意はアメリカによる中国へのけん制であったと考えられる。後は遺族会の票をあてにしていた部分もあったと思う。
第一章 「狂乱状態を呈した二十一世紀冒頭の日本の政治」
○二十一世紀は石油から気体燃料の時代へ
○果たして資本主義は生き残れるのか
○世襲代議士の多くがこれほど無能とは : 規範を失い迷走した統治は暴政の度合いを強め、大衆迎合ファシズムの段階を経て、全体主義へ移行しかけたが、麻生内閣で逆に暴政は断末魔を迎える。政治の世襲制で未熟者が首相になったことが、テレビで国民に知られてしまった。これは小泉元首相が巧みにテレビを利用したこととは反対である。
○日本ではジャーナリズムが死滅 : 著者はここでかなり重要な現代日本メディア論を開陳している。日本のテレビ業界は背後に電通がいるので、・・・
○テレビをフルに活用した小泉劇場
○ゾンビ内閣に続いたネオコン内閣の狂乱
○エキスパートが誇るパターン認識と直観力
○経験不足による自信のなさと曖昧さ
○議論抜きの議会が罷り通ったネオコン政治
○不信任と破産宣告を無視したネオコン内閣の断末魔
○私利私欲が優先で暴言と嘘で固まったお粗末な政治(特別追加)
○『和をもって貴し』とする精神的な伝統への裏切り
○信用崩壊の前哨戦としての長銀の叩き売り
○不況と閉塞間の中で高まる祖先帰りの妄執
○暴政に対峙する共通善の威力
○ハイポロジックスが示す不気味な共通パターン
○リーダーとしての首相が不在の日本
○国際政治とゲーム感覚
○日本の実力評価の没落と国力の低下
○歴史は繰り返すという教訓
○歴史を見る目と脳を使って考える魅力
○ケース・スタディが構成するジグゾウ・パズル
○フェアープレーの精神と素養としての志
○ 「他山の石」としての暴政史
第二章「ネオコン内閣の誕生と日本の満州化」
○ 安倍首相の誕生と人材の枯渇
○誠意も胆識も不在になった時代
○誰でも総理になれる国
○安倍晋三への世界の厳しい目
○「理想を過去に求める」安倍晋三の執念と因縁
○臨戦国防国家体制への回帰
○祖父の「十四光」で輝く三代目の世襲大臣
○安倍の総裁選挙の宣伝用に作った『美しい国へ』
○ヴィシー政権とビ(美)シイ国家のモットー
○満州がミニアチュア化しているロスで得たヒント
○政治感覚が狂ったネオコン内閣と岸信介の正体
○戦争によって生まれた傀儡国家・満州国
○満州国の誕生と建国の目的
○戦後レジームを否認した阿倍の心理的トラウマ
○ネオコンの覇権主義と驕慢な思い上がり
○ネオコンの他国民や異文化への無理解と驕り
○生態史観で見た保守主義の系譜
○ネオコンの拝金主義と世界経済を破綻させる詐欺商法
○FRBの錬金術とバブル経済への驀進
○「理」が「利」に置換し「情」に支配された時代精神
○阿倍に取り付いたネオコンという[モノモライ]
○安倍を首相に仕立てたジャパン・ハンドラーの狙い
○日本の核武装を炊きつけたネオコン
○ネオコンのお眼鏡にかなった安倍の売り込み演説
○情報後進国「日本」混迷と脇の甘さ
○幼稚な安倍内閣に失望したアメリカ
○ミサイル防衛計画から核装備への重点の移動
第三章:「批判精神の健在が一国の活力を生む」
○アメリカから伝わった中間選挙の結果の大津波
○言論の威力によるラムズフェルトの更迭
○民主主義の基盤としての報道の自由
○報道のメッセージは活字だけではない
○2008年に拡大した共和党への幻滅感(特別追加)
○大統領選挙を支配する不正投票のメカニズム(特別追加)
○ネオコン体制の破綻と2008年の金融破綻(特別追加)
○信用崩壊による金融破綻のドミノ現象(特別追加)
○ニューディール政策を通じたネオコン体制の復活(特別追加)
○オバマ政権を取り込んで制圧した国際金融マフィア(特別追加)
○真の國際紙としての『トリッブ』の魅力
○情報化時代のネット新聞の醍醐味
○報道におけるニュースと分析の役割
○小泉ゾンビ政治の負の遺産
○ジャーナリスト魂を持つ記者の価値
○社会診断としての批判精神の重要性
○政府による言論弾圧という明治以来の伝統
○戦争協力に続くメディアの自己規制
○破廉恥事件を起こした男でも首相になれる国
○30年間も眠っていた情報の蘇生
○破廉恥事件を知っていたメディアの幹部たち
○活字に出来ないサラリーマン編集長たち
○世界における一流紙の条件
○世界における一流紙の条件と欧米のジャーナリズム
○英国に蔓延したタブロイド旋風
○記者クラブ制の弊害と日本の新聞の病理
第四章「世にもお粗末なデモラル内閣」
○自民党のデモラル党としての汚れた歴史
○岸信介の多重人格の遺伝子と「傀儡肉腫」の肥大
○ 戦争準備の家系と隔世遺伝子
○御祝儀代わりにバラ撒かれた首相補佐官の肩書き
○お粗末な人選と乱発された補佐官人事
○国家戦略と密着した本来の特別補佐官の役割
○日本の政治を支配した幼稚な閣僚群
○防衛大臣をめぐる魑魅魍魎の相克
○軍隊を警察官僚が支配し国会が幼稚園になった悲劇
○矮小化された国家の安全保障問題の悲劇
○大臣としての指導性とマネージメント能力
○日本の公人の杜撰な責任の取り方
○責任感と誠実さに満ちた将軍たち
○ 多数派のマルドメと少数派だが誠意と志を貫いた日本人
○近代国家としての日本の問題
○国家権力における警察と軍隊の役割の差
○概念としての国民と人民
○官僚制度の典型としての軍隊モデル
○満月の引力とルナティックな出来事
○戦争のコスト計算
○石油をめぐる侵略戦争と石油による自縄自縛
○イラク戦争の泥沼にはまり込んだ米国の蹉跌
○遂に始まった信用崩壊と世界恐慌(特別追加)
第五章「意味論オンチの醜悪政治の破綻」
○日本批判の海外論調の津波
○政治理念の欠如と裏工作担当の経歴
○場の理論と結ぶエクリチュールの意味論
○「異胎」が取り付いた日本の末路と歴史の教訓
○ヤマトニズメーションを生み出す土壌と時代精神
○病理診断と言論の自由
○構造主義と異常現象の診断
○医療における診断の果たす意味
○石油開発のロギコスと医療制度の相似象
○小泉政権のクーデタの「最後っ屁」
○議会を解散できる政治的な条件
○小泉が犯した憲法違反と独裁趣味
○ゆらぎによるバタフライ効果と予期しない成果の誕生
○ファシスト革命への危惧の継続
○レーガン訪日と軍人支配下の韓国での既視感覚
○鎖国状態の韓国にゆらぎの渦で風穴を開ける仕掛け
○韓国で見つけた情報の金脈
○知恩院で始まったゆらぎの渦
○摂動によるゆらぎが発生するための初期条件
○世相の様変わりとネオコン政治が生んだ閉塞感
○精神病質と嘘をつく無責任政治
○泡沫のように生まれては消える無能内閣の醜態(特別追加)
○麻生内閣という前代未聞のポンコツ政権の醜態と暴政の断末魔(特別追加)
○日本で使用が困難な「暴政」という政治用語
○読者からの嬉しい手紙
○『日本脱藩のすすめ』の誕生の時代からネオコン破綻に至った四半世紀の星霜
あとがき
日本長期信用銀行の国有化に税金を八兆円使い、それを禿鷹ファンドに十億円で売り払ったし、「カンポの宿」の払い下げを巡る疑惑事件で、小泉内閣のペテン政治が日本の利益を損ない、小泉の正体がゾンビ政治家だと明らかになった。しかも、目玉の「改革」は単なる政治宣伝に過ぎなかったし、郵政民営化もいかがわしいものだったかは、国民は今になってやっと知るに至り後悔しているが、小泉が長期政権で君臨した頃は、誰もそのペテン政治を暴露して批判しなかった。
私が『小泉純一郎と日本の病理』を書いた理由は、小泉のペテン政治の実態を暴露することで、次の世代に歴史の証言を残すためであり、当時は小泉の「ヨイショ本」ばかりが、洪水のように氾濫している時代だった。日本で最初の小泉政治の批判書として、各種の妨害や嫌がらせの続発は予想したが、巧妙でソフトな妨害工作が功を発揮し、新聞や雑誌に書評や紹介がゼロという記録を生み、恐らくこれは日本新記録だと思う。
真実に触れた書は時代から黙殺されるし、著者の多くが弾圧され焚書されるものだが、この本は書評ゼロにかかわらず注目されて、インターネット上で大いに取りざたされ、何とベストセラーのトップに名を連ね、一ヶ月の間に四万部も読者を獲得した。これはタコ壷社会から排斥と黙殺された著者としては、何にもまして名誉なことであり、書評ゼロという数字は大切な記録として、永遠に保存して置きたいものだと思う。
日本ではこの本の改訂版は生まれないし、いわくつきの本は文庫本にもならないので、日本語版を大幅に内容を改めて、英語版を『Japan’s Zombie Politics』と題して作り、世界の読者のために送り出したと報告したい。小泉政治のペテンが露見した今の時点において、読まれて然るべき記事を含む内容であるが、日本語版は書店で入手できない状態が続く。
それはコンピュータで書名を見つけても、「品切れ」という表示が現れるようになっており、読者が注文出来ないように仕組まれている。それが情報時代のソフトな出版妨害で、背後には真実を知られたくない権力がいて、それが笑顔のファシズムの正体でもある。
本書が同じような運命に見舞われてしまい、書評もないまま故国で黙殺されたとしても、
暴政が支配する国では当然のことであり、そうやって歴史は抹殺されて行くのである。もしも、本書との出会いを持って読んだことで、歴史とは何かを理解して貰うことになれば、著者として一期一会の出会いを感謝して、それを大事にして行きたいと思っている。
本文中に原文をそのまま引用した記事は、経済誌の「財界にっぽん」と「ニューリーダー」に掲載されたものであり、転載を快諾された両誌の編集長に感謝する。また、愚民政策で低迷している日本の出版界だが、本書を読者と結びつけるために勇気を持って決断された清流出版の加登屋陽一社長と臼井雅観出版部長の出版魂に、心からの敬意と感謝の気持ちを表したいと思う。
藤原肇
(※ 冒頭でも書きましたが、この「さらば暴政」(清流出版)は、まだ本屋さんには出ていませんので、くれぐれもご注意ください。出版予定は7月の末だそうです。)
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