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『文藝春秋』5月号−平凡だった立花隆と驚かされた中西輝政
今日はブログ定休日の土曜日だが、最新の月刊『文藝春秋』5月号に、いくつかの注目すべき記事が出ていたので、臨時で簡単に触れるエントリを上げることにした。
店頭に山積みされた同誌の表紙に、「小沢一郎の罪と罰 立花隆ほか」と出ていたので、すわ1974年の田中金脈の記事の再来か、と思って買ったのだが、読んでみると中身は朝日新聞編集委員の村山治との対談で、たいした内容ではなかった。4月1日の朝日新聞に掲載された立花隆の小沢一郎論は、なかなかに迫力があって、小沢一郎を辞任に追い込もうという立花隆の気迫が感じられるものだったが、『文藝春秋』での立花隆にはいまいち冴えがない。それどころか、みのもんたの番組に出たことについて述べたくだりなどを読んでいると、「みのポリティクス」を追認しているようにさえ読めて、大いに失望させられた。以下そのくだりを引用する。
僕は大久保秘書の逮捕後、みのもんたのTBSの番組に呼ばれたんです。今後の捜査の展開を聞かれたから、「大久保の政治資金規正法違反で終わりじゃないですか」と言ったら、みのもんたは「小沢まで行かないんですか」と驚くわけです。僕はこのみのもんたの反応が一般の国民に近いんだと思いますよ。小沢代表本人まで捜査の手が伸びなければおかしいという。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 立花隆・村山治「小沢一郎の罪と罰」より立花隆の言葉)
この対談では、村山治が、世に言う「検察のリーク」に異を唱え、
検察取材の現場はそんなに楽な世界じゃない、体を酷使しながら、夜討ち朝駆けを続け、ようやく事実確認などに応じてくれる人が出てくる。しかも、検事はリークと言われるのを最も恐れていますから、決して全貌を語らない。
と主張している。今回の西松事件でもそうだというのだが、村山治は朝日新聞編集委員という社のえらいさんであり、本人が取材したわけではあるまい。村山の経歴を調べると、1973年に毎日新聞に入社、91年に朝日新聞に移っている。村山の若い頃はそうだったのかもしれないが、果たして今も同じだろうか、各紙にあふれ返る、「検察のリーク」としか思えない記事の数々は、本当に若い記者たちの「夜討ち朝駆け」のたまものだろうかと疑ってしまうのである。果たして、ロッキード事件の頃も今みたいな報道だったのだろうか。
結局、この対談は、末尾の企業献金を禁止すべきだという村山治の主張に見るべきものがあるくらいだった。立花隆と文藝春秋と朝日新聞編集委員という三者で「小沢一郎の罪と罰」などというから、決定的に小沢一郎にトドメを刺す記事かと思いきや、そんなものではなかったというのが私の感想だ。
ところで、同じ『文藝春秋』には、安倍晋三のブレーンとして知られる右翼学者の中西輝政が、「子供の政治が国を滅ぼす」という論文を書いていて、こちらの方に驚かされた。中西は、「真正保守」をもって任じる男で、安倍晋三が参院選に敗れて退陣に追い込まれた時など、悲憤慷慨して感情的な文章を右翼論壇誌に発表していたのを立ち読みした記憶がある。だから、西松事件で小沢一郎が苦境に立ったことなど喜んでいるに違いないと思いきや、現在を戦前になぞらえて「検察ファッショ」を批判する内容の論文を書いているのだ。中西は、
歴史家としての私の直感で言うなら、構成の史家は「あのとき、日本の政治はスムーズな政権交代の可能性を喪失した」と評することだろう。私は、個人的な政論ということでは、現在の日本で政権交代を望むものではないが、ことは日本の民主政治に関わる国民的見地からの「公論」が求められる時だと思う。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 中西輝政「子供の政治が国を滅ぼす」より)
と書いている。そして、やはり政権が不安定だった浜口雄幸内閣時代に疑獄事件が相次いで発覚したこと、当時も世界恐慌や浜口内閣の金解禁の失政によって深刻な不況に見舞われていたことを指摘し、政党政治が国民の信頼を失う状況が類似しているとする。当時の政友会と民政党、現在の自民党と民主党は、ともに「どっちもどっち」と言われる状態だ。
中西は、昭和初期には「政治の不在」が「軍部の暴走」を招いたとし、極右政治家として悪名が高く、半ば公然と政党政治に反対の姿勢をとっていた平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)が検察のトップに立っていた歴史的事実を指摘する。そして、反政治的な司法が暴走した例として、昭和9年(1934年)に起きた帝人事件を挙げている。贈収賄で、鳩山一郎をはじめとする多数の政治家が連座したこの事件で、時の斎藤実内閣は総辞職に追い込まれたが、この帝人事件はなんと検察のでっち上げだった。昭和12年(1937年)に全員無罪の判決が下ったが、時すでに遅し。日本は泥沼の戦争に突っ込んでいた。中西は斎藤実内閣が前年脱退した国際連盟への復帰の動きを見せ、高橋是清蔵相によるデフレ脱却のための積極財政政策が功を奏すなど、「バック・トゥー・ノーマルシー(常態への回帰)」を合言葉とし、「新規まき直し」(ニューディール)に取り組み始めていた内閣だったと評価している。そして、帝人事件の陰で暗躍したのが前記の平沼騏一郎であったことは研究者の間で定説とされていると指摘し、
政党政治を否定し、統制経済の下、対外強硬策を支持する平沼らの政治姿勢は、当時ムッソリーニのイタリアで一世を風靡していたファシズム政治になぞらえ、政党つぶしを目論むという意味で「検察ファッショ」と呼ばれた。端的に言えば、戦前の議会政治の息の根を止めたのは、この検察のデッチ上げの疑獄事件だったのである。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 中西輝政「子供の政治が国を滅ぼす」より)
と書いている。
さらに、戦前の検察は単に平沼らトップの陰謀に単純に操られて政財界の腐敗摘発に進んでいったわけではなく、そこには「清潔」を求める国民の支持があったとしている。
論文はこのあと、東京地検特捜部と小沢一郎の双方が、国民の検察不信と政治不信を招いていると両者を批判し、さらに現在の日本は「子供が動かす幼稚な国家」になっているとして「劇場政治」を批判し、小泉純一郎の責任を厳しく問うているのだが、思い出されるのは同じ『文藝春秋』の2005年10月号に掲載された中西の論文「宰相小泉が国民に与えた生贄」だ。私は普段は中西輝政など全く評価しないのだが、4年前と今回の二度、『文藝春秋』に載った論文には強い印象を受けた。中西は、戦争に突っ込もうとしているかに見えた安倍晋三を熱烈に支持している人間なのに、なんで今回のような論文を書くのかと驚くほどだ。著者名を隠してこの記事を読んだら、著者が中西輝政だとは言い当てられない、少なくとも私には。
いや、普段から中西は学者としてはそういう仕事をしており、右翼論壇誌に発表している文章は、中西が感情の赴くままに書いているだけなのかもしれない。そうなのかもしれないが、狐につままれたような気がする今日この頃なのである。
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