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金融国会
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金融国会(きんゆうこっかい)とは1998年7月から10月まで開かれた臨時国会。金融早期健全化法と金融再生法が審議採決された。
目次 [非表示]
1 バブル崩壊と金融危機
2 小渕内閣の発足と金融国会
3 法案丸呑みと政局
4 金融国会での影響
5 関連項目
[編集] バブル崩壊と金融危機
バブル崩壊後の金融不安に対し政府は公的資金の投入を決定、1998年3月、金融機能安定化措置法に基づく金融危機管理審査委員会(委員長・佐々波楊子慶大教授)の決定により大手銀行や一部地銀に対して総額1兆8千億円の公的資金が投入された。しかし、1997年4月1日からの消費税率引き上げによる橋本龍太郎内閣の緊縮財政路線は景気悪化と失業率の増加を招き、新年度早々には日本長期信用銀行(長銀)の経営危機が表面化した。こうした中、1998年7月、第18回参議院議員通常選挙が告示されるが、この選挙中、橋本首相は景気梃入れ策を表明するなど発言が二転三転したことに国民の不信が高まり、1998年7月12日の投票では自民党は惨敗、橋本は退陣に追い込まれる。
[編集] 小渕内閣の発足と金融国会
同年7月30日、小渕恵三内閣が発足し、長銀との関係が深い宏池会領袖・宮澤喜一が蔵相に就任する。小渕内閣発足当初から、長銀の経営危機は重要な経済課題であり、抜本的な金融対策立法が望まれた。長銀と住友信託銀行との合併構想が破談すると、臨時国会において、不良債権処理をめざす金融再生トータルプラン関連法案の審議が始まる。
[編集] 法案丸呑みと政局
長銀・住信の合併破談の直後から、長銀救済は与野党間の政争の具と化していたが、 民主党・新党平和・自由党は一致して政府案に反対、国会での審議はこう着状態となった。自民党は参議院で過半数を割っていることから、結局、金融再生法案は民主党案の丸呑みを余儀なくされ、また金融早期健全化法案は自由党の協力を得て成立にこぎつけた。
金融再生法は10月12日、早期健全化法は10月16日に可決成立し、10月23日、形式的には長銀自身の破綻申請は即日その認定がなされ、日本政府により一時国有化された。また日本債券信用銀行も同年12月、金融庁検査で実質2,700億円の債務超過が認定され、金融再生法により、特別公的管理下・一時国有化が決定された。
さらに1999年3月には、早期健全化法に基づき、大手行に対して優先株約6兆1600億円、劣後債・劣後ローン1兆3千億円の計7兆4600億円の公的資金が投入された。
[編集] 金融国会での影響
参議院選挙から金融国会までは、民主党を中心とする野党主導で国会運営が進んだ。橋本退陣後の首班指名選挙では、自由党と共産党の協力で民主党の菅直人が首相指名され(衆議院の優越により衆議院の議決で指名された小渕恵三が首相となった)、金融国会でも野党共闘で金融再生法案を小渕内閣に丸呑みさせた。
また、金融国会末期の1998年10月には、額賀福志郎防衛庁長官に対し防衛庁調達実施本部背任事件を理由として参議院で問責決議案が可決(同年11月に辞任)、政府・自民党を揺さぶった。
しかし、菅直人は金融国会に対して「政局にせず」との姿勢を取った為、当初、協力的であった自由党の離反を招いた。また、額賀問責決議をきっかけに自民党は野党分断工作を行い、1998年11月、自由党との自自連立政権について合意した。1999年1月、正式に自自連立政権が成立し、続く1999年7月、公明党(1998年11月に、新党平和と公明が合併し再結成)が政権に参画し、自自公連立政権が成立した。
[編集] 関連項目
第143回国会
住専国会
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