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日本郵政社長に大蔵OB 政治主導誤れば失速の危機 (田中秀征)
http://www.asyura2.com/09/senkyo73/msg/735.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 10 月 24 日 12:21:36: mY9T/8MdR98ug
大蔵省の大物事務次官だった斎藤次郎氏への日本郵政の社長交代内定は、衝撃的だった。民主党の支持者はもとより、一般の人たちも戸惑いを感じているに違いない。
四つの疑念が生じた。
第一は、民主党が声高に唱えてきた「脱官僚依存」は何なのか、本当にそれを追求するつもりはあるのか、という疑念だ。
民主党は野党のころ、日本銀行の総裁人事で元財務事務次官の武藤敏郎副総裁の昇任案に反対した。あのときは元官僚だからダメ、今回は元官僚でも構わないというなら、その判断基準は何か。鳩山由紀夫首相の説明を聞かなければいけない。
「相当なつわものの方だから、おもしろいかなというふうに思った」という首相の発言にはあきれた。「つわものだから」で人事をされたら、たまらない。そんな理由で「脱官僚依存」の旗をあいまいにするとしたら、ゆゆしき問題だ。
二つ目は民主党がマニフェスト(政権公約)にうたった天下りのあっせんの全面禁止が、なし崩し的にほごにされるのではないかという疑念だ。
鳩山政権は10月の天下りを凍結するなど公約の実現に踏み出していた。今回はそれに逆行する。そもそも斎藤氏が会見で。
「大蔵事務次官を辞めて15年たつので天下りに当たらない」と反論するのはおかしい。天下りを元に戻そうという思惑があるだろうし、霞が関もそこに期待しているのだろう。しかし、天下りかどうかを決めるのは本人ではなく、あくまで世論だ。
三つ目はこれだけ大事な人事を、鳩山首相がなんの条件も付けずに亀井静香・郵政改革担当相に任せたことだ。今後も主要な人事に首相は責任をもたないのではないかという疑念が生じた。首相は「自分はオーケストラの指揮者だ」と言っているようだが、演奏する曲目までメンバーに任せたようなものだ。
政治において人事権は重要だ。特に「脱官僚依存」では決定的な意味をもつ。日本の官僚組織は閉鎖的に動く。内部で人事権を握っているからだ。そのためOBまで含めた利益の共同体になり、大先輩でも組織の利害に足並みをそろえる。
政治が人事権を握れば、そこが変わる。人事権者に忠誠心をもつため、組織の連帯は二の次になり、官僚組織は力のないサロンとなる。政治家がきちんと人事権を行使すれば、元官僚であっても能力に基づいて抜擢きる。「脱官僚依存」とはそういうことだ。鳩山首相のように人事権を放棄するのは論外だ。
四つ目は重大な政策に関する説明責任のあり方に関する疑念だ。世間を二分した郵政民営化を見直す基本方針を閣議決定するのなら、首相自身が記者会見をして、これまでの改革のどこが悪く、どう是正するのかということを、自らの言葉で説明しなければならない。大きな政策決定にあたり、ろくに説明をしないのではないかという懸念を生じさせたのはよくない。
今回の郵政民営化の見直し、日本郵政社長への大蔵OBの起用で大きいのは、郵便貯金の資金運用が財務省の影響下に入るのではないかという懸念を生んだ点にある。財務省の存在感が一層増すのは確かだ。
事実、鳩山政権のもとで財務省は力を増している。行政改革や官僚改革を旗印に登場した鳩山内閣だが、現時点では財務省と二人三脚で財政改革を優先しているからだ。
財政改革の主たる手段は増税だが、鳩山政権は4年間増税しないとしているので、とりうる政策は歳出削減しかない。問題は財務省以外の省庁が弱体化していることだ。後押ししてきた族議員や圧力団体が自民党の下野で茫然自失となり、各省庁は財務省に特別会計を取り上げられそうになっても、手をこまぬくしかない。かつては財務省が横綱なら、他省庁は小結だったが、いまや十両になっている。
特定の分野の情報を一番もっている省庁が元気を失うと、まもな政策が出なくなる。なかでも心配なのは経済政策だ。私は「財政家」は経済のリーダーシップをとるべきではないと考える。経済専門家に財政を任せると放漫財政に陥る恐れがあるが、逆に財政家に経済を任せると経済の活力をそぎかねない。
細川護煕政権(93年8月〜94年4月)で大蔵次官だった斎藤氏は小沢一郎氏(現・民主党幹事長)と協力して国民福祉税を導入しようとした。実はあの時はバブル崩壊後の景気の底。なのに消費税率を7%に上げる提案をごり押しする鈍感さ。財政家は国家経営や経済運営の先頭に立ってはいけない。
族議員や圧力団体は力を失っているので、それらの既得権にメスを入れるのは意外とたやすく、鳩山政権も盛んに切り込んでいる。その一方で、官僚改革や行政改革という統治構造の内部に痛みが及ぶ問題はまったく手つかずだ。だが、人びとはそこにこそ期待している。
鳩山首相は民主党がどうして政権を取ったかという原点に思いを致すべきだ。ここ数年、官僚機構の不祥事が次々と明らかになり、官僚主導から政治主導への転換を求める声が広がっていた。鳩山氏は今年夏の総選挙前、「明治維新以来、官僚主導で国民が必ずしも参加しない受け身型の政治が行われてきた。国民総参加のなかで新しい日本の政治を興す」と大見えを切ったが、どうやって実現するのか世論は目を凝らしている。
今回の一件は、鳩山氏の言葉が本物かという不安をかき立てた。「官僚主導から政治主導へ」という本筋で譲ったら、政権はたちまち失速する。ここであらためて政官関係の座標軸を明確にする必要がある。
鳩山内閣の支持率は依然高いが、中身は必ずしも強固ではない。小泉内閣のときとは、そこが違う。「人生いろいろ」発言でもびくともしなかった小泉支持だが、鳩山支持はそうではない。ちょっとした失敗で崩れるもろさをはらむ。
民主党には少なくとも来年夏の参院選までは期待感を維持してもらいたい。民主党が強いほど、自民党が再生のために真剣に自己改革しなければならないからだ。それは政治にとって好ましい。民主党が早々に支持を失えば、画用紙の表と裏を使ってもダメだったと、政治そのものが見放されかねない。