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樺美智子
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表・話・編・歴
樺 美智子(かんば みちこ、1937年11月8日 - 1960年6月15日)は、1960年当時、東京大学文学部日本史学研究室学生であり、安保闘争で死亡した最初の大学生である。トロツキスト。
目次
1 人物
2 関連項目
3 出典
4 参考サイト
[編集] 人物
父は中央大学教授、東京外国語大学教授を歴任し、カール・マンハイムの翻訳を行った社会学者の樺俊雄。東京都出身。兵庫県立神戸高等学校を卒業後、1957年に東京大学文科二類(現在の文科三類に相当)に入学。共産主義者同盟(ブント)のメンバーとして1960年の安保闘争に参加する。1960年6月15日のデモで全学連が国会に突入した際、警官隊と衝突して死亡した。
警察側は転倒が原因の圧死と主張し、学生側は機動隊の暴行による死亡と主張した。尚、学友によって運ばれる彼女の写真がある。彼女の死亡原因は明らかにされなかったが、結果的に学生側の死亡者(既成年)を出したことで警察の方が重点的にマスコミから批判される事となる。
6月15日の事件はラジオでも実況中継され、樺の死は多くの人に衝撃を与えることとなった。また、毛沢東は樺の死について、「樺美智子は全世界にその名を知られる日本の民族的英雄になった」と述べた[1]。
母・光子の手による遺稿集『人しれず微笑まん』(1960年 三一書房 ISBN 4380600025)はベストセラーになった。他に、やはり母の手になる書簡集『友へ―樺美智子の手紙』がある。
[編集] 関連項目
岸信介 - 当時の内閣総理大臣。安保成立後の6月23日に総辞職。
ドワイト・D・アイゼンハワー - 当時のアメリカ合衆国大統領。事件の影響もあり訪日が延期された。
アカシアの雨がやむとき
永田洋子
共産党
大躍進政策 - 事件と同時期。
文化大革命
[編集] 出典
^ 人民日報国際短評 1967年6月18日
[編集] 参考サイト
「烈士の血潮の跡を踏みしめて前進せよ」
「戦士の栄誉を中傷することはできない」
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カテゴリ: 新左翼活動家 | 兵庫県出身の人物 | 1937年生 | 1960年没
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