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歴史の急流に押し流された世界秩序
【記事転載元:JBpresshttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2411】
21世紀の最初の10年間の地政学を形作った人は誰か。そう考えてみると、まずウサマ・ビンラディン氏とジョージ・ブッシュ氏が頭に浮かぶ。
2001年9月11日のアルカイダによる大規模なテロは、共産主義の敗北の後で悦に入っていた西側諸国に対する新時代の挑戦を描き出しているように見えた。米国大統領の対応は、最初は米国の力が及ぶ範囲を、次にその限界を明らかにした。
ウラジーミル・プーチン氏をそうしたリストに加える人がいるかもしれない。筆者は確信が持てない。プーチン氏は、ロシアの傷ついたプライドを癒やした。同氏は今、大統領の地位を取り戻すことを計画している。だが、高騰する原油価格も堂々と上半身裸になってみせる男っぽさも、ロシアの衰退という基本的な軌道を反転させるには至っていない。
21世紀「最初の10年」が残したもの
ニューヨークの世界貿易センタービルの崩壊から8年の歳月が経ったが、アフガニスタンとパキスタンは今なお、バラバラになった国家、暴力的な過激思想、現代的なもの全般との戦いに根差す紛争の中心地だ。
ビンラディン氏は捕まることなく逃げおおせた。ブッシュ氏の後を継いだバラク・オバマ大統領は、タリバンとの戦いで、自らの大統領の地位にとって最も危険な敵と対峙している。
長い目で見ると、ジョージ・ブッシュ前大統領(写真)やウサマ・ビンラディン氏も比較的小さなプレーヤーだったということになるかもしれない〔AFPBB News〕
非通常兵器がイスラム聖戦士の手に渡るかもしれないという恐れ――パキスタンの核兵器の備蓄を考えてみてほしい――が西側の不安を増幅している。
それでも、世界の地政学的な情勢には、こうした出来事よりもっと大きく、永続的な変化が起きた。歴史の長いレンズを通して見ると、ビンラディン氏もブッシュ氏も、騒然とした激変の時代の比較的小さなプレーヤーだったということになるかもしれない。
今後数十年間の大きな衝突は、イデオロギー間よりも、むしろ国家間で起きる可能性の方が大きい。支配的な緊張関係は、協調と競争、規範と無政府状態、秩序と無秩序の間で生じるだろう。
次の10年、対立は国家間で起きる
アジアの台頭は、地政学的変化の最も明らかな現象を描き出している。千年紀の変わり目には、米国の覇権が永遠に続く一極化の世界が話題になった。中国が驚くべきスピードで台頭してきたことで、それまでの予測という予測が打ち砕かれた。長い歴史の中では文字通り一瞬にして、西から東への勢力のシフトが、地政学の中核的な(それも不安を抱かせる)現実となった。
アジアの台頭は、中国に限った話ではない。インドは、その政治的指導者の多くが中流国家の思考様式にしがみついているが、国の存在感を世界にはっきり感じさせるようになった。この1世紀ほど「来るべき」大国と言われてきたブラジルは、ついに本物の大国になる日が視界に入ってきたのかもしれない。
南アフリカ、メキシコ、インドネシア、そして核の野望という不安な文脈の中ではイランも、国際問題を扱う評議会で正当な評価を強く要求する国の仲間入りをしている。
変わる多国間組織
世界的な金融危機は、世界が大きく変わり、20世紀後半の多国間機関に合わなくなったという証拠を突きつけた。悲しいことに、世界的な活況が不況に変わる原因となった安価な信用の過剰供給は、西側のワシントン・コンセンサスの経済的管理から抜け出そうとするアジアの決意から生まれたものだ。
古い大国は今もG8で勢ぞろいするが、こうした集まりは、より包括的なG20の集まりにお株を奪われ、影が薄くなっている。欧州連合(EU)が地政学的に無意味な存在に近づいているため(ここでテスト:EUの新しい大統領と外相の名前を挙げてみよ)、もっぱらの話題は今、米国と中国から成るG2に関するものになっている。
そうした予測は、よくても時期尚早だ。過去10年間の重要な教訓の1つは、世界は一直線には進まないということである。筆者が会う中国の政府高官らは、自国の将来について、欧米の称賛者よりはるかに自信を持っていない様子だ。
とはいえ、オバマ大統領が北京を訪問した時に示した敬意は、中国をはじめとした新興国がいかに速く、そして遠くまで歩んできたかを物語る1つの尺度だった。
2世紀の間、世界の勢力の境界線は大西洋によって引かれていた。それは今、太平洋によって描かれている。
新興国同士の対立
新興国の内部でも、予想外の激変があった。経済成長は何億もの人々を貧困から救い出したが、通信技術の急速な進歩は、政治を片田舎の辺境の地まで運んで行った。ジミー・カーター元大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー氏は、この現象を「グローバルな政治的目覚め」と呼んだ。
専制君主たちは、どこにいても――中国を含め――いずれはその結果を感じることになるだろう。衛星テレビやウェブはいつの日か、世界的な民主主義に向かう旅路の始まりを刻んだと見なされるようになるかもしれない。だが短期的には、そうした目覚めの結果は危険なほどの不安定化を招く恐れがある。
東に向かう勢力のシフトが、西側諸国と、一部の人が「その他(the rest)」と呼ぶ国々との間の必然的な対立の前触れだと考えるのは誤りだ。それどころか、将来の対立関係は、既存の大国と新興国との間で起きるのと同じくらい、新興国同士の間で起きる可能性がある。
19世紀の欧州とよく似たアジア
アジアは、19世紀の欧州と不気味なほど似ている。当時の欧州は、半分埋もれた過去の憎しみから逃れようと苦しみ、あるいは簡単にはなくならない民族紛争や境界線紛争を解決しようとまだもがいていた。
我々は、20世紀に大きな傷跡を残した大国間の衝突を世界が過去に葬り去ったことを期待したい。だが、この期待が絶望的だと分かれば、米国と中国の戦争よりも、中国とインドの戦争の方がはるかに容易に想像できるというものだ。
楽観主義の兆しはある。現在、不安定要因が多々あるにもかかわらず、我々は通常考えられないほど平和な時代に生きている。1945年以来どの時期よりも、国家間あるいは国内の戦争で殺された人の数は少ない。
就任から1年が経とうとする今、オバマ大統領は最も危険な課題のいくつか――イランの核開発計画、アラブとイスラエルの対立、ロシアの拡張主義――を取り除くことができないと批判されている。しかし、これらの問題の多くはよくても抑え込むことしかできない、というのが本当のところだ。
オバマ大統領は、今姿を現しつつある多極的世界について本質的な事実を理解している。米国が世界の安全保障の不可欠な保証人であり続けるとすれば――そしてそれ以外の選択肢はない――、米国の力は新たな多国間の連携の中に組み込まれなければならない、ということである。
米国の力が及ぶ範囲の限界を理解することによって、大統領はやがてそれを維持することに成功するかもしれない。
新たな世界秩序
コペンハーゲンで開催されている気候変動サミットが落胆をもたらすことは間違いないが、気候に関する協議の真剣さは、世界各国が相互依存をはっきり認識していることを示している。中国の指導者たちが効果的なグローバルガバナンス(世界統治)について語る時も、もう1つの希望の光が見えてくる。
今ある選択肢は、力のある国々が協調的な多国間主義によって抑制される世界か、それとも偏狭な国家主義の対立によって引き裂かれた世界か、いずれかだ。
この10年間ですべてが変わった。次の10年間は、大国――既存の大国と台頭する大国――が新たな世界秩序の勝者であることを証明するのか、それとも犠牲者であることを証明するのかによって、その姿が描かれることになるだろう。
By Philip Stephens