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http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20090401k0000m070158000c.html
記者の目:小沢一郎進退論に思う=倉重篤郎
これはあくまで私の予測だが、小沢一郎氏は民主党代表を辞任するだろう。世論調査結果はそうすべきだと言っているし、小沢氏も進退カードを切るタイミングをうかがっているように見える。ただ、日本の政治にとって小沢カードとはどんなカードなのか。我々はそれを自覚した上で、失う痛みも共有したい。
続投宣言した小沢氏だが、この先いくつも難関が待ち受ける。3月29日の千葉県知事選で党推薦候補の敗因とされただけではない。秋田県知事選(今月12日)をはじめとする地方選ラッシュ、世論調査の続投批判・民主党支持率低下報道。何よりも公設秘書が虚偽記載に問われた政治資金規正法違反事件の公判が始まり、検察側冒頭陳述でダミー献金の具体的かつ詳細なからくりと背景が指弾される。
さしもの小沢氏もこの攻勢には耐えられない、と思う。あの大連立工作後の「プッツン辞任」が思い起こされる。ただ、今回はもっと戦略的な対応をするだろう。まずは、逆風選挙情勢をきめ細かく点検し、このままでは民主党が比較第1党をも失いかねない、と見た段階で、できるだけ効果的に進退カードを切る。同時に代表の座を降りても実権を握り続けられる後継人事を模索するのではないか。
周辺には「いったん辞めたらもう元に戻れない」との声があるとも聞いている。確かに、党首に権力を集中させる現選挙制度では、かつての闇将軍的二重権力構造はあり得ない。従って、小沢氏は名実ともに進退窮まる情勢に追い込まれるだろう。ある意味では小沢政治の終幕である。
では、小沢政治とは何だったのか。私は、「ポスト冷戦政治」を切り開こうとしてきたフロンティアだと評価する。冷戦下の戦後自民党政治は、日本を一度も交戦当事国とせずにこれだけ豊かな社会を作り出した、という意味で大成功だった。しかし、米ソ冷戦と経済バブルの崩壊による枠組み変化は、新しい政治を求め、永田町は七転八倒の苦しみの中から「政治改革」と「国際貢献」という回答をひねり出してきた。
前者は政権交代可能な選挙制度改革として、後者は国連の冠のついた限定的な自衛隊の海外派遣として結実、現在に至っている。小沢氏は、ポスト冷戦に対応したこの二つの大政治の主唱者であり、実践者だった。それから十数年。日本政治の歩みは遅々としている。本来は役割を失ったはずの自民党が政権にしがみつき、昔の名前で食いつないでいる。小沢氏はといえば、唯一の政局プレーヤーとして、解党(97年=新進党)、連立(99年=自自公)、合体(03年=自由党+民主党)、大連立工作(07年=失敗)を経て、いままさに「悲願」の政権交代一歩手前まできたところだ。
この間また、国会議員の定数減(衆院500→480、参院252→242)や政府委員の廃止、副大臣導入などの国会改革が小沢氏主導であったことも事実である。
さて、小沢氏秘書の虚偽記載に話を戻す。禁固5年以下という重い罪である。ダミー認識がなかった、というのは常識的ではないし、累計金額も突出している。だが、かつて億単位の金を闇で受け取ったケース(金丸信元自民党副総裁、日歯連事件など)に比べると、額でも公開度でも反社会性は低い。しかも06年までの違反である。
こういう言い方はできないか。小沢氏の政治家としての二面性である。上半身は改革を唱えるが、下半身で田中角栄元首相以来の旧来型ゼネコン依存体質が抜け切れていなかった。その最後のしっぽを検察に踏まれた形だ。もちろん、贈収賄や談合事件でもし立件されれば話は別である。
だとすれば、てんびんはどっちが重いのか。一方の皿に小沢氏の政治的実績と可能性、もう一つの皿に虚偽記載。政治記者として二十数年、国民が自分たちの幸福のために政治家をどう使うべきか、を考えてきた。力ある政治家が金銭スキャンダルで失脚するのを見てきた。某法相のように、政治家にクリーンさを求めるのは八百屋で魚を求めるがごとし、とは言わない。信なくば立たず、で、それゆえに政治に求心力ができる、と信じる。要は、我々が政治家に何を求めるか、であり、クリーン度はそれとの兼ね合いの相対的問題ではないか。
そこで、今に立ち戻る。ポスト冷戦に匹敵する歴史の節目に遭遇している。米国の政治、経済覇権はかつてなく弱まり、日本の外需主導・加工貿易立国路線も見直しを迫られている。過去の成功体験を超えた新しい政治が求められている。小沢民主党の対米対等、内需主導政策は一つの方向性のように見える。
小沢カードをどう手放すか。日本政治の新たな局面となる。(論説室)