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「驕れる白人と闘うための日本近代史」を読んで
私は白人とキリスト教をぼろくそに言う。多分、普通の人は何故そこまで白人非難やキリスト教非難をするのかと疑問に思うであろう。
私の白人・キリスト教非難の理由をまとめると多分、次の2点に要約される。
@白人・キリスト教の考え方は、根本的に自然を人間が利用するための材料としてしか考えておらず、自然破壊の考え方であること。
これは、地中海周辺及びヨーロッパ大陸全体に広がっていた森林を根こそぎ刈り払い、何とも感じない白人の神経を見て分かる。
また、白人の科学的合理的精神は何をしてきたか。公害を生み出し、地球温暖化を生み出し、人類の危機を生み出してきた。
彼らの考え方は、「足るを知る」ということを知らない。
日本人は、自然を恐れ敬い、木を切れば、必ず再生させて来た。自然は人間よりも尊いものであった。
A白人・キリスト教は、自分達の考え方を基本的に唯一絶対と考えており、その他は野蛮人、邪教としか考えていないこと。
白人は、それ以外の民族を服従、屈服、教化してきた。世界を植民地にしてきた。
日本も一歩間違えば、植民地にされるところであった。その先頭に立ったのが、キリスト教である。
キリスト教が白人の世界制服の先頭に立ったのは、当然のことである。唯一絶対の神を信じるのであるから、他は邪教である。
だから、同じ神を信じるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の間に妥協はない。
また、唯一絶対だから常に二者択一を迫る。ブッシュのテロと戦うのか、否か、が最近では典型的な例である。
そこには彼らが何故テロに走るのか、その原因から考えようという姿勢は全くみられない。
まあ、当然であろう。原因を追究したらキリスト教の野蛮性しか認められないだろうから。
では白人やキリスト教を非難することに意味はあるのか。
非常に重要な意味がある。日本人が従来の白人礼賛から本来の日本人らしさを取り戻すことが、これからの平和で地球に優しい世界を作るのに必要だと思うからである。
しかし、明治以降の日本人の考え方は、本当の日本的な考え方ではない。かなり白人の考えに毒された方向に走ってきた。明治時代初期の改革を支えたのは、お雇い外人たちである。明治新政府は、とにかく白人文明の吸収を急いだ。その中で日本人が失ったものは大きいのだろう。
本屋で「驕れる白人と闘うための日本近代史」松原久子著、文春文庫を見つけた。この本は、著者が1989年9月にミュンヘンでドイツ語で出版した「宇宙船日本」を田中敏が日本語に訳したものである。
原文がドイツ人向けにドイツ語で書かれた本なので曖昧さがない。文章の切れが非常に良い。日本史の解釈も明確である。義務教育の教科書で学んだ歴史とは全く異なる。歴史的内容の正確さについては、私的にちょっと疑問な点が無いではないが、大局的には全うなことを主張していると思う。
以下に本文を引用しながら“如何に白人が驕った存在”であり、“如何に昔から日本人が優れた存在”であったかを記していく。
引用部分は『 』で示す。太字は私が行ったものである。
『第一章 世界の端で「取るに足らない国」だった日本』
24頁
『 列島の大部分は、岩と森林で覆われた山々である。今日なお多くの原生林が残っているが、それは太古からごく最近まで、この国の人々の心の中に大自然に対する畏敬の念が生き続けてきたからである。特に深山渓谷は神々が棲みたまう所として大切にされてきた。豊かな森林は稲作に欠かせない水をもたらしてくれるということを、日本の人々は体験から学んでいたのである。』
一方、キリスト教はどうか。
28頁
『 天然の資源は無限でも無尽蔵でもない、などと考えることは冒涜に近かった。キリスト教の神は人間に、大地を征服せよと命じた。アメリカ人は特にこの命令を徹底的に遂行することを誇りにしていた。浪費はすばらしいこと、良いことであった。何ものにも妨げられない、思うがままの発展を、人々は人間の自然に対する勝利だと考えた。』
『第二章 劣等民族か超人か「五百年の遅れと奇跡の近代化」という思い込み』
日本は明治になって西欧文明を取り入れて、西欧文明からの500年の遅れを一気に取り戻す奇跡を行ったと考えられている。しかし、この認識は本当に正しいのだろうか。江戸末期までの日本は本当に西欧文明と比べて本当に劣っていたのだろうか。また、日本だけがこの奇跡を成し遂げたのは何故か。
この問題を明らかにすることは、現代の途上国援助が何故上手くいかないかの問題とも関連している。そもそもアフリカや東南アジアの生活風習や文化の違う所に西欧文明が正しいもの、進んだものとして押し付けをすること自体が間違っているのであるが。
アフリカの人々が、昔ながらの狩りと牧畜主体の生活をしておれば、資源争いによる民族同士の虐殺もエイズも人口の異常な増大も無かったのである。そこに消費文明が進んだ文化であり、アニミズムに基づいた土着信仰を邪教として排斥させた白人が、持続可能であったアフリカ原住民の生活を破壊したのである。
現在の世界の破綻は全て、元々持続可能であった世界各地の地方文化を否定して、白人の文化を押し付けたことに起因するのである。
本論に戻ろう。なぜ、日本は奇跡の近代化を成し遂げることが出来たのか。それは奇跡でもなんでもなく、江戸時代の日本のレベルは工業以外は欧米並みか、それ以上だったのである。西欧と比べて工業以外は、ほとんど劣っていないのであるから、工学的知識を吸収すれば、近代化は比較的容易であったのである。
41頁
『 しかし現実には、工業化のための前提条件は、当時すでに十分に満たされていたのである。国を開いた十九世紀半ばには、日本には貧富の極端な差はなく、富は広く分配されていた。また手工業の教育訓練を受け、学習意欲のある、というより学習熱に取りつかれた若者がたくさんいた。見事に運営された学校制度があった。総人口との比率で比較すると、ほとんどすべてのヨーロッパ諸国よりも多くの人たちが読み書きができた。
数世紀前から国内市場が栄え、見事に張り巡らされた交通網と、それに付随する道路、運河、船の航路といった産業基盤も完備していた。資金は、贅沢を第一に考える人たちではなく、投資事業に意欲を持った人たちの懐の中にあった。』
貧富の差が小さいというのは、教育の問題と併せて近代化にとって極めて重要な要素である。近代化というのは、工業化であるからまず優秀な労働者が必要である。また、商品を購入する程度の市民が必要である。優秀な労働者となるためには、教育が必要である。それら全てを江戸時代の日本は概ね達成していたのである。
さらに日本の社会の優れた点や特徴について述べている。
44頁
『 日本には革命がなかった。なぜか、という問いにはたくさんの答えが可能であるが、結局日本ほど、貧富の差、上層と下層の差が極端でない国は、世界のどこの国、どこの民族にもないということである。
ヨーロッパ人はよく、革命が過去において常に大きな進歩をもたらしたと誇らしげにいう。その主張は、フランス革命によって、自由、平等、博愛といった崇高な概念が一般になじみのあるものになったという功績に免じて斟酌してもいい。それは正しいかも知れない。しかし、次の問いも当を得ているのではないか。なぜキリスト教の隣人愛は十数世紀もの間、自由、平等、博愛をヨーロッパ思想の自明の内容にできなかったのか、別な言い方をすれば、フランス革命の必要性はなぜ生じたか、である。』
45頁
『 住民の間で個々の集団の格差があまりにも極端になると、その社会は不安定になるというのは、古くから日本人の考え方に深く根ざしたいわば常識のようなものである。日本人の私は、なぜ他の国々はこのことに気がつかなかったのか、理解に苦しむ。鎖国時代においては、この考え方が国の基本指針にさえなっていた。
この影響は、現代の日本企業の給与体系にも見ることができる。欧米では、企業幹部の給与が、一般労働者や一般社員の給与の百倍、千倍ということも珍しくない。日本では、伝統的に幹部の給与は低いといわなければならない。企業で最高の給料をもらっている人でも、その額がその会社の新入社員の初任給の十倍、あるいは十五倍以上ということはない。』
残念ながらこの本が出版されたのは、約20年前であり、現在では欧米追従が一層激しくなり、この給料の問題も、本来の日本の姿と乖離するばかりである。
45〜47頁
『 さらに日本人は、狭い国土の中でパニックを避ける知恵を身につけていた。いくら善良な心の持ち主であっても、当時日本人が暮さなければならなかったような狭い環境の中で生きていれば、いざこざや争いが起きるのが当然である。
ヨーロッパ人は隣国と戦争をすることによって鬱積した苛立ちを発散させ、植民地で日頃の鬱憤を晴らした。・・・・・・・。
今日でも日本へやってくる欧米人は、日本の人口密度の高さを実感して驚く。道路で、街で、デパートで、交通機関で、催し物会場で、見渡せないほどの人間の群れがひしめいている。そしてこれらの群集が窮屈さに苛立ち、口論や殴り合いを始めないことに驚く。しかし日本人にはこの窮屈さは欧米人のようには苦にならない。日本人は、見知らぬ人たちの群集の渦の中にあっても、いつでも目に見えない自分の繭に引きこもることができる能力を身に付けているからである。・・・・・・。
また一方日本語は、断定的な表現を避け、暗示という綿のように柔らかい表現方法を発達させた。それによって人々の間でクッションの入った意思の疎通が可能となり、刺激的な物言いが和らげられ、過敏な反応も回避することができた。・・・・・・・・。
もちろんこういったことは全て遊びでもなんでもない。それは狭い社会で物理的に生き延びていくための方法だった。それは、つまらないことで争うことは避けたいという人間の願望が生み出した知恵である。』
『第四章 税のかからない商売 商人は独自の発展を遂げていた』
この章の冒頭は『この地球上で、素朴な農民や小売商人からなる国家が、短期間に、世界有数の工業先進国へと飛躍を遂げた例が他にあるだろうか?』という在日ドイツ人記者が日本について書いた新聞記事の一節から始まっている。
この章では、二章で述べた江戸時代の日本の進歩状況について、主に商業の面から繰り返しヨーロッパとの比較をして述べている。
74〜75頁
『また、国内市場が統一されていたことは、彼らに大きな可能性を与えた。当時日本には、すでに陸路においても水路においても全国的な流通網があった。商品を日本各地から買い入れ、日本各地に売りに出すという発想はごく自然なことだった。
日本全国どこでも同じ度量衡を用いており、商品を取引するときの梱包の大きさも同じだった。ヨーロッパでは考えられないことだが、当時の日本ではすでに高度な規格化が実行されていたのである。・・・・・・・。
通貨も全国的に統一されていた。ドイツでは一八七〇年代に至るまで徴収されていた国内関税などというものは、日本ではすでに十七世紀が始まる前からなかったのである。』
78頁
『 京都はまた銀行発祥の地でもある。最初の設立は一六七三年に遡る。いわゆる「両替商」といわれた銀行はわずか数十年の間に飛躍的に発展し、全国的な金融機関となった。顧客に信用貸しをし、抵当権を設定し、手形証書を発行し、商品取引、先物取引に資金を提供した。
当時の日本の銀行制度は、恐らくイギリスとオランダを除いたヨーロッパの他のどの国よりもはるかに進んでいた。』
現在、株取引のチャートで用いられているローソク足は、江戸時代の穀物相場の予測のために発明されたと株の本で読んだような気がする。そう考えると江戸時代には活発に商品取引が行われていたことが分かる。また、豊臣秀吉が鳥取城を攻めたとき、事前に商人に鳥取の米を高値で買い取らせている。城内の米まで商人に高値で買い取らせた後に秀吉は、鳥取城を兵糧攻めしたのである。当時からこれだけ商人を介した物流は活発だったのである。
80〜81頁
『 経済の中心地である京都・大阪と江戸との間の交通量も当時としては相当なものだった。鎖国時代を通して、毎年百万人以上の旅行者が京都・大阪と江戸の間の海路、陸路を往復していたと『日本町人道』で原田伴彦氏は述べている。
・・・・・・。
宿場は同時に郵便局でもあった。郵便物の輸送と配達は、飛脚と呼ばれる特別な商人組合の手に任されていた。飛脚制度はすでに一六一四年からあり、手紙と荷物の全国的な輸送を一手に引き受けていた。郵便物の配達は日時が正確で、確実だった。料金は距離によって異なっていて、江戸と京都・大阪間では手紙は六日かかるのが普通だったが、定期的な速達便もあり、その場合は三日で届けられた。』
このように道路網、運輸組織が完備していたから工業化が容易であったと著者はいう。
また、教育機関として寺子屋の他にすでに通信教育制度もあり、そこには女性が多かったことを示している。
カビや農薬混入の事故米を食品業界に転売したあきれた事件が連日ニュースで放映されている。その他にも料亭による牛肉の産地偽装や卸業者によるうなぎの産地偽装。米の産地偽装。
日本人はいつからこんなに信用を大切にしない人種になったのか。人を騙してでもその場の利益を稼げばよい。最低の考え方である。
では江戸時代に商人が最も大切にしたことは何か。その心が現代まで生きているのだという。現代というがこの本の書かれた20年前までの話かもしれない。連日の不祥事のニュースを見ていると日本人のモラルも地に落ちつつある。情けない。
85〜86頁
『 同時代のヨーロッパには、パリやロンドンなどいくつかの例外を除けば、「都市」はなく、人口二万人に充たない町が点々として、鉄道の敷かれる前は交通の便も悪く、自給自足だった。絹、木綿、磁器、調味料、茶、砂糖、オレンジ類は、特別の商人ギルドを通して遠くから、主としてインドや中国から仕入れなければならなかった。品物は常に不足しており、希少価値を保っていた。それは、商人が顧客を選り分ける社会、すなわち「売ってやる」「買わせていただく」の社会であった。
日本は逆で、商品が市場に溢れていた。それは「売らせていただく。」「買ってやる」の社会である。・・・・。・・・着想が斬新で、品質が良く信頼性の高い商品だけがチャンスを掴める市場が発達した。・・・・・・。
商人たちは最も大切な資金と顧客を宝物のように扱った。顧客の信用こそが第一だった。狭い閉鎖された社会では悪い評判がたつような不誠実な行いをすることはできなかった。たとえそれで大金を一度は儲けることができても、評判が崩れるということは、人生が崩れることだった。』
ここまでは、主に鎖国時の日本が欧米と比べても決して遅れた存在ではなく、工業化の下準備はすでにできていたことを示してきた。
次に開国された日本に来た欧米人は日本をどう思っていたのかを見てみよう。
『第六章 一人の紳士 初代イギリス駐日公使・オールコックが見た日本』
オールコックは、初期の欧米の駐日外交官の(アメリカ人、イギリス人、フランス人、ロシア人、オランダ人)の精鋭の一人で、在任期間は1859〜1864年であった。
オールコックは、日本滞在記『大君の都』を出版しており、オールコックが何を感じ、どう考えていたか著者はそこから抜粋している。
105〜106頁
『 「表面的に見れば、日本は封建国家である。比較するとすれば、ヨーロッパの歴史では十二世紀が該当すると思われる。ところが実際に今、我々がこの国で目にするものは、(十二世紀のヨーロッパにはどこにも見られないような―著者註)平和と物質的な豊かさ、そして人々の満足した顔である。・・・・。
・・・・・・。
・・・・日本人は花の咲く四月にはそういった茶庭や寺の庭へ、いかにも楽しそうに出かけて行く。一家総出で、男も女も子どもたちも。彼らは並木道を通って庭や寺に行き、満開の桜を楽しむ。・・・・・どの道も清潔である。ごみ一つ落ちていない。ときたま見かける物乞いの仏僧を除けば、不快な人の姿を見ることもない。江戸は、私が訪れたことのあるアジアの国々とは、そしてヨーロッパの少なからぬ大都市とも、強烈な、そして快い対照をなしている」』
オールコックは日本、日本人の素晴らしさを認めながら、白人・キリスト教徒独特の唯我独尊的傲慢さにより次のような評価を下す。
109頁
『「彼らは偶像崇拝者であり、異教徒であり、畜生のように神を信じることなく死ぬ、呪われ、永劫の罰を受ける者たちである。畜生も信仰は持たず、死後のより良い暮らしへの希望もなく、くたばっていくのだ。詩人と、思想家と、政治家と、才能に恵まれた芸術家からなる民族の一員である我々と比べて、日本人は劣等民族である」』
そして、110頁では現在のアメリカの毎週日曜日のケーブル・テレビでキリスト教原理主義者たちが何と説教しているか、示している。
『「聖書の一言一句は神の言葉であり、これを信じる者のみが天国へ行く。信じない者、他宗に騙されている者は地獄に落ちる。我々の信仰のみが正しく、他は邪である。邪と闘うことこそ神から与えられた我々の使命だ」』
未だにこんなことを言っているのが、アメリカなのである。この言葉はキリスト教の持つ好戦的な性質が良く表現されている。ブッシュが正義を叫び、テロとの戦いを叫ぶが、その根本は、自分たち以外の考え方は認めないというこのキリスト教精神に基づいたものである。
要するに白人・キリスト教徒は未だに異教徒を敵と考えているのである。当然、日本人は異教徒で劣等民族だと彼らは未だに心の底で考えているのである。イラクやアフガニスタンで多くの民間人がアメリカ軍によって殺されているが、彼らはそれを何とも感じていない。なぜなら、被害者は全て異教徒だからである。犬猫を殺したほどにも悪いことをしたとは思っていない。だから力の弱いイスラム教徒がそれに反撃するにはテロしかないだろう。
白人・キリスト教徒達はテロを極悪非道のようにいうが、彼らはそれ以上に極悪非道のかぎりを尽くしてきたのではないか。
『第八章 大砲とコークス 日本はなぜ「自発的に」近代化しなかったのか』
この問いに対して著者は、産業革命がなぜイギリスで始まったかを述べている。その一つの要因として、イギリスがスペインに対抗するために青銅製の大砲ではなく、鉄製の大砲を作る必要に迫られたことを示している。
一方、日本は鎖国によって国を守ることができ、敵に備えて大砲を大量に製造する必要もなく、基本的に日本は慢性的な過剰生産に悩まされていたので、工業化を発明する必要もなかった。
『第九章 高潔な動機 「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出』
ヨーロッパがまだ海外遠征に出る前、ヨーロッパは非常に貧しく、オリエントとの商取引においてヨーロッパが提供できる商品は、羊毛、皮革、毛皮、蜜蝋程度であったという。そのためにヨーロッパ人がオリエントへの主要な輸出商品としたのが、奴隷で、大掛りな奴隷狩りが行われたという。これは紀元前の話ではない。
『一五五〇年頃、チュニジアの首都チュニスだけで、約三万人のヨーロッパ人男女の奴隷がいたことが記録に残っている。全てキリスト教国のキリスト教徒によってどこかで捕らえられ、縛られ、猿ぐつわをかまされ、王侯貴族や特権聖職者、富豪たちが競って求めているオリエントの贅沢品と交換するために運ばれていったのである。』 これが、白人社会とキリスト教の本質である。
人間を人間とも思わず、商品として売り買いする体質。彼らが何と言ってもこれがキリスト教の本質である。そもそも近代社会における労働者の概念が、そうであろう。日本の職人制度は基本的に一人ひとりの人間性を大切にしている。それに対して労働者は商品である。現在の非正規雇用の形態など、正に白人・キリスト教社会が生み出した悪魔の制度であると考える。
この非人間的なが考え出した馬鹿げた制度を進歩したものとしてどこまで追従すれば気が済むのか。
白人・キリスト教徒たちの本質を日本国民、アジアの人間は知るべきである。
『第十一章 茶の値段 アヘンは「中国古来の風習」だと信じている欧米人』
中国ではアヘンを乱用する風習があって、それを止めさせたのは欧米人だと思っている欧米人が多いことを著者は紹介している。この章では、東インド会社が中国から茶や工芸品を輸入するかわりに、どのようにしてインドで栽培したアヘンを中国に押し付けて行ったかが書かれている。そのやり方は正常な人間のやることではない。正に人間の屑の手口である。西欧風に言えばマフィアの手口か。要するに欧米の国家自体が正にマフィアなのである。このように学ぶと義務教育の歴史の教科書なんて何も教育していないことが分かる。
こう学んでくると日本が中国に進出した理由も良く分かる。日本は明治以降、西欧に追いつこうとした。その中で白人・キリスト教徒の邪悪な考え方を学んだ。遅れた国は自国のために蹂躙しても良いと言うことを。要するに植民地化。世界各国に蹂躙されようとしている中国に日本が進出するのは、欧米人の論理で行けば、当然のことではないか。
何か日本だけが中国やアジアで悪いことをしたように言われるが、白人の悪さに比べれば、日本人のしたことなど小さいといえば、小さい。
歴史も含め世界の価値観は白人によって形作られているから、当然、白人のやったことを非難する意見が主流になることはない。
しかし、白人・キリスト教徒の存在は世界を破滅させる存在だと改めて確信した。
植民地について言えば、欧米は多くの国が現在でも植民地を持っている。日本はアメリカの植民地である。
白人・キリスト教徒は、やっていることを見れば、確実に人類の屑である。
著者はカリフォルニア州在住で欧米の白人社会にどっぷりつかって生活している。日本にいて私のように愚痴を言っているのではないところが凄い。この本がドイツで出版されたのは非常に良いことだと思う。ドイツだけではなく、全世界で出版されたら良いとも思う。
興味のある方には、お奨めの本です。
(2008年9月28日 記)
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