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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090910-02-0701.html
麻生が招いた自民党「終戦の日」(2/2)
2009年9月10日 文藝春秋
「民主が三百議席だって?」
朝日新聞が翌日付の朝刊に掲載する情勢調査の結果が麻生、細田ら党首脳部に伝えられた。麻生、細田とも調査対象が三百小選挙区のうち百五十である点に着目し、「正確なものではない」と努めて冷静に受け止めようとしたが、全選挙区を調査した読売、日経が「民主、三百議席超す勢い」などと続き、毎日は「三百二十議席超す」と追いかけた。極めつけは、民主党の候補者数三百三十を上回る「三百三十八」という“理論値”を叩き出したNHKの調査結果だった。
まるで自民党本部の上空に原爆が投下されたかのような衝撃だった。反麻生を標榜していた候補者は「首相は入院して欲しい」と吐き捨て、親麻生の候補者からも「選挙後に引退すると言って欲しい」との声が漏れるようになった。要請していないのに日程を入れられた首相遊説を何とか断れないかと、県連幹部に相談する西日本の若手候補もいたほどだ。
そして、投票日の朝を迎えた。
「日本を壊すな。」
その日の全国紙朝刊に掲載された自民党の全面広告。日の丸を下地に「偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない」「信念なき安保政策で、国民の生命を危機にさらしてはいけない」と訴える、最後の愛国作戦だった。実は、このフレーズは企画段階で「共感を呼ぶ広がりがない」として見送られていたのだが、あまりの劣勢に封印を解いたものだった。まるで「民主党は鬼畜米英だ」とでも言わんばかりだった。
もはや揺り戻しは期待できなかった。
「小沢衆院議長」情報
「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」「今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」
選挙戦もまだ序盤の八月五日夜、民主党代表代行・小沢一郎は東京・赤坂にある行きつけのクラブの個室にいた。東京十二区で公明党代表・太田昭宏への刺客となった青木愛らを傍らに、十八番の「傷だらけの人生」を歌っていた。
「あと二十五日で、本当にうまい酒が飲めるな」
そう問わず語りに呟いた小沢は、刺客作戦が自民党と公明党を慌てさせていることに、満悦の表情を見せていた。
小沢が今回の衆院選で「お国入り」したのは一度だけだ。公示直前の八月十六日、日中は岩手県奥州市内の自らの選挙事務所でスタッフを激励、平民宰相と呼ばれた原敬が眠る盛岡市大慈寺に墓参し、「政権交代」を誓った。
その日夜、盛岡市の中心部にある老舗「三寿司菜園総本店」。カウンターで小沢は岩手県知事・達増拓也、民主党県連代表の参院議員・工藤堅太郎ら七人の中心にいた。気の置けない仲間との酒席だったからか、小沢は三陸海岸から揚がったばかりのサンマに舌鼓を打ち、ビール一本と日本酒「八海山」を珍しく冷やで二合飲んだ。
「みんな新人候補の擁立の大変さがわかっていないんだよ」
小沢は、久間の対抗馬となった福田衣里子を担ぐために「俺は三回も一緒に飲んだんだからな」とぼやいたが、その発言には「俺の他に誰が選挙を牽引できるのか」という自負が滲み出ていた。
今回の民主党の大勝は、小沢が重点区に自身の秘書を投入し、徹底的な「地上戦」を展開してきた結果だ。
「人のいない場所でも辻立ちせよ」
「一日三百枚以上の名刺を配れ」
「人の少ない川上から川下の町中へ下っていけ」
選挙に強い小沢――。新たな、しかも強固な神話を作った小沢の存在感は、党内でじわりじわりと拡大しつつあった。
「一部の人事を、先行させるべきではない」
選挙結果の大勢が判明した三十日夜、幹部会議の席上で小沢は、内閣発足に先立って政権移行作業を行う新官房長官、新幹事長らの指名を行わないように求めた。鳩山は当初、選挙後すぐに主要閣僚候補らを指名して「政権移行チーム」を作る腹づもりだったが、小沢の一言で舵を切らざるを得なかった。
すでに二十三日の幹部会合でも、小沢は政権移行作業の先送りをさせていた。英国のケースにならった政権移行スケジュールを志向する代表代行・菅直人、幹事長・岡田克也に対し、党内外の敵味方に事前に手の内を明かすことになる「工程表」の考え方に否定的だったからだ。
鳩山新政権づくりは、明らかに小沢ペースになりつつあった。衆院選の最中、「鳩山は小沢の衆院議長就任を検討している」との情報が駆け巡り、小沢側近が「肖像画のようにお飾りにする気か」と不快感を示す一幕もあった。
来夏の参院選までは選挙の実権を握り続けるハラの小沢は人事に一切口をつぐみ、党内の猟官運動を注視している。まずは、衆院三百八人、参院百九人、計四百十七人という大所帯をどう固めていくかに腐心し、参院での単独過半数確保のための戦略を練る。
参院で二十一人の勢力を持ち、野党の自民党とは組まないと公言する公明党の存在は見逃せない。民主党との連立政権を目指す社民党が安全保障政策、国民新党が郵政民営化でそれぞれ独自の主張に固執すれば、公明党が民主党に擦り寄ってくる展開も予想される。
さらに、自民党議員が首班指名で揃ってA級戦犯の麻生の名を書くことができるのか。今回の総選挙で自民党の派閥はその存在意義を完全に失った。町村派は六十一人が二十三人に激減、二十五人となった古賀派に衆院最大派閥の座を譲った。かつては「一致団結箱弁当」と言われた田中派の流れを汲む津島派はたった十四人、十二人だった二階派にいたっては会長の経産相・二階俊博しか当選しなかった。元副総裁・山崎拓以外の領袖はかろうじて議席を確保したが、自身の選挙に精一杯で多くの兵隊を見殺しにした戦犯たちによる派閥の締め付けはもはやありえない。そうなれば、参院自民党から民主党へ転じる議員が相次ぐ可能性もある。
そのときのキーマンはやはり小沢だ。参院が次の政局の舞台となる。(文中敬称略)