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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090227dde012040004000c.html
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 元自民党幹事長・野中広務さん
◇歴史の教訓、共有を−−野中広務さん(83)
「まだ賞味期限が残っているのか、いろんなところから講演を頼まれるんだ」
野中広務・元自民党幹事長。83歳になるというのに、張りのある声は、若手議員からドンと畏怖(いふ)された現役時代と変わらない。
「今の国会運営を見ていたら、選挙を前にした党利党略、個利個略、見せ場作り。世界の動きを見て、国民の目線に立ち、国会で何をするのかを考えるべきなのに、政治家は共有すべき基本線が全く分からないまま、相手の揚げ足取りに終始している。そんな毎日を見ていると、かつて中央政治にあった一人として悲しく思うし、私はいい時に引退したなと思う」
野中氏が引退を表明したのは03年9月。郵政民営化を掲げた小泉純一郎首相(当時)が自民党総裁選で再選される直前だった。郵政族だった野中氏は小泉首相から「抵抗勢力」と批判され、影響力をそがれていった。インタビューでその辺りに話が及ぶと、そら見たことか、という顔をした。
「あれから5年半たって、小泉改革は間違いだったということに国民がやっと気づき始めた」
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野中氏はいう。
「小泉改革は結果的に『改革利権』を生んだ。その責任が問われるのを恐れて引退を決めた。かんぽの宿やメルパルク(旧郵便貯金会館)だけじゃない。郵政民営化はオリックスなど一部の人たちを利した。改革を熱狂的に支持した国民は踊らされただけだ」
野中氏もかつては自民党の金権政治の中枢にいた。評伝「野中広務 差別と権力」を執筆したジャーナリストの魚住昭さんは、野中氏や故田中角栄氏の政治を「土着的な社民主義」と呼ぶ。地方の土建業と癒着した公共事業のばらまき政治だが根底には弱者への共感があったというのだ。
「公共事業はすべて悪、ダムはやめればいい、みたいな考えは間違っている。採算性の悪い道路を造るばかりじゃだめだが、国土の均衡を保った発展は大切だ。そうでないと地方の住民は我慢し続けるか、そこから逃げ出すしかない。合併できない町村や残存世帯が少ない集落で暮らしている人たちに光を当てるのも、政治の役割だ」
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麻生太郎政権は失速し、自民党への支持率も急激に落ちている。
「やるべきでない人が総理をやっている。選挙の顔になるという錯覚から麻生さんを総裁にした自民党と公明党の責任は重い」
ならば自民党に下野を勧めるかと思えばそうではない。
「総裁選を前倒しして、新しい総裁の下で総選挙に臨むべきだ。自民党と公明党が真剣に選挙協力すれば、報道されているほど惨敗はしない」
野中氏は民主党が政権を取ったら今より悪い状態になると考えている。政権の中軸は自民党でなくてはいけないというのだ。
「仮に民主党が勝っても(代表の)小沢一郎さんは総理の座につくような人ではない。ぼた餅のようについてもそんなにもたない。短い言葉で勇ましいことを言うが、体力、能力からいって衆院予算委員会で座り詰めで答弁することには耐えられない人だと思う。鳩山由紀夫さん、菅直人さんらの民主党の党首・幹事長経験者たちも、棚からぼた餅が落ちてくるのをじっと待っている。そこにあの党の限界がある。そんな党に政権を渡したら危ない」
野中氏は小渕恵三内閣の官房長官時代の98年、かつて「悪魔」と批判した小沢氏に「ひれ伏してでも」と話し、小沢・自由党との連立を実現させた。当時、野中、小沢両氏の対立は抜き差しならぬ状況にあっただけに、野中氏の“変わり身”は政治家としてリアリストの一面を強烈にアピールした。
「あれで懲りた。懲りたというより、小沢さんには愛想が尽きたね。作っては壊し、作っては壊し、次から次へと要求して……それで結果的に小渕さんを殺してしまった。責任を感じる」
小渕氏は自由党との連立が破綻(はたん)した直後に脳梗塞(こうそく)を起こし、その1カ月半後に死亡した。歯に衣(きぬ)を着せぬ「野中節」は健在だ。「殺して」という言葉に、小沢氏へのいまだに根深い不信感がにじむ。それは「平和」への考え方に関する隔たりの大きさに起因するようだ。90年の湾岸危機当時、自民党幹事長だった小沢氏はペルシャ湾に自衛隊を派遣しようとした。「小沢さんはそのころから変わっていない」
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野中氏は45年3月に召集され、高知で米軍の上陸に備えて訓練している最中に終戦を迎えた。「広島、長崎に原爆が落とされ、東京をはじめとする主要都市が焦土と化した63年前を知っている人は少なくなった。戦争を知らない世代との『異常な世代落差』をどう埋め合わせていくか。それは我々が語り、教育を通して子どもに伝えていくしかない。明治の終わりから昭和にかけての我が国の激しい危険な歩みを国民が共有しなくてはいけない。ところがそうした教育が最も欠落した層が今のリーダーなわけ」
野中氏は昨年だけで中国を4回訪問したという。旧日本軍が残した遺棄化学兵器で傷ついた少女、残留孤児を育てた中国人に会った。
「63年たっても日本は戦争の傷跡を修復していないとひしひしと思う。中国、韓国、北朝鮮などとの関係を見ても、自分たちの世代の責任として戦後未処理問題を解決しよう、といううねりが出てこない。これは政治として一番貧困なこと。米国の戦略の中で国民の税金を使うだけではなく、この問題に真剣に取り組まないと東アジアに未来はない。現役の政治家はもっとこの国の行方を広い視野で考えてほしい」
野中氏の目には政治は優先項目が間違っていると映る。
「定額給付金より戦後未処理問題。CO2(二酸化炭素)削減に努力しても一回戦争したら飛んじゃう。戦争は最大の環境破壊なんだ」
その口調によどみはないが、どこかしら寂しさのようなものが感じられた。
「わずかでも狂った時代を知っている人間として、この国が戦争に加担するような国にならないために努力した。そうでなければ、52年間も政治の道におった人間としてこの世に生きたかいがない。足が動く限り、言葉が続く限り、戦争がどれだけ人類の悲惨な歴史を残していくものか、国民に訴えていきたい」【國枝すみれ】