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植草一秀さんにエールをおくる。
植草一秀さんの痴漢裁判。植草さんは無実を主張してきて、上告審では植草さんの無実を示す証言も出されましたが、最高裁判決では、なんと実刑判決。
立川反戦ビラ入れ裁判、葛飾政党ビラポスティング裁判、国分寺共産党市議市議会便りポスティング逮捕事件、麻生邸リアリティ・ツアー逮捕事件など、不当な逮捕や有罪判決がたいへん目立つ昨今です。
それだけではありません。高知白バイ・スクールバス衝突事故、足利事件と飯塚事件が冤罪の恐ろしさを示しました。
28年間無実を訴えてきたのに死刑を執行された福岡事件もありました。
詳しくは当秘書課広報室では取り上げていませんが、選挙違反の冤罪事件である志布志事件というのもありました。(直接は触れていませんが、こちらやこちらで少し間接的に触れています。)
それから、和歌山毒入りカレー事件最高裁判決についても、私は判決には大きな疑問を抱いています。(リンク先の記事をまだお読みでない方はお読みくださるようお願いします。)
それらも踏まえて、「不適切な犯罪捜査・報道は犯罪そのものと同じく重大な過ち。」という記事も書き、犯罪捜査や犯罪報道のあり方に警鐘も鳴らしました。
こんな小さなブログで取り上げることのできるだけでこんなに不当判決や冤罪があるのです。そのことが、「罪を憎んで人を憎んで冤罪を憎まない日本?」という記事を書く動機の一つにもなりました。
さて、植草さんの事件です。私も含む一般の人が知ることのできる情報からは、証拠上も植草さんに有罪判決を下すことを正当化できる理由はないと思われます。植草さんも一点の曇りもなく無罪を主張している通りです。
特に足利事件で冤罪の恐ろしさがやっと浸透しようとしているときに、植草さんが無罪なのに有罪判決を下されているとしたら、たいへんに恐ろしいことだと思い、植草さんへのエールの意味も込めてこの記事とします。
●植草一秀の『知られざる真実』
■痴漢冤罪事件最高裁不当判決について
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-0caf.html
私は嘘を言わない。私は天に誓って無実潔白である。したがって、心には一点の曇りもない。このような不当判決に遭遇して、怒りは沸騰するが、これが残念ながら日本の現状である。
幸い、多くの皆様が真実を見つめ、私の発する真実の声に真摯(しんし)に耳を傾けて下さっている。私を信じ、私の無実を確信して下さる方が多数存在する。
この皆様方の心を支えとして、私は自信を持って、今後も進んで参りたいと思う。
日本の命運を決する総選挙に向けて、微力ではあるが私もネットから全身全霊を込めて情報を発信している。そのタイミングでこのような不当判決が下されたことに対して、大変強い憤りを感じるが、いかなる弾圧に直面しても、節を屈せず、微力ながら一歩ずつ前進して参りたいと考えている。
多くの心ある人々の力を結集して、政権交代をあらゆる障害を乗り越えて達成しなくてはならないと考えている。
日本の警察・検察・司法制度の前近代性除去は、政権交代後の新政府の最重要課題のひとつになる。
■皆様の温かなご支援に感謝申し上げます
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-3c24.html
日本の議院内閣制は、法令上の規定によって付与されている権能を最大に活用すると、三権を掌握する独裁者としての地位を内閣総理大臣に付与しかねない危険性を内包している。内閣総理大臣は警察・検察権力の上位に位置し、その活動を指揮し得る立場にある。また、最高裁長官の指名権、および最高裁長官以外の裁判官の任命権は内閣にある。
つまり、内閣総理大臣は司法権を掌握しうる地位にあるのだ。
日本でも建前上は「罪刑法定主義」、「適法手続き」、「無罪推定の原則」、「法の下の平等」、「政治的自由」を基本に据えていることとされているが、現実が異なる。
白川勝彦氏が指摘されるように「Due Process of Law」=「適法手続き」の取り扱いが極めて杜撰(ずさん)である。このために、無数の冤罪が生まれている。
足利事件で菅家利和さんの無実が明らかにされ、菅家さんは17年ぶりに自由を取り戻した。しかし、17年の時間を誰も埋め合わせることができない。私たちが考えなければならないことは、目に見えない水面下に多数の冤罪被害者が存在することである。
今回の最高裁不当判決についてのコメントを掲載したところ、本当に多くの皆さまから身に余る温かなお言葉を賜った。心から深く感謝申し上げる。私が罪を犯しているなら、私は潔く事実を認め、罪を償う道を選択している。
98年事件、04年事件、06年事件のいずれについても、私は事実をありのままに述べてきた。天に誓って無実潔白である。心に一点の曇りもない。
(引用ここまで)
植草さんの言うとおり、「日本の警察・検察・司法制度の前近代性除去は、政権交代後の新政府の最重要課題のひとつにな」ります。日本にとって、政権交代をぜひとも実現させなければなりません。
無実の者を冤罪で犯罪者にすることは、ほとんど犯罪ではないのでしょうか。政治的に犯罪者にされたケースなどはもちろん、捜査関係者や裁判関係者や報道関係者の誰もが気がつかなかったまま有罪にされたケースであっても。そのことを捜査関係者や裁判関係者や報道関係者は重く考えるべきです。