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吉本隆明
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吉本 隆明(よしもと たかあき、男性、1924年11月25日 - )は、思想家、(詩人、文芸批評家)。「戦後最大の思想家」「知の巨人」とも呼称される。血液型はA型。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。漫画家のハルノ宵子は長女。 作家のよしもとばななは次女。
目次
1 来歴
1.1 1924年 - 1949年
1.2 1950年代
1.3 1960年代 - 1970年代
1.4 1980年代
1.5 1990年代
1.6 2000年以降
2 思想と評価
2.1 「大衆の原像」について
2.2 戦中派としての「戦争体験」について
2.3 オウム真理教評価について
2.4 「現代思想」評価について
2.5 関わった論争など
3 著書
3.1 単著
3.2 共著
3.3 全集類
3.4 CD
3.5 DVD
4 参考文献
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
[編集] 来歴
[編集] 1924年 - 1949年
1924年、東京都月島生まれ。実家は熊本県天草市から転居してきた船大工で、貸しボートのような小さな船を作っていた。 兄2人姉1人妹1人弟1人の6人兄弟。 1937年(12歳)東京府立化学工業高校(現 東京都立化学技術高校)入学。 1942年(17歳)米沢高等工業学校(現 山形大学工学部)入学。 1943年から、 宮沢賢治、高村光太郎、小林秀雄、横光利一、保田与重郎 [1]、仏典等の影響下に本格的な詩作をはじめる。なお吉本は、第二次世界大戦=「総力戦」のもと、最大の動員対象とされ、もっとも死傷者が多く、幼少期は皇国教育が激化し、中等・高等教育をまともにうける機会をもてなかったいわゆる「戦中派」の世代である[2]。
向島の勤労奉仕の後、1945年東京工業大学に進学。在学中に数学者遠山啓と出会っている。敗戦直後、遠山啓教授が自主講座を開講。「量子論の数学的基礎」を聴講し、決定的な衝撃を受けたという。今までに出会った特筆すべき「優れた教育者」として、私塾の今氏乙治と遠山啓の二人をあげている。 1947年9月に東京工業大学工学部電気化学科卒業。
1949年、25歳のとき『ランボー若しくはカール・マルクスの方法についての諸注』を、「詩文化」[3]に執筆。そこでは、「意識は意識的存在以外の何ものでもないといふマルクスの措定は存在は意識がなければ意識的存在であり得ないといふ逆措定を含む」「斯かる芸術の本来的意味は、マルクスの所謂唯物史観なるものの本質的原理と激突する。この激突の意味の解析のうちに、僕はあらゆる詩的思想と非詩的思想との一般的逆立の形式を明らかにしたいのだ」と述べている。