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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090615-01-1301.html
漂流総理の漂流国家
2009年6月15日 The JOURNAL
自民党が参議院選挙に惨敗した直後の07年8月に「権力者になりきれない総理が小泉政治に決別か」というコラムを書いた。この時の総理は安倍晋三氏だが、今度は麻生総理に対して「権力者になりきれない総理が小泉政治に屈服か」と書かなければならない。麻生総理が盟友の鳩山総務大臣を更迭した人事を見て、権力者としての資質のなさを改めて痛感させられた。
私がかつて安倍元総理を「権力者になりきれない総理」と書いたのは、人事のやり方を見ての判断である。安倍元総理は総理就任後の初の人事で麻生太郎氏を幹事長に起用しようとした。ところがその重要人事を森元総理に相談し、その結果中川秀直氏を幹事長に押し込まれた。そもそも主要人事を他人に相談するところに権力者の資質のなさを感ずるが、問題なのは二人の密談がメディアに流れ、あたかも最高権力者が森元総理に操られている印象を世間に与えた事である。そしてその事を安倍氏は平気で黙認した。
選挙惨敗後の改造人事で安倍氏はやっと念願の麻生氏を幹事長に起用する事が出来たが、その時にも問題があった。組閣を前にして頻繁に麻生氏と密会している事がメディアに流れた。麻生氏が幹事長にならないのなら問題はないが、幹事長になるのであれば、その密会を決してメディアに報道させてはならない。総てを幹事長に相談しなければ決められない総理だと思われてしまうからだ。そして就任した麻生幹事長は安倍元総理を差し置いて高らかに「小泉政治との決別」を宣言した。
「権力者は孤独でなければならない。政敵は権力者の胸中を知るためにありとあらゆる手段を弄する。秘書はおろか家族にまで蝕手を伸ばしてくる。だから権力者は自分の家族にすら本音は語らない。(中略)相談相手がいないと耐えられない人物は権力者にはなりえない」とその時コラムで書いた。
昨年9月に「解散をするための総理」として麻生総理は誕生した。しかし就任直後の世論調査で自民党が衆議院選挙敗北の可能性が高いことを知り、急遽解散・総選挙を先送りした。そこから迷走と漂流が始まった。麻生総理が漂流する様を見ていると、どうも権力者にのみ許される「政治のシナリオを書くこと」が出来ないようである。
10月解散を回避した麻生総理は、いったんはご先祖様にあやかって12月解散、1月総選挙のシナリオを書こうとした。1948年10月に第二次吉田内閣を組閣したご先祖は少数予党であったため政権が安定せず、総選挙によって政権基盤を固める必要があった。ご先祖は12月解散を断行して単独過半数を獲得し政権基盤を安定させた。
また自民党が数々の不祥事で世論の批判を浴びていた1966年に、佐藤栄作氏が行った「黒い霧解散」も12月である。1月の総選挙で自民党は議席数を微減にとどめ、佐藤総理は党内の求心力を高めた。麻生総理はこれらにあやかりたかった。ところが解散・総選挙に導くためのシナリオを一人で書くことが出来ない。側近と言われる議員たちに相談すると、全員から反対されて、あっけなく12月解散を断念せざるをえなくなった。
次に考えたのがまたまたご先祖様の先例である。ご先祖は1952年8月にいわゆる「抜き打ち解散」を行って大勝利を納め、共産党が全滅するなど野党が大敗した。これを真似たのが小泉純一郎氏で、2006年8月の「郵政解散」で大勝利を納めた。戦後の政治史に8月解散はこの2例しかない。そしてこの2例の共通点はいずれも与党の「分裂選挙」である。1952年は再軍備の是非を巡って自由党が分裂し、2006年は郵政民営化を巡って自民党が分裂した。
「三匹目のどじょう」を狙う麻生総理は分裂選挙を仕組むためのシナリオを書かなければならなかった。「小泉政治との決別」を宣言した麻生総理が書くシナリオは再び郵政民営化を俎上に載せることである。盟友である鳩山総務大臣に「かんぽの宿」問題を取り上げさせ、西川善文社長の交代劇を仕組もうとした。麻生総理自身も国会で「郵政民営化には反対だった」と発言して小泉元総理を挑発した。
ところが麻生総理は分裂選挙が命がけの戦争である事に思いが至らない。分裂選挙は思いつきやお遊びで出来るものではないのである。党内対立を作り出し、しかもそれで党を壊滅させることなく分裂選挙にまで仕上げていくためにはありとあらゆる分野に目配りをし、知力と胆力の限りを尽くしてシナリオを書かなければ成功しない。そこには必ず政治生命を断たれる人間が出てくる。彼らは命がけで抵抗する。それを切り捨てる非情さがなければ出来ない作業である。
シナリオライター本人も政治生命を賭けなければ人は動かない。何事も他人に相談する程度の政治家に書けるシナリオではない。ところが誰もシナリオライターにならないまま今年の初めから「三匹目のどじょう」の仕掛けだけが動き出した。おそらく麻生総理には反小泉路線で動く鳩山総務大臣と、小泉路線に近い菅選挙対策副委員長とをうまく使い分ければ分裂選挙のシナリオが出来上がるとタカをくくっていたのかもしれない。
その程度だから事態は勝手に動き出し、シナリオがないために暴走を始めた。暴走は気付いた瞬間にブレーキをかけなければ誰も止めることが出来なくなる。しかし次のシナリオが用意されなければブレーキをかけることも出来ない。一方で麻生総理に挑発された小泉陣営は、西川社長の続投を郵政民営化の象徴と位置づけ、あっという間に西川続投のシナリオを作り上げた。小泉改革路線に賛同した財界人を取り込み、自民党内からも「西川続投を認めなければ麻生降ろしが始まる」との声を上げさせた。
シナリオを持たない権力者は何の決断も出来ずに事態を悪化させ、遂にクラッシュの時を迎えた。権力者は当初の考えを翻し、西川社長続投を認める裁定を下した。政治家は戦うのが仕事であるから戦いに利があると思えば鳩山総務大臣が裁定に従う筈はない。それが今回の鳩山総務大臣更迭劇に至る経緯だと私は思う。こうして「小泉政治との決別」を叫んでいた権力者が戦いのシナリオも書けずに「小泉政治に屈服」した。
もはやこの国には権力が不在と言うしかない。政治はただ漂流するのみである。今回の出来事はその事を教えている。これで解散は再び遠のいたなどと馬鹿なことを言う人もいるが、もはや解散する権力も空白になったと私は考える。麻生総理が何を大義名分に解散出来ると言うのか。今や国家の漂流を止めるために国民が権力を作り上げるしかない。麻生総理に代わって国民が解散・総選挙を仕組むしかない。
(田中良紹)
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。