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(回答先: Re: 日航ジャンボ123便 焼け野原になっている場所の炭化成分は「ダイナモンド」。燃料電池への応用に最適だ。 投稿者 愉快通快 日時 2009 年 9 月 22 日 11:36:14)
御巣鷹の根本的な問題として、これは避けて通れない問題だと思われます。
まず、当方が御巣鷹周辺をうろうろしていたときに、砂防ダムが見えたのです。
で、別の日に行ってみたところ、砂防ダムはなかったのです。
しかし、その砂防ダムはイオドメのところにあったのです。
要は、御巣鷹の尾根周辺でイオドメの風景の一部が見えたということです。
(当方は、電磁波通信悪用による映像や音の送信と言うことも理解しておりますが、どうも御巣鷹の現象は123便によるもののようです。)
すると、アントヌッチ中尉の発言も自然に見えます。
C-130からの位置の報告は御巣鷹の尾根ではなくイオドメ付近ですので
3km程度ずれています。しかし、アントヌッチ中尉は正確な位置を報告した、と回想しています。
要は、御巣鷹の尾根周辺と、イオドメ周辺の場所がごちゃごちゃになってしまっているのです。アントヌッチ中尉は、正確な位置を報告しているが、それはイオドメである。しかし、御巣鷹である。ということが発生していたと思われます。
実際、時差は1秒程度あると思われますが、その辺に入り浸ると、戻ってきてからの時間が1秒ていど速くなります。
この現象が発生した原因ですが、
パパッと2回光っているわけですが、これでパルスが交流的に発生したとすると、
JA8119号機は強烈な電場に見舞われたということになります。
すると
http://www.pana-wave.com/4/4_ca_03.html
のように浮遊反発力が発生してクッションになり、多くの生存者が出たというのもうなずけます。
乗客がハアハア荒い息をしていたのは赤血球に問題が発生していたものと思われます。
http://oriharu.net/jcadceus.htm
なお、以下のような先日クレヨン晋ちゃんの作者の臼井氏が死亡した近くの県道43号線付近で佐久方面に向かう123便を目撃したという方の証言がありますが、123便の飛行経路よりもかなり北での目撃証言になります。ただ、本当に見えた可能性も100%否定できるものではありません。
以下引用
あの日のことを昨日のように思い出します。あの機体後部の窓際にすわっていらした赤い服の、あの若い女性はだれだったのでしょう。
超低空で尾根を越えてきた見覚えのない垂直尾翼の小さなスマートな機体が私の目の前を通り過ぎるとき。ほとんどの窓がブラインドをおろしていて外が見えないようになっていた。その数少ない開いている窓に座っていた赤い服の彼女。私が手を振ると座席から立ち上がり両手の平でガラス窓をバンバンとたたいて何か叫んでいた。
その娘の叫びが助けてといっているように見えたので不思議に思った。生き残った方たちの中で尾根すれすれに飛び越えていくとき自衛隊の車を見たと証言されていた人がいたと思うがそれはたぶん私のことではないだろうか。自衛隊がジープの後ろにトレーラーを引いていることがあるが、私はそうした格好でそこにいた。
その機体は私たちの視界に入ってくるまで異常なエンジンの使い方をしていた。飛行機の場合空ぶかしはしない。ましてレシプロならいざ知らずジェットエンジンはそんな使い方は命取りだと認識していた。ゴーヒューンゴーヒューンとエンジンの出力を細かに上げ下げしている。私の目の前を通過するときはフルスロットルになっていた。
フラップをかなり下げ主脚を出してまるで着陸態勢のようだった。当然その地域には空港が無く着陸はできないのだが、その機体は上昇をはじめた。まるでレシプロ機のように頭をあまり上げずに上昇していく。その飛び方は安定していて異常は特に見えない。さっきまでのエンジンの使い方はなんだったんだろうと思った。
その機体の後ろ姿を見ていた。私の記憶にない垂直尾翼の形。きれいな三角形をした垂直尾翼の頂上付近に後ろにわずかにパイプのようなものが出ていてラジコン機にあるようなアンテナコードのようなものがたなびいていた。そしてその後ろに長くテールコーンが伸びている。つまり垂直尾翼が通常より前に付いているように見えた。
私は自分で操縦桿を握って離着陸をしたことのある者だ。飛行機には普通の人より詳しい。その私に見たことのない新型機と目に映った。外見的に何処か破壊されているような場所は見えない。唯一私の認識では垂直尾翼の面積が小さいように思った。それだけだった。その後の報道で隔壁破壊によって機体後部に大きな損傷をおっていたと報道されたため私はあの機体が123便だったとは思わなかった。
その機は上昇していったあと右に小さく旋回して佐久方面へ機首を向け急降下していった。そのあと山の向こうへ行ってしまった。派手な操縦をするなあとこのへんは訓練空域か何かなのかなと思った。また例のヒューンゴーが始まり遠ざかっていく音だけが響いていた。その時、今度はやはり低速でエンジン出力を絞って山肌を縫うように一機のF4ファントムが飛来した。
その機は樹木のわずか数メートル上を神業のような飛行技術で飛び越えていく。嘘だろう私は叫んでいた。そのF4は確かに自衛隊機だと思う。日の丸が付いていたと思うのだが。記憶が確かでない。その混乱の原因が彼のかぶっていた派手めのヘルメットだ。あのトップガンのかぶるようなヘルメットと目があったときの感じだ。外人だったかもしれないような印象がある。彼はこちらをちらっと見た。
わずか数秒間の出来事だがあまりのことに印象深く記憶に残っている。そのF4はフル実戦装備の機体であった。見慣れたサイドワインダーだけでなく四角い箱断面の大型ミサイルも装備していたように思う。それがさっきの大型機を追うように飛んでいったのだ。
まるでその飛び方はレーダーを回避して隠密に飛行する訓練をしているかのようだった。
私はその“訓練機”達が飛び去った方向をじっと見ていました。もうあのジェット音は聞こえません。その刹那。ピカッと閃光が、そして弧を描いて二本のリングが広がりバシリっと鋭い直雷のような音。その後二三秒してドーンゴロゴロゴロと遠雷のような音が広がりえっなんだこの雷。まだこちらは雲もなく雷雨にはなりそうもないのだが。でも山の天気は変わりやすいので早めに撤退しようと車に戻った。
目的地に向かう途中あのニュースを聞いたのだが、さっきの飛行機は違うよねとそうだよあれはチャンと飛んでいたじゃない。そう、素人目には何の異常もなくコントロールされて無事に飛んでいる飛行機。そのものだったのです。テレビの報道のように後部がめちゃめちゃに壊れてバレルロールという激しいゆれに翻弄されたコントロールできない飛行機にはみじんも見えなかった。
飛行機には詳しいはずの私が、新型機かと思ったのは、その破壊されたはずの垂直尾翼がナイフで切ったように真っ直ぐにきれいに切り取られた形をしていたからだ。まるで初めからそうした形で作られたようにしか見えなかったのです。それだけではありません。散々報道されたあの隔壁破壊を感じさせるテールコーン廻りの破壊が全く見えなかったのだ。ですから二〇年後になって発売されたあの本を読むまで、あの機体が123便であった事に気づきませんでした。
それからあらゆる資料を調べ、ある事実に気付きました。その結論は今回は陳べずにこの目撃事実のみをお知らせいたします。あの赤い服の娘さんはどうなったのでしょう。あの死体がそうだったのでしょうか。頭頂部を前後に割られ脳味噌が吹き飛んだあの死体。
膝と左手を地面に付け右手を挙げて助けを呼ぶような姿のまま。蝋人形のように固まって生きているかのように見えたあの女性。座った姿のままやはり頭頂部を吹き飛ばされた男性。彼らの死に方の意味は。
F19説は機長の音声「ジュークダ」が根拠のようですが私には「デュークだ」に聞こえました。
日本にも来ていたベトナム戦争の英雄でデュークという名の名パイロットがいたはずです。この人と123便の機長は自衛隊のころ面識があったはず。