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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20090226-01-1401.html
経済学が大不況の原因/坂本慎一(PHP総合研究所主任研究員)
2009年2月26日 VOICE
経済学第2の危機
リーマン・ブラザーズの破綻を受け、世界経済は混乱を極めている。混乱の発端となったのは、サブプライムローン関連の金融商品であった。この種の金融商品は、高度な数学を駆使した新しい経済理論によってつくられたものである。
経済学の数学化は主に20世紀初頭から始まり、より高度な数式で経済モデルをつくることは、経済学の進歩であると信じられてきた。この状況に対し、1970年代ころから良心的な学者のあいだで「経済学の危機」が叫ばれ、経済学の数学化は知識の見せびらかしにすぎず、ただの衒学ではないかという批判がなされた。
ところが、確率微分方程式を駆使して金融商品をつくる理論は、現実の経済活動に応用できることから、たんなる衒学ではなく、企業や国家の経済発展に貢献できる、と考えられた。どこまで回収可能なのかまったく怪しい証券が複雑な方法で金融商品に組み込まれ、次々と市場に供給されていった。
こうした金融商品は、格付け会社の審査や法の規制を巧みに潜り抜け、しばしば市場で日本の国債よりも高い信用を得た。詳しい事情を知らない一般の投資家も、これらの商品で資産運用することがより進んだ資産管理の在り方だと信じた。今日から見れば、これは高度な数学によって、金融商品のリスクをごまかしていたにすぎなかったといってよい。
高度な数式を使う経済理論は、かつては他人を煙に巻く衒学であり、「経済学の危機」は無意味な数学化に向けられた批判であった。その衒学が、他人を煙に巻いて金銭をせしめる方法に応用されたのである。経済学が不況の克服に貢献できない事態はこれまでにもあったが、経済学自身が世界的な大不況の原因になったのは、恐らく今回が初めてであろう。これは「経済学第2の危機」といってよいのではないか。
いまこそ国内思想に目を向けよ
サブプライムローン関連商品の破綻は、つまるところ誤った証券化が原因だという人もいるが、何が誤った証券化で何が許容されるべきか、はすぐれて倫理・道徳的な問題である。ところが経済倫理や道徳を研究する人は、数学化に勤しむ研究者に比べれば圧倒的に数が少ない。研究に予算や人員が割かれないというよりは、倫理や道徳のように曖昧なことを論ずるのは自分の仕事ではないと割り切っている経済学者が多い。
しかしいま、科学における倫理や道徳の問題が、物理学や化学、生物学の世界で盛んに問われている。たとえば核技術は、原子力発電所のように平和利用ができる一方で、大量破壊兵器への応用を可能にする諸刃の剣である。クローン技術は臓器移植や畜産に成果を上げられそうだといわれる一方で、人間のクローンの作製は国際的に禁止されている。自然科学の世界では、科学者が自分たちの興味だけで研究を進めてはならず、倫理や道徳についてつねに考えなければならないという認識が常識になりつつある。
経済学者もまた自分たちの理論が実体経済に影響を与えるならば、この考えを共有すべきであろうし、金融工学の理論をどのように扱うかという問題は、核技術やクローン技術に関する問題と基本的には同じと認識しなければならない。
じつはこれまでにも、日本の資本主義において倫理や道徳を問う思想はさまざまにあった。定番というべき人物は澁澤栄一と松下幸之助であろう。近代資本主義の最初期において「論語と算盤」を強調した澁澤は、今日もなお通用する思想を展開した経営者であり、松下は現代に近い時代を生きたので具体論についても参考になる部分が多い。経営者に対して、澁澤は儒学に基づく経世済民の思想を主張し、松下は仏教に由来すると思われる「素直な心」を説いた。またそれらの観点から、実体経済に何ら貢献しなかったり、害を及ぼしたりする経済学や学者の態度にも厳しい批判の目を向けたのである。
ところが日本の経済学者は、まったくといってよいほど国内の経済思想に目を向けない。日本が経済大国になった要因を知りたいと思っている人は世界中にいるが、日本の学問のなかで経済学ほどアメリカ式の発想に偏っている分野は他にない。アメリカの経済学の権威が大きく揺らいでいるいま、読むべき日本の古典はけっして少なくないはずである。
現在は、サブプライムローン関連の金融商品に飛びついた経営者の判断ミスばかりが取り上げられる傾向にあるが、経済学者の世界の風潮にも大きな要因があったことは間違いない。「経済学第2の危機」は「第1の危機」に対する十分な反省がないために発生した。今度こそ根本的に反省して出直す覚悟がなければ、経済学に未来はないと断言したい。