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焦土作戦
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ボーア戦争で火を放たれる家屋。イギリス軍はボーア人たちに身の回りのものを集める時間を10分与え、問答無用で家々を焼き払った
湾岸戦争で撤退するイラク軍に放火され黒煙を上げるブルガン油田。国土を取り戻したクウェートは膨大な原油を失った焦土作戦(しょうどさくせん)とは、戦争もしくはそのような状態において、防御側が、攻撃側に奪われる地域の利用価値のある建物・施設や食料を焼き払い、その地の利用価値をなくして攻撃側に利便性を残さない戦術及び戦略の一種である。つまり自国領土に侵攻する敵軍に食料・燃料の補給・休養等の現地調達を不可能とする戦略である。
反対の場合もある。退却する攻撃軍が追撃を遅らせるために鉄道施設の破壊や、補給施設を破壊することもある。
目次 [非表示]
1 戦争における焦土作戦
1.1 史実における焦土作戦
2 その他
3 関連項目
[編集] 戦争における焦土作戦
撤退する場合に敵方に利用価値のあるものを残さないことは戦術・戦略上の要諦であり、対象物が軍事施設だけに限定される場合などは焦土作戦とは呼ばない。 焦土作戦と呼ぶ場合には民間人の家屋や田畑はおろか、町そのものや自然の山林まで焼き払うことである。
森林や木造家屋などの燃料になりえる可燃物が全て燃やされてしまえばその場所に駐屯する部隊は日常の炊事のための燃料すら他の場所から運ばなければならなくなり、食料があっても炊事が出来ないと言う状態になり食事に不自由するようになる。 特に、ロシア、スウェーデン、フィンランドなどの水が凍結するような寒冷地では燃料が欠乏していることは凍死に直面するだけでなく、水すら満足に飲めないことになる。 このため、ロシアなどの寒冷地域で焦土作戦が行われると敵軍は極めて深刻な事態に陥る。 また、家屋がまったく無ければ寒冷地で長期間の野宿を強要されることになり、寒さによって大量の犠牲者を出すことになる。 このため、焦土作戦が最大限の効果を発揮するのは寒冷地域や食料のあまり豊富でない地域であり、自然林の豊富な熱帯地域では意味をなさない。
[編集] 史実における焦土作戦
紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシア帝国のダレイオス1世がスキティア(スキタイ)遠征を起こすと、スキタイ側は、南ロシアの街や村を焼き払い、食料の現地調達が不可能となったペルシア軍は撃退された。
文禄・慶長の役において、朝鮮側が日本軍(豊臣秀吉の軍)の補給路を根絶するために行った。多数の朝鮮人も巻き込まれている。
大北方戦争。ロシア軍の焦土作戦と、厳冬(冬将軍)によってスウェーデン軍は敗退した。
ナポレオンはロシア遠征においてモスクワに侵入したが、炎上する町をあとに撤退を余儀なくされた。ただしこれが焦土作戦であったかは、議論が分かれている。
アンドリュー・ジャクソンによる「セミノール戦争(インディアン戦争)。アメリカにおける初の焦土作戦とされ、「インディアンのベトナム戦争」とも呼ばれている。また、キット・カーソンは、対ナバホ族戦で焦土作戦を使用している。
日中戦争において中国側は堅壁清野と呼ばれる焦土作戦を度々用いた。長沙大火はその一例ではあるがこの際は流言に惑わされ長沙の町を意味なく焼き払ってしまった。また黄河決壊事件も焦土作戦と言われることがある。
第二次大戦の独ソ戦においてソ連軍は撤退にあたり敵軍の利用価値のあるものを壊した。またドイツ軍も同様に撤退にあたり敵軍の利用価値のあるものを壊した。なお、一部施設は、独断で命令を無視した軍需大臣アルベルト・シュペーアのために破壊を免れている。
冬戦争において戦力的に劣勢であったフィンランド側が大多数のソ連軍を相手に行った戦術の一つ。ゲリラ戦術、遅滞戦術と共に使用し大粛清後で組織的に衰弱していたソ連軍に多大な被害を与えた。
[編集] その他
この用語は経済界において、敵対的TOB対策としても用いられる。
[編集] 関連項目
戦略爆撃
相互確証破壊
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カテゴリ: 戦術 | ロシアの戦闘