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【メディア】販売店に実売以上の部数を買い取らせる「押し紙問題」…新聞社は潔い情報開示を(相場英雄) [10/08]
1 :きのこ記者φ ★:2009/10/08(木) 09:40:23 ID:???
一部週刊誌が大手在京紙の“押し紙”問題について報じていた。
この報道を受け、ある新聞が当該の週刊誌を相手取って訴訟を起こすなど、騒動は拡大する気配が濃厚だ。
押し紙とは、新聞社が販売店に対し実売以上の部数を買い取らせている事象を指す。
筆者は大手紙と販売店の現状を精査しているわけではないので、詳細を報じる立場にはない。
だが、過去の経験、そして直近の状況を勘案すると、押し紙は明確に存在すると言わざるを得ない。
今回は、この問題に触れてみたい。
・広告を出しづらい
「あの問題がクリアにならない限り、新聞には広告を出しづらい」――。
過日、筆者がある大手企業の広報部長と会った際のこと。開口一番、この幹部はこう切り出した。
「あの問題」とは、ズバリ一部週刊誌が報じた押し紙のことだ。
なぜこの部長が苦言を呈したかと言えば、「一部の株主が押し紙問題を契機に広告宣伝費にクレームを付け始めた」
からだという。この大手企業は上場会社であり、海外機関投資家の株式保有比率も高い。
言い換えれば、常に株主の厳しい監視の目にさらされているわけだ。
同部長によれば、「週刊誌報道を契機に、一部の株主が広告宣伝費が適正に使われていないのではと言い出した」
というのだ。株主の懸念は、押し紙によって水増しされた新聞に広告を載せること。
つまり、新聞社の水増し部数によって換算された広告費を企業が払い続けることは、最終的に株主の利益を損ねることに
つながる、換言すれば株主への背信行為を企業が犯しているという理屈だ。
大企業と株主の間のこうした動きは、まだごく一部にすぎない。ただ、海外機関投資家がこの問題に強い関心を
示しているのは間違いない。「韓国や台湾企業に比べ、ただでさえ業績回復のピッチが鈍い日本企業なのに、
広告宣伝費で余計なコストを垂れ流しているのは看過できない」(米系の企業年金幹部)との発言は、
実際に筆者が耳にした言葉だ。
元来、横並び体質の強い日本企業だが、本業の立て直しとともにコスト削減を急いでいる向きは多い。
こうした環境下、もの言う株主の突き上げに抗し切れず、大手紙に実売部数を明らかにせよと迫る企業は
必ずや現れると筆者はみる。
1社が声を上げれば、横並び意識の強い日本企業は雪崩をうったように新聞社に実売部数の開示を迫るだろう。
昨年、大手自動車や電機各社が一斉に新聞広告の出稿を絞ったときと同様に。
こうした現象は、ただでさえ広告収入の激減で経営の苦しい新聞各社に、更なる重圧となってのしかかるのは明白だ。
(>>2以下に続きます)
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0910/08/news007.html
2 :きのこ記者φ ★:2009/10/08(木) 09:40:34 ID:???
(続き)
・潔いディスクロージャーを
20年ほど前、筆者は極端な貧乏学生だった。新聞販売店に住み込み、朝夕刊の配達や集金、販売促進の
仕事をこなしながら学校に通っていた経験を持つ。
住み込んでいたのは、都下の某在京紙の販売店。
ある日、地場スーパーの経営者が販売店に怒鳴り込んでくる一幕があった。
スーパー経営者の怒りの根源は、販売店が提示した部数と、実際の配達部数にズレがあることだった。
販売店側が示した部数と同じだけチラシを刷ったものの、印刷業者が内緒で本当の配達部数を教えてくれたことで、
“押し紙”の存在を知ったのだ。
地場スーパー経営者は、余計に刷ったチラシの印刷費を返還せよと、至極真っ当な要求を持ち込んだのだ。
これを現在の状況に置き換えると分かりやすい。地場スーパーと大手企業の広告宣伝費ではゼロのケタがいくつも違うが、
商行為のモラルという点では、新聞社側に言い訳の余地はないはずだ。
筆者が販売店にいたころ、「押し紙」という言葉は聞いたことがなかった。
だが「残紙」という言葉があったことを鮮明に記憶している。販売店の実力以上に新聞社が紙を割り当てた結果、
配る見込みもないままに売れ残った紙、という意味。週に1回、産業廃棄物を専門に扱う業者さんが販売店に
トラックを乗り付け、梱包が解かれていない残紙の束を大量に回収していく姿は、強烈な印象を筆者に植え付けた。
翻って現在。筆者が住む住宅街にも大手紙の販売店がある。筆者が注意深くみていると、週に1回、あるいは2回の割合で
配送のトラックとは全く別の業者の車両が店先を訪れ、梱包を解かないままの束を回収していく姿を目にする。
20年ほど前から、残紙=押し紙は確かに存在した。
そして、昨今の新聞離れの加速とともに、この分量は確実に増えているというのが筆者の見立てだ。
「景気が回復すれば、従来のように広告は戻ってくる」――。
ある大手紙編集幹部はこう高をくくっているが、この考えが甘いとみるのは、筆者だけではないはずだ。
この際、潔く実売部数をディスクローズする新聞社が現れることを、多くの読者が望んでいる。
(記事終)