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やはり仕組まれていた911
2006年5月16日 田中 宇
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2001年9月11日にニューヨークとワシントンで起きた同時多発テロ事件(911事件)の中心的な犯人は誰かと言えば、一般的に期待される答えは「オサマ・ビンラディン」だ。日本の新聞報道的に書くなら「ビンラディン容疑者」である。アメリカ連邦政府の捜査機関であるFBIは、ビンラディンを911事件の主犯とみなし、行方を追っているはずである。
ところが、FBIのウェブサイトを見ると、奇妙なことに気づく。FBIのサイトには「最も重要な10人の指名手配犯人」(Ten Most Wanted Fugitive)というコーナーがあり、ビンラディンも10人の中に入っている。1957年にサウジアラビアで生まれ、テロ組織「アルカイダ」の指導者をしていると紹介され「逮捕につながる重要情報を提供してくれた人には、アメリカ国務省から最高2500万ドルの賞金を出す。アメリカの航空パイロット協会と航空輸送協会の基金からも200万ドルの賞金が出る」などと書いてある。(関連記事)
奇妙なのは、ビンラディンにかけられている容疑の欄である。「1998年8月7日に、ケニアとタンザニアのアメリカ大使館が爆破され、200人以上が死んだ事件に関与したため、指名手配されている」と書いてある。このページの最終更新日は2001年11月と書いてあるので、911事件後に更新されているのだが、FBIが主張する容疑には「世界貿易センタービル」とか「2001年9月11日」といった文字は、全く出てこない。
容疑の欄は最後に「その他、世界各地のテロ事件への関与が疑われている」ともつけ加えられているので、この「その他」の中に911事件も入っていると考えられないこともないが、98年のケニア・タンザニア米大使館爆破事件に比べると、ビンラディンが関与した疑いがかなり薄いという意味にとれる。(関連記事)
▼どのテロもアルカイダの仕業と証明できない
2004年ぐらいまでの時期には、この手の指摘がなされても、多くの人々は「FBIがビンラディンを911の犯人ではないと考えているはずがない」「FBIは、何か捜査上の都合で、このように書いているのだろう」などと勝手に納得し、この手の問題にこだわる人々は変人扱いされて終わっていた。ところが最近は、事情が変わってきている。
911のテロでは、旅客機をハイジャックして世界貿易センタービルなどに突っ込ませた実行犯とされる19人は死んだが、実行犯以外の協力者が、アメリカや欧州などに多数いたと考えられている。これらの実行犯以外の容疑者を裁く刑事裁判が、アメリカとドイツ、スペインで行われ、いずれも1審の判決がすでに出ている。
いずれの裁判でも、被告がアルカイダと関係ある人物だったことは自白から立証されても、被告たちが911事件の計画に関与したことは立証されなかった。各国の検察は、911の犯人がアルカイダだということを証明できないまま、裁判は終わりの段階になっている。
911後、2004年3月にスペインのマドリードで起きた列車爆破テロ事件と、2005年7月にロンドンの地下鉄とバスで起きた爆破テロ事件も、事件後すぐに、アルカイダの仕業であると発表されたが、その後、実はアルカイダの関与は認められなかったという結論に落ち着いている。(関連記事)
911とそれ以降の事件で、アルカイダの関与が立証されているテロ事件が一つもないということは、ビンラディンの容疑を1998年の大使館爆破事件に限定しているFBIのサイトの記述は正しいということになる。とはいえ98年の大使館爆破事件も、アルカイダの関与がすでに立証されているわけではなく、アルカイダという組織の実体そのものについての疑問も、深まるばかりである。(関連記事)
▼「法治体制を維持したければ無理でも有罪にせよ」
911事件を起こした「犯人」を裁いたアメリカ、スペイン、ドイツの裁判のうち、最も劇的な展開になったのは、スペインの裁判である。
米当局が911直後にマスコミに語ったところによると、911の少し前、主格の実行犯とされているモハマド・アッタ(ドイツのハンブルグに住んでいたエジプト人)がスペインに行き、アルカイダのメンバーと会ってテロ実行のための作戦会議を開いた。この会議を設定したのはシリア生まれのスペイン人ビジネスマン、イマド・ヤルカス(Imad Yarkas)であるとされ、スペイン当局は911後、ヤルカスとその関係者数十人を逮捕し、41人を起訴した。(関連記事)
ヤルカスが911事件に関与した「証拠」として検察側が裁判所に提示した点は2つあった。一つは、ハンブルグでアッタと同居していた人物の住所録にヤルカスの電話番号が載っていたこと。もう一つは、ヤルカスが911の2週間前に知人との電話で「われわれは、航空の分野に入った。すでに、鳥の喉も切った」という、なぞめいた発言をしているのが当局に盗聴され、これは「航空機を使ったテロを実行する準備ができた」という意味に違いないと当局が主張したことである(スペイン当局は1997年からヤルカスの電話を盗聴していた)。(関連記事)
これに対してヤルカスは、一貫して容疑を否定し、検察側が提示した証拠はこじつけであり、何の立証力もないと主張した。起訴された41人の被告のうち、ほとんどの被告の容疑は、アルカイダのメンバーであるということだけだった。911に直接関与した容疑を持たれたのはヤルカスら3人だけで、ヤルカス以外の2人は、911の数年前にニューヨークに旅行し、世界貿易センタービルを自分のビデオにおさめたことが「テロの準備をした」とみなされたことなどが容疑になった。
検察が提示した証拠をもとに、ヤルカスらが911の犯人グループの一部だったと考えることの難しさは、当局側も感じており、911当時のスペインのアスナル政権の首相側近は「証拠の立証性は非常に低い」とマスコミにもらしていた。(関連記事)
昨年6月の最終弁論で検察側は「この裁判は、テロに対して軍事的に決着をつけるのではなく、法治に基づいた解決をするのが良いのだということを、世界に示すものになる必要がある」と力説した。つまり、スペインの裁判所が被告を有罪にしなかった場合、アメリカなどのタカ派による「裁判所にはテロ対策を任せられない。テロ解決には、軍事先制攻撃やグアンタナモのような秘密監獄が必要だ」という主張が正しいことを示してしまう。世界の法治体制を維持したければ、裁判官は、たとえ証拠が薄いと思っても、有罪判決を下すべきである、と検察は苦しい主張をしたのである。(関連記事)
結局、昨年9月に下された判決では、ヤルカスは有罪になったものの、裁判所は、ヤルカスが911事件に直接関与したと断定することはできないと判断し、アルカイダの組織を運営した罪のみで有罪になった。量刑は検察側の主張(7万4千年の勾留)よりも軽い27年の勾留となった。検察は、裁判の途中で20人近くの被告に関する訴えを取り下げており、判決が出たのは24人で、このうち5人は無罪、残りは有罪となったが、ほとんどはアルカイダに協力(同情)した罪だった。
▼スペインでもドイツでも「911への関与」は無罪
大転換は、この判決の後に起きた。1審判決の後、裁判の場は高等裁判所に移ったが、その2審の裁判で、検察側は今年に入って「何が何でも有罪にするのだ」という態度を放棄し、「われわれが出した証拠は、確かに根拠が薄い。ヤルカスは、911に関与したとは言えないので、この点での訴えは棄却してほしい」と裁判所に要請した。検察側の敗北宣言を受けて、裁判所は今年4月、3人の被告に対する訴えを棄却した。(関連記事)
まだヤルカスを含む14人の裁判は続いているが、すでに裁判の中心だった「911への関与」はすべて破棄され、余罪的な部分だけの裁判となっている。(関連記事)
ドイツの裁判も、似たような動きになっている。ドイツでは、モハマド・アッタら911実行犯3人と同じハンブルグのアパートに住んでいたモロッコ人青年ムニール・エルモサデクが「911犯人の一味」かどうかを問う裁判が行われている。2004年に出された1審判決では、エルモサデクはアッタらの仲間なので「テロ組織に属していた」として有罪になったが、911への関与については立証できないとして、この部分の訴えは破棄された。(関連記事)
この後、裁判は上級裁判所での審議に移っていたが、今年2月、上級審は、エルモサデクの釈放と、1審の地方裁判所に裁判のやり直しを求める決定を下した。エルモサデクは911事件の計画についてほとんど何も知らなかったことが1審の裁判で明らかになっており、釈放決定は、やり直し裁判で、さらに無罪性が認められる可能性が増したことを示している。(関連記事)
スペイン同様、ドイツでも、アメリカとの外交関係などを重視して、1審では余罪部分での形式的な有罪判決が下されたものの、その後、政治的な1審判決を見直す動きになっている。
▼「犯人」ではなく「犯人になりたかった男」
911の「犯人」を裁く、残る一つの裁判は、アメリカで行われていたザカリアス・ムサウイの裁判である。ムサウイはモロッコ生まれのフランス人で、911直前に、アメリカのフライトスクールで飛行機の操縦を学んでいるときに「ジャンボ機の操縦を学びたい。離着陸の操縦技術は要らない。飛行中の操縦だけを学びたい」と教官に要求したため、テロリストではないかと怪しまれて逮捕され、911犯人の一人として裁判にかけられた。(関連記事)
ムサウイは「死刑を逃れられない以上、イスラム教の英雄的殉教者として死にたい」と考えたらしく「私はアルカイダだ」「この裁判は、アメリカとアルカイダの戦いだ」「私は、911事件で本来、5機目のハイジャック機を操縦してホワイトハウスに突っ込むことになっていた」「自分は、911の次に計画されていたハイジャック計画の主犯になるはずだった」などという発言を、公判のたびに繰り返した。(関連記事その1、その2)
結局、裁判官は、ムサウイの数々の主張のうち「私はアルカイダだ」という部分のみを重視し、アルカイダの協力者であるという罪でムサウイを有罪にした。裁判官は、ムサウイが発した他の主張については、真実と考える根拠がないとみなし、取り合わなかった。ムサウイは911の「犯人」ではなく「犯人になりたがった男」となった。(関連記事)
その後、陪審員が量刑を判断し、5月上旬に、ムサウイは死刑ではなく、無期限勾留の終身刑となった。検察側は、ムサウイを死刑にしようとして「911直前にムサウイがFBIに拘束されたとき、間もなくテロが行われるという計画について正直に話していたら、911は防げた」と主張した。だが、当のFBIでは911直前、ムサウイを尋問した係官が上司に「もっと捜査を広げるべきだ」という報告書を出したのに、ワシントンの上層部から拒否されていたことが以前から報じられており、そのことを被告側弁護士から指摘され、検察の主張は崩壊した。(関連記事)
終身刑の判決が出た後、ムサウイは「私が、自分はアルカイダとしてテロを計画していたと発言したのは、てっきり死刑になると思って(英雄になるために)ついたウソの自白でした」と主張し、裁判のやり直しを求めた。裁判の経緯を見てきた人の多くは「やっぱりムサウイの主張はウソだった」と感じただろうが、ムサウイを厳罰に処することが政治的に要求されていた裁判所は、ムサウイの撤回を素直に受け入れるわけにはいかず、ムサウイの申請をすぐに却下した。(関連記事)
▼「911の犯人はアルカイダ」はいい加減な話
結局、アメリカ、ドイツ、スペインのいずれの裁判でも、被告がアルカイダの関係者(同情者)であることは立証できても、911の計画に関与していたことは立証できなかった。
「アルカイダに同情すること自体、十分犯罪的なことだ」と考える人もいるかもしれないが、そうした考えは本末転倒だ。アルカイダが911の犯人であることが立証された上でなら、アルカイダに同情することは犯罪行為かもしれないが、アルカイダが911の犯人ではないとしたら、犯罪視する前提が崩れてしまう。「911の犯人はアルカイダだ」ということは、米当局が主張し、マスコミが「事実」であるかのように報じただけで、立証された「事実」ではない。
米当局は、911の首謀者としてハリド・シェイク・ムハンマド(Khalid Shaik Mohammed)と、ラムジ・ビンアルシビ(Ramzi bin al-Shibh)という、2人のビンラディンの側近を以前に逮捕し、2人を世界のどこかの米軍基地内などにある秘密の監獄で尋問した結果、911の犯人はアルカイダだということについて立証できるだけの材料を持っていると報じられている。(関連記事)
アメリカ、ドイツ、スペインのいずれの裁判でも、ハリド・シェイクらの証人尋問が要請されているが、米当局は「証人尋問に出すと、アルカイダにしか分からない暗号で、次のテロ計画についての連絡を世界に流す懸念がある」などという理由をつけて、すべて断っている。
アメリカのマスコミなどでは「ハリド・シェイクを証人として法廷に出しさえすれば、911の犯人がアルカイダであることが世界に証明される」「米当局は、ハリド・シェイクを拷問してしまったので、法廷に出せないのだろう。911の犯人がアルカイダであること自体は、すでに確定している」といった言論が見られる。
しかし、これもおかしな話である。ハリドシェイクの生死、今どこにいるか、彼が911とどう関与したのかは、匿名情報源に基づいたマスコミの推測報道のみで、事実は分からない。信頼性の低い、いい加減な話だけをもとに「911の犯人はアルカイダだ」と断定することはできない。(関連記事)
▼テロ戦争から距離を置き出した欧州諸国
911後、2004年3月11日にはスペインのマドリードで近郊電車に対する連続爆破テロが起き、05年7月にはロンドンで地下鉄とバスに対する連続爆破テロが起きた。いずれも、発生当初は、当局はアルカイダの仕業だと発表していた。
しかしスペイン当局は、2年間の捜査を経た後の今年3月、マドリードのテロ事件の犯人組織はアルカイダとは関係ないと判断するに至っている。犯人組織は、地元のイスラム過激派で構成され、彼らがアルカイダの行動から、テロを計画するという発想そのものを考えつくという影響は受けただろうが、アルカイダのメンバーと電話連絡をとったり、資金提供を受けたりした経緯はないとスペイン当局は結論づけている。(関連記事)
その後、イギリス内務省も今年5月、ロンドンの爆破テロ事件は、イギリス内部で生まれたテロ組織による犯行で、ビンラディンから精神的な影響は受けたが、具体的な支援は受けていないという報告書をまとめている。(関連記事)
私はこれまでに、マドリードとロンドンのテロ事件について、一般に報道されていることとは異なる真相がありそうだということを、何回かにわたって書いてきた。当時、私の分析を一蹴して「アルカイダがやったに決まっているじゃないか」と反発してくる人もけっこういた。だが、今考えると、私の分析は、その前の著書「仕組まれた9・11」を含め、アルカイダ犯人説を鵜呑みにしない方がよいという根本的な考え方として、間違っていなかったことになる。(関連記事その1、その2、その3)
スペインとイギリスの当局が、今春に相次いで「テロはアルカイダと関係ない」と言い出したことには、純粋に犯罪捜査の結論が発せられたのではなく、両国が政治的な意味で、アメリカの「テロ戦争」から一線を画すために発せられた決定だったのではないかという感じもする。
スペイン当局の場合、911の裁判で被告を有罪に持ち込もうとする努力を放棄した時期と、マドリード爆破テロがアルカイダと関係ないと言い出した時期が、ほとんど重なっている。その点でも、これは捜査上の結論ではなく、政治的な決定であると感じられる。
アメリカの「テロ戦争」は、テロが起きた国の捜査当局の内部にアメリカの係官が入り込んで国家機密にアクセスし、時には内政干渉的な言動をとることにつながっている。911後しばらくは、各国は覇権国アメリカとの協調関係を重視し、これらのマイナス面に目をつぶっていたが、イラクの泥沼化や、米軍による拷問事件の頻発などを経て「テロ戦争」が失敗の色合いを強めるとともに、アメリカから距離を置く国が増えている。
▼「裸の王様」
「テロの犯人はアルカイダではなさそうだ」という話は「裸の王様」の物語に似ている。王様の周りの人々が「本当は王様は、有能な人にだけ見える服を着ているのではなく、仕立屋に騙されているだけで、裸なのではないか」とうすうす思っても、それを公言すると「王様の服が見えないお前は無能だ」と言われてしまうので、思わないようにしているという状態と似ている。
日米などのマスコミは「王様は裸だ」と言うことができない。マスコミの人の多くは、そのように考えることを自ら禁じ、思考停止に陥っている。しかし、もはや事態は、王様が裸だということを認知した上で「なぜ王様は裸なのか」「なぜ奇妙な現状に至ったのか」という分析に着手すべき時期に入っている。このままの状態が放置されると「ジャーナリズム」は世界的に自己崩壊しかねない。
911については「当局が事件の発生を黙認ないし誘発したのなら、その理由は何なのか」「テロ戦争の真の目的は何なのか」「なぜサウジが悪者にされる必要があったのか」「なぜマスコミは、簡単に騙され、いまだに積極的にウソを報じ続けているのか」といった疑問が残っている。「911の犯人はアルカイダではない」ということは、実は911の本質を考える際の入り口にすぎない。
【続く】
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