星野進保NIRA理事長と筆者は、シドニーで開催された「アジア・リーダーズ・フォーラム」出席後、4月20〜22日までニュージーランド(以下NZ)に出張し、非核法を成立させたデービッド・ロンギ元首相をはじめとする当時および現政府関係者と懇談した。 NZは、米国の核の傘を自ら脱ぎ捨てて、核なき世界を主張し続けている。NZがどのようなプロセスを経て非核の道を選択し、その結果どのような影響が出たのか等につき関係者に伺った。ニュージーランドの非核法成立 1984年、NZでは、労働党が政権を国民党から奪取したが、イギリスのEC(欧州共同体)加盟や石油ショックの影響が後を引き経済は停滞していた。そこで、経済政策の不調を相殺する政策が必要であったために、非核政策が脚光を浴びたとの見方がある。 他方、非核法を成立させたロンギ元首相は、当時を回顧して、1984年7月のANZUS(太平洋安全保障条約)理事会への出席がかなわなかったこと、85年2月の米国海軍艦船の核兵器搭載通報拒否、そして85年7月のフランスの南太平洋での核実験が重なって、NZのナショナリズムと外国人排斥気運が高まり、国民世論の圧力が強くなったため、非核法が成立したと分析する。 さらに、ロンギ元首相は、NZ人にとっては、30年にわたるフランスの核実験を見せられたことで核兵器に強く反対することが生活の一部となり、西側の同盟に対しても疑問を持つようになっていったと指摘するとともに、これが西側同盟諸国による核兵器のNZへの持ち込みを禁止させる運動へとつながっていったとの分析を示した。 他方、NZは、南太平洋の非核地帯構想を積極的に推進し、いわゆるラロトンガ条約として成立させた。この条約が核保有国より認められるには時間がかかったが、現在はいずれの核兵器国もこれに署名している。また、この条約には、NZの問題意識を反映して、環境問題も書き込まれている。この結果、1990年にイギリスとマオリ族の協定署名150周年を祝うためにエリザベス女王が来訪したときも、核兵器搭載通報拒否に関連して、イギリス海軍に属するブリタニア号は同行せず、NZ国民をがっかりさせた。このエピソードを例に、NZの非核政策を非難する西側の首脳は後を絶たなかったとロンギ元首相は回顧する。 非核政策と同盟関係 1990年に成立したジム・ボルジャー国民党政権下では、対米関係の修復をめざして、非核法のうち核兵器の持ち込みを禁止する部分は維持しつつ、原子力推進艦船の寄港を禁止する部分は緩和することを検討したが結局緩和はされなかった。 このような政策をとったことで、米・NZ関係が悪くなったことは言うまでもない。ANZUSを構成する三辺のうち、米国は対NZ防衛義務の遂行を停止し、米・NZ間の同盟は、事実上終結された。しかしながら、NZが非核政策を打ち出した後も、米国は、比較的抑えた対応をし、経済・貿易制裁などの経済面への波及はせず、米・NZ経済関係は順調に推移してきている。他方、両国の政治・安全保障関係を見ると、ハイレベルでの外交・防衛・政治的接触が1985年から94年までの約10年間にわたって凍結された。 NZの対米関係の修復の糸口の一つとなったのは、1993年11月のシアトルにおけるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)非公式首脳会合でボルジャー首相とクリントン大統領との会談が実現したことである。アラン・ポレッティ オークランド大学物理学部教授は、原子力推進艦船の安全性に関する委員会が、こうした原子力推進艦船が科学的に危険ではないと発表したことが、米・NZ関係の改善に寄与したと解説する。これを契機として、米国の対NZ関係の見直しが始まり、94年2月に、米国側は両国間のハイレベル接触に関する制約を撤廃して、95年3月にはボルジャー首相の公式訪米が実現した。非核法は、NZ国民の強い反核感情に支持されその改正の見通しがないため、「解決されていない問題(unfinished business)」とされているが、米・NZ関係は近年改善されてきている。 他方、ANZUSの一辺である米・NZの同盟関係は中断されたままでもある。しかしながら、NZは湾岸戦争にも派兵し、さまざまなPKO(国連平和維持活動)にも参加している。共同演習こそ再開されていないが、PKOでは米国との共同行動がとられている。 ニュージーランドの核なき道 NZは、南太平洋という国際的には隔離された環境にありながら、中立を選択せず、国際主義をその方針としてきた。同国は、国連の創設メンバーでもあり、集団的安全保障を安全保障政策の骨格としてきた。核政策では、核不拡散ならびに核軍縮を積極的に推進している。NZは、1995年には、ムルロアにおけるフランスの核実験再開に対していち早く政府、民間レベルでの強い抗議を展開し、97年には、日本のガラス固化体返還輸送が南太平洋ルートで行われた際に、政府、マスコミ、環境団体が輸送船パシフィック・ティール号の経済水域域外航行を強く要求したり、返還輸送そのものに反対する動きをとった。 また、現政府関係者によれば、NZは、核実験全面禁止の実現に向け、CTBT(包括的核実験禁止条約)交渉に力を入れてきた。現在は、同条約の批准を強力に推進する一方、カットオフ条約の実現を次の段階として重視し、短い期間での成立をめざしている。一方、1998年秋に、NZは、国連において3本の核兵器関連の決議案を提案している。第1に、南アジアにおける核実験を非難する決議案、第2に、国連総会でCTBTについて討議することを提案した決議案、第3に、通称New Agenda Coalitionによって共同提案され「核兵器なき世界をめざして」と題されたNew Agenda決議案であり、すべて採択された。 ロンギ元首相は、NZの防衛はオーストラリアを頼りにし、国防はcivilian assuranceでよいとする。これは、NZが主要脅威国から距離が離れており、攻撃される可能性が低いことによるものである。また、同元首相は、依然中断されているANZUSについては、冷戦後の現在、もはやこの条約自体がレレバンス(関連性)を失なった「死文書」だとし、NZの軍隊の派遣も、PKOへの兵站業務や南太平洋島嶼国がハリケーンに見舞われたときの救援程度であると指摘する。むしろ、懸念すべきは核兵器がテロリストの手に渡り、使用されることであろう。 核兵器軍縮、廃絶への努力についてポレッティ教授は、原子力推進艦船寄港まで禁止するのは科学的には意味がないとしつつ、現実的な道は、核兵器が存在することを受け入れ、核兵器を持つ国を減らすことであろうと語る。また、NZでは原子力発電を行っていないが、日本のようにエネルギー需要の過半を輸入燃料により満たさなければならない国では原子力発電を継続することは理にかなっていること、さらに原子力発電が地球温暖化問題に貢献する等の見解も示した。 このように、非核政策を熱っぽく語る政府関係者も、その核なき世界への道は、他の国々に輸出できるものではないと認めており、即、わが国に適用できるものではない。しかし、米国との同盟関係への影響必至という覚悟を決めて踏み切ったその姿勢は、自国の自衛権の発動、集団的安全保障への貢献には制約があり、かつ核の傘の下にいる日本にとって一つの参考にはなる。特に、非核法を堅持する一方、諸外国と連帯して、国際平和のために真摯な努力を続けるNZの努力は、尊敬に値する。NZの軍縮努力は、専任の軍縮軍備管理大臣を設けていることに表れているように極めて熱心であり、核兵器に関するNew Agenda Coalitionにとどまらず、化学兵器廃絶、2001年の小火器軍縮会議への協力等に及んでいる。防衛については、オーストラリアとのパートナーシップを維持して、豪・NZのCER(密接経済関係)と並行してCDR(密接防衛関係)を結んで共同演習を実施するほか、インターオペラビリティ(相互運用可能性)の改善、防衛計画の立案などの協力を行っている。 おわりに 以上の点で、今回のNZ訪問は、極めて示唆に富むものであった。懇談の最後に、自分が推進してきた非核政策を振り返り、静かな口調で「私は一人の政治家として自国のために必要と思われることを覚悟をもって実施したにすぎない」と述べたロンギ元首相の述懐が今も心に残る。 |