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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090810-01-1301.html
日本の外交力
2009年8月10日 The JOURNAL
8月4日、アメリカのクリントン元大統領が北朝鮮を電撃訪問し、金正日総書記と3時間に及ぶ会談を行い、拘束されていたアメリカ人ジャーナリスト2人をアメリカに連れ帰った。それを聞いた拉致被害者の家族は「アメリカに出来る事がなぜ日本に出来ないのか」と言った。電撃訪問の3日前、麻生総理大臣は現職総理として初めて横田めぐみさんの拉致現場を訪れたが、拉致問題の対応策が示される事もなく、選挙向けのただのパフォーマンスと受け取られた。
アメリカに出来ることがなぜ日本に出来ないのか。それは日本が自立した国家でないからである。「拉致はなぜ起きたか」というコラムでも書いたが、北朝鮮が中国人でも韓国人でもなく日本人になりすまして大韓航空機爆破事件を起こし、そしてそのために日本人を拉致したのは北朝鮮が日本を怖いと思っていないからである。それは日米安保条約が日本を無視してアメリカとだけ交渉すれば事足りると思わせているからである。
日米安保条約は麻生総理の祖父である吉田茂が戦後日本の経済復興を優先するために締結した。国家の自立を損ね対米従属的な条約である事を知った上での決断である。だから他人に締結の責任が及ぶ事を恐れ、吉田はたった一人で条約に署名した。
それを対等な条約にしようとしたのは岸信介である。日本の戦後復興は既に達成されていたが、なお冷戦体制ではアメリカの「核の傘」に守られる必要があり、安保条約は継続すべきと考えられた。しかし60年安保反対闘争は国民的盛り上がりを見せ、岸は退陣に追い込まれた。その後の日本は「安全保障をアメリカに委ね、経済は戦時中に構築された国家総動員態勢そのままの官僚主導の計画経済」という岸信介らが敷いたレールの上を走り、世界も驚く高度経済成長を成し遂げた。
しかし冷戦体制の終焉と共に日本の高度経済成長も終わりを告げた。「反共の防波堤」を必要としなくなったアメリカは、フィリッピンのマルコス政権や韓国の全斗煥政権のように「反共親米」政権を次々切り捨てていく。日本の官僚主導体制と自民党長期政権にも厳しい目が向けられるようになった。
冷戦の終結は日米安保の意義を失わせ、そこで「再定義」が必要となった。再定義では「ソ連の脅威はなくなったが、アジアにはなお中国、北朝鮮の脅威があり、冷戦体制は終わっていない」と改めて安保の必要性が強調された。しかしアメリカにとって中国、北朝鮮は旧ソ連と同じではない。そして前述したように中国、北朝鮮にとって日米安保は脅威ではなく、むしろアジアの大国になりうる日本を自立させない「ビンのふた」として歓迎されている。こうして世界が新たな秩序を求めて冷戦型の思考から解放されている時、日本だけは相も変わらぬ冷戦型思考の中に押し込められることになった。
外交は単細胞思考の世界ではない。表と裏でアメとムチとを同時に使い分ける世界である。かつてアメリカがイランと国交断絶をしている最中に、私はルイジアナ州のクローリーという港でイラン向けにコメが積み出されているのを見た。表で国交断絶をしながら裏で主食用のコメを輸出する。これがアメリカの外交なのかと思っていると、後でもっと驚くべき事実を知った。アメリカは国交断絶のイランに秘かに武器も輸出していたのである。それがイラン・コントラ事件として明るみに出た。
イランを叩くためにアメリカはイラクのフセイン政権を支援し、イラン・イラク戦争を起こさせたが、その裏側でイランにも武器を輸出していた事になる。これはヒズボラの捕虜となった米兵を救出するための秘密工作だったが、こうした例は国際政治で珍しくない。敵の敵は味方であり、敵と味方は場所と時が変われば目まぐるしく入れ替わる。そこにはイデオロギーも主義主張もない。全ては結果次第で、結果が国益に合致していれば良い。
だからブッシュ前大統領が「イラン、イラク、北朝鮮」を「悪の枢軸」と呼んだ時、それは表の話だと私は思った。少なくもその三国とアメリカとの間に何のパイプも無い筈がない。表で批判しながら裏では秘かに手を結ぶ工作がなされる可能性もある。また「テロとの戦い」とは便利なスローガンで、誰も反対が出来ないから、それを利用してアメリカは中央アジアに米軍基地を拡張し、地下資源の確保を狙った。各国はそれを分かっていて表では賛同するが実際には自国の利益になる部分でしか協力しない。
ところが日本はそうではない。アメリカが「悪の枢軸」と言えば純粋に敵対していると考え、「テロとの戦い」と言われれば正義だと鵜呑みにする。そんな単細胞で外交が出来るだろうか。拉致問題で必要なのは「対話と圧力」だと言う。しかし小泉政権以降対話のための戦略を見た事がない。わずかに福田政権が交渉によって拉致再調査に取りかかる寸前まで行った。拉致再調査は金正日総書記が病に倒れたためか挫折して、福田総理もその直後に政権を投げ出した。
安倍政権と麻生政権は「制裁の一本槍」である。制裁をしても良いが制裁を問題解決に結びつける戦略が見えない。通常の外交なら、表で「制裁」を叫ぶ時には、裏で「アメ」をこっそり手渡すものだが、その形跡がない。公安調査庁によれば、制裁のおかげでこれまで入手してきた北朝鮮情報が入手困難になったと言う。北朝鮮情報なしに問題解決が出来る筈がない。何のための制裁なのかがまるで分からない。国民の人気を得るためなのか、制裁を叫んでわざわざ拉致解決を難しくしてきたのがこれまでの自公政権である。
日本政府を見限ったのか拉致被害者の家族たちはアメリカ政府の要人に必死に協力を求めている。しかし外国が他国の問題に協力するには限界がある。国民の税金を他国のために使うことなどあり得ない。それを知りながら外国に助けを求める家族の姿を政治家や政府はどういう思いで見ているのか。私は悲しくなるだけである、
悲しいかな戦後の日本は安全保障も外交も全て他人任せできた。ところが麻生総理は「民主党の選挙マニフェストには安全保障と外交が抜けている」と言い、安全保障と外交で論戦を挑む構えだと言う。これだからマニフェストを巡る論戦などやめてくれと言いたくなる。やれば国民を惑わし世界から馬鹿にされる。どうしてもやりたいのなら「拉致問題がなぜ解決出来ないのか」の一点だけで真剣に議論して欲しい。日本外交の全てが集約されており、しかも議論する意義がある。それ以外に及ぶと嘘に満ち溢れた空虚な議論が繰り返されるだけになる。少なくも今度の衆議院選挙の選択肢とは全く関係がなく意味もない。
(田中良紹)