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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090814-06-0501.html
臨床政治学 永田町のウラを読む=伊藤惇夫〈第30回〉空中戦と地上戦
2009年8月14日 中央公論
待ちに待った、というよりは「待たされに待たされた」総選挙が、珍しくブレなかった麻生首相の"蛮勇"もあって、ようやく八月三十日に行われる。選挙の結果について、大方の予想は民主党の圧勝、自民党の惨敗である。地方の首長選挙での相次ぐ敗戦、東京都議会選挙での歴史的敗北、東国原宮崎県知事擁立問題や「麻生降ろし」を巡る党内の迷走……。自民党が崖っぷちに追い込まれていることは明らか。総選挙での自民党敗北はほぼ確実、と見るのも当然だろう。
だが、政党のスタッフとして数え切れないほどの選挙を経験してきた身からすると、それでもまだ「選挙は水物」であり、投票箱の蓋を開けるまで結果はわからない、という思いが拭いきれない。選挙に「風」は付き物だが、風は気まぐれ。いつ吹くか止まるか、向きを変えるか変えないかは、誰にも予測がつかない。
とはいっても、もちろん当事者は勝つために必死の戦いを繰り広げる。当選するためなら犯罪以外何でもやる、くらいの覚悟がなければ勝利はおぼつかない。では、選挙に勝つための戦術とは何か。傍から見ると、想像もつかないほど多岐、多彩、複雑な手法を駆使しているように思えるかもしれないが、なーに、突き詰めていくと意外にも選挙は「空中戦」と「地上戦」という二つの「戦場」をどう戦うかに集約される。
「空中戦」とは、その政党のイメージや党首の人気を利用して、テレビCMなど各種の広報活動を駆使し、メディアを活用することで、不特定多数(つまりは無党派層)に働きかける戦いを指す。いわば「投網」をかけるような選挙である。
一方、「地上戦」は、いわゆる「ドブ板選挙」のこと。組織や団体、企業や町内会、個々人に直接働きかけることで、一票一票を掘り起こしていく選挙戦を意味する。いうまでもなく、最良の選挙戦はこの両者がうまく噛み合った場合である。だが、事はそう簡単に運ばないし、候補者、政党によっても得手不得手がある。
例えば、かつての民主党は「空中戦」専門だった。ほとんどの議員、候補者がまともな後援会組織も持っていなかったため、必然的に党首の人気や党の清新イメージを利用して「風」を巻き起こす以外になかったわけである。だが、小沢一郎が代表に就任して以降、民主党は地上戦重視の方向に変わる。「戸別訪問三万軒、辻立ち五万回、足にまめができたら潰れるまで歩け」を信条とする田中角栄の薫陶を受けた小沢は、医師会や農業団体など、従来の自民党支持組織を切り崩す一方、議員、候補者に対しても地上戦重視を徹底させた。
その結果、頭デッカチで、足はヒョロヒョロだった連中が、少しずつ逞しくなってきている、というのが民主党の現状だろう。
一方の自民党は、結党以来「地上戦」中心の選挙を戦ってきた。支持組織や個人後援会など細かい票の積み重ねを中心にした地道な選挙活動で、政権の座を守ってきたのである。それを一変させたのが、小泉純一郎だ。小泉は従来、自民党を支持してきた組織(特定郵便局や建設業者など)を切り捨てる一方、都市部の無党派層を取り込む「空中戦」主体の選挙戦に切り替えることで、郵政選挙を圧勝に導いた。
だが、本来は「地上戦」が得意だった自民党にとって、この選択は一度きりのものであり、小泉という特異なキャラクターだからこそできたこと。にもかかわらず、自民党はこの勝利に「味をしめ」たため、自らを見誤ってしまう。安倍、福田、麻生と三代続けて総裁(総理)選びに失敗したのも、人気者を担げば選挙も何とかなる、という単純、軽薄な発想で動いた結果だといってもいい。
結果的に失敗に終わった東国原宮崎県知事の担ぎ出し騒動も、麻生人気に期待できないなら、他の人気者を看板にすればいい、という「浅はか」(古賀選対委員長)な考えが、国民に見透かされただけのこと。要するに自民党は、よせばいいのに本来、不得手な「空中戦」に手を出したことで、自らを追い込む結果になってしまった。
民主党は得意の「空中戦」を生かしつつ、「地上戦」を強化していけば、勝利が見えてくるはず。一方、自民党は小泉時代の「甘い記憶」を捨て去り、徹底した「地上戦」に回帰できるかどうかが生き残りのカギを握っている。戦いはいよいよ佳境に入ってきた。
いとうあつお 政治アナリスト。元民主党事務局長。明治学院大学非常勤講師。