★阿修羅♪ > 昼休み19 > 488.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090423k0000m070143000c.html
記者の目:「裁判員制度」いよいよだが=松下英志
国民が刑事裁判に参加する裁判員制度がいよいよ来月始まるが、ここに至っても一般の関心が十分盛り上がっているようには見えない。その大きな理由は、制度を導入する意義が分かりにくいからだろう。確かに「国民参加」は耳に心地よいが、なぜ今、必要なのか。制度の骨格をまとめた司法制度改革審議会では、今までの刑事司法について「その役割を適切に果たし国民からの信頼を得てきた」との認識が示されたが、そうであるなら新しい制度を導入する必要はない。裁判所と検察、弁護士の法曹三者は、現行制度の問題点や国民参加の必要性など、今こそ率直に「本音」を語るべきだ。
弁護士の側から見ると、今の刑事司法を巡る問題点はいくつも挙げられる。取り調べにおける「自白の偏重」、その自白調書が裁判で重きを置かれる「調書裁判」、それらの背景にある「密室での取り調べ」、否認すると釈放されない「人質司法」、判事と検事の人事交流の下で裁判所の判断が検察寄りになる「判検一体化」などだ。これらが冤罪(えんざい)を生む土壌にもなっていると、多くの弁護士は指摘する。
例えば痴漢事件の場合、逮捕された人は身に覚えがなくても、翌日には会社に出社しなければならないのに否認すれば釈放されない(=人質司法)ため、一時的に認めたとする。だが、その後の公判で否認に転じても、捜査段階で認めた供述の方に信用性があるとされ(=自白の偏重、調書裁判)、その供述の任意性を否定しても、現行制度下では原則的に取り調べの録音・録画がなく(=密室での取り調べ)、大抵のケースでは任意性がなかったとまで認められない。そのうえ判決では、裁判官の判断が同じ「官」である検察官寄りになる(=判検一体化)のは当然、という具合だ。
これらについて、弁護士の一部は、裁判員制度を導入することによってかなりの改善が期待できると考えている。数日間から1週間程度で終わる裁判員裁判では、これまでの公判に提出されたような自白などの分厚い調書を、一般市民の裁判員が逐一目を通すのは時間的に不可能で、「被告や証人から法廷で直接、供述や証言を聞くしか判断する方法がない」と想定されるためだ。つまり、裁判員の参加で、捜査段階の「自白偏重」や「調書裁判」が見直され、自白を得るための「人質司法」や「密室での取り調べ」も変わらざるを得ないと見ているのだ。