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三車火宅の譬え(譬諭品第三) 佛⇒舎利弗
自分も佛になれると自覚できた舎利弗が、佛に、他の多くのものたちにも、みな佛になれることを教えてやって欲しいと請うたのに対して、佛が説いた譬え話。
目前に見える境地の達成を目指して、羊車(聲聞)・鹿車(縁覚)・牛車(菩薩)を求めて自らの意思によって走り出せば(努力すれば)、その努力は大白牛車(佛、最高の境地)につながっている。
長者の荒れ果てた家(現実の人間社会)が火事になるが、長者の子どもたち(凡夫)が何も知らないで家の中で遊びに戯れている。このままでは、子どもたちは(煩悩の火に包まれ)焼け死んでしまう。
長者は子どもたちを救い出そうと考え、最初自分の手で救い出そうと考える。しかし、思いとどまり、子どもたち自らの力で、他(神)の力を借りないで火宅を出ることが必要であることを覚る。
長者は、子どもたちが日頃から欲しがっていた羊車・鹿車・牛車を使う。(聲聞・縁覚・菩薩の境地を示す)
「火宅から出て来たら羊車・鹿車・牛車あげるぞ」と方便を使って誘う。
子どもたちは、喜んで羊車・鹿車・牛車が欲しくて、火宅から走り出してくる。そして煩悩の炎から救われるのである。
長者(佛)は喜び、子どもたちに羊車・鹿車・牛車ではなくて、もっともっとすばらしい大白牛車(佛の境地)を与えるのである。