★阿修羅♪ > 昼休み15 > 294.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
臨床政治学 永田町のウラを読む =伊藤惇夫〈第25回〉重たい小泉劇場のツケ
2009年1月20日 中央公論
絶体絶命の自民党に彗星のごとく登場した小泉元首相。郵政選挙では自民党を大勝に導いたが、その延命効果はまもなく切れる。彼は自民党の救世主だったのか。それとも……
自民党にとって、小泉政権の五年五ヵ月とは、いったいどんな意味を持っているのだろうか。もしかしたら、あの「輝かしい時代」こそが、実は自民党を再生不能状態に追い込むための、決定的に重要なファクターとなったのではないか。
「もう、いつ選挙をやっても自民党は負ける。一度、民主党に政権を渡したらいい。野党に転落した後、自民党がバラけないでいられるかどうかが問題だ」
与野党の議員、関係者が行きかう国会前の歩道。ばったり顔を合わせた自民党の中堅議員が、誰を憚る様子もなしに、大声でこうまくし立てた。
今ほど狼狽し、醜態を曝け出し続け、絶望的な気分が蔓延している自民党を見るのは、おそらく初めてだろう。自民党はもはや、完全に追い詰められつつある。もちろん、第一義的には麻生首相の失言、暴言、漢字の読み間違いや政策面での迷走につぐ迷走ぶりに原因がある。だが、これはある意味であくまでも「現象面」の問題。自民党が抱える"病根"はもっともっと奥深いところにあるのではないか。
まだ、麻生首相に対する評価が定まったわけではないが、名宰相として後世の歴史に名を残す可能性はほとんどない。となれば、自民党は安倍、福田、そして麻生と三代続けて総裁(総理)選びで、完璧(?)に失敗したことになる。ではなぜ、自民党は失敗を重ねたのか。そこには、小泉政権の「成功体験」が、逆に暗い影となって重くのしかかっているように思える。
小泉政権が誕生したのは二〇〇一年四月。極端に不人気な森政権のもとで、自民党は崩壊の危機に直面、今と似た状況に追い込まれていた。そこに突然、颯爽と登場したのが小泉元首相である。その後は、承知の通り。「自民党をぶっ壊す」という名文句で国民を引き付け、次々と華やかな仕掛け花火を打ち上げて高支持率を維持、郵政選挙では自らの作、演出、主演による「小泉劇場」で、自民党を大勝利に導いた。結果、政権は五年五ヵ月に及ぶ長期となり、この間、自民党は「わが世の春」を謳歌し続けたわけである。
だが、その「宴」のツケが今、自民党を追い詰めようとしている。別の言い方をすれば、自民党は小泉政権の「呪縛」によって自壊作用を起こし始めているのではないか。そう考えれば、三回連続の総裁選び失敗も、その理由は極めて明白だ。人気者を担ぎ、その看板にすがり付いていれば選挙に勝てるという小泉時代の成功体験が染み付いて離れないから、その時点で最も人気の高い政治家を、資質や能力と無関係にひょいと担いでしまったから。
自民党は今、従来の支持基盤だった農協や医師会といった組織の離反に慌てふためいている。だがこれもまた、ここにきて急に起きたことではない。小泉が、構造改革を推進する中で、従来の支持基盤を切り捨ててでも、都市部を中心とする無党派層を取り込む、という方向転換を推し進めた結果が、鮮明に表れ始めただけのことだろう。
麻生首相を筆頭に、このところ首相や大臣、党幹部の失言や暴言が目につくが、これも「小泉効果」かもしれない。考えてみれば小泉元首相もかなり酷かった。「涙は女性の武器」「人生いろいろ」「(イラクの)どこが非戦闘地域かなんて、わかるわけないでしょう」……。数え上げればキリがない。小泉氏は高支持率に守られてか、不思議と批判を受けなかったが、後に続く連中が、自分を「小泉並み」と誤解して、気軽に失言を連発するようになった、と考えるのは邪推?
もしかしたら、自民党にとって小泉政権は「モルヒネ」だったのではないか。確かに自民党は小泉政権のおかげで、五年以上も延命したが、それはむしろ、自民党を"治癒不能"な状態にまで追い込む結果をもたらしたのではないか。もっと早い段階で、思い切って手術を行い、患部を摘出していれば、それなりの入院期間(野党経験?)は必要としたかもしれないが、今頃は再生への道を歩みだしていたかもしれない。
だが、痛みから逃れるために、「小泉というモルヒネ」を打ち続けるうちに、体力も、回復に向けた意思すらも失わせ、気付いたら末期症状に陥っていた。それが自民党の現状ではないのか。
「自民党をぶっ壊す」といった小泉元首相の言葉が今、皮肉にもその思いとは全く違う形で、実現しようとしているのかもしれない。
いとうあつお 政治アナリスト。元民主党事務局長。学習院大学非常勤講師。