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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2189
インターネットを通じて知り合ったサウジアラビアの男性と結婚を考えています。でも、父は『ネットで出会うなどけしからん』と、大変な勢いで怒っていて取り合ってくれません。私は、ムスリマ(イスラム教徒の女性)として許されないことをしているのでしょうか」
カタールのドーハに本拠を置く非営利のウェブサイト「イスラム・オンライン」に寄せられたオーストラリア在住のエジプト人女性の悩みだ。パートナーとの出会いも、悩みの相談も「ネットで」というのが、いかにも現代的だ。
【ネット上に宗教相談の窓口】
「イスラム・オンライン」はイスラム系ウェブサイトの草分け的存在。1996年に「ネットがイスラム教に与えるプラスのインパクトを示すため」のプロジェクトとしてカタール大学の学生と教授が開設。その後、著名なイスラム法学者ユースフ・アル=カラダーウィーが趣旨に賛同して支援したこともあり、最も人気あるイスラムサイトの1つとなっている。
自らの行動が教義に反していないか、かつては、モスクの指導者に意見を求めた。今は、インターネットでも簡単に法的解釈を検索できるようになった〔AFPBB News〕
イスラムに関する世界のニュースを一覧できるほか、映画・旅行などの娯楽や健康や家族に関する話題など幅広い情報提供をしている。さらに、宗教に関する相談窓口も開設し、専属のイスラム知識人たちがカウンセラーとして、医学やコミュニケーション学などそれぞれの専門知識も織り交ぜながら、実に親身なアドバイスを行っている。
宗教が生活に根ざしているイスラム世界では、イスラム教徒は自分の日々の行動が「教義に反していないか」「許容範囲内であるか」を常に意識している。判断に迷う時には地元のモスクを訪ね、イスラム指導者の意見を聞くのも、ごくごく日常的な光景だ。イスラム指導者は、長年にわたって「イスラム教徒として生活していく上で身近な頼れる存在」として、尊敬を集めてきた。
ところが、イスラムサイトの登場によって、地域の指導者の権威は相対的に低下している。というのも、冒頭に紹介したエジプト人女性のように、ネットを使って著名なイスラム知識人に意見を求めることができるので、モスクにいる指導者だけが、唯一の頼れる存在というわけではなくなってしまったのだ。
【宗教解釈のデータベースからセカンドオピニオンを検索】
〔AFPBB News〕
ウェブサイトでは、過去の相談内容やその回答など、イスラム法に関する法的見解(ファトワ)がデータベース化されている。このため、大抵の問題は、ネット上で過去のファトワを読むことで解決することもできる。わざわざモスクまで足を運ばなくとも、医療の世界で言う「セカンドオピニオン」が手に入るようなものだ。
イスラム世界には、カトリックなどで見られるような形での宗教的な「権力機関」も特定の「聖職者」も存在しない。イスラム指導者は、あくまでも「学者」であり、神によって定められた「聖職者」ではない。中央集権的なヒエラルキーも、それによってランク付けされた聖職者も存在しない。従って、唯一絶対の統一的な見解というものも存在しない。
イスラム教徒は、数ある見解の中から自分にとって「一番信頼できる」「しっくりくる」と思うものを選んでそれに従えばよい。ファトワのデータベース化によって、セカンドオピニオン、サードオピ二オンを知ることができるのは、イスラム教徒にとって、実に都合のよい仕組みなのだ。
さらに、ネットサーフィンすれば、短時間で著名なイスラム知識人たちの見識を収集することが可能だし、最近では、コーランはもちろんのこと、預言者ムハンマドの言行録であるハディースを収録したデータベースソフトも広く出回っている。普通のイスラム教徒が、こうしたものを活用して、自分なりの解釈をすることも不可能ではない。
【インターネットがイスラム教に宗教改革をもたらす】
米カリフォルニア州立大学リバーサイド校助教授でテヘラン出身の宗教学者レザー・アスラン(Reza Aslan)は、「ネットによって、イスラム指導者による宗教的解釈の独占が、個人によって急速に浸食されている」と説明。キリスト教に500年遅れて、イスラム世界でもようやく「宗教改革」が進行しつつあると論じている。
グーテンベルクが発明した活版印刷技術により、1400年代後半になって急速に印刷聖書が普及、聖書の研究が盛んになったことが16世紀以降の宗教改革の土台となった。21世紀のインターネットの普及は、イスラム教徒に活版印刷の発明以上のインパクトをもたらしている。
テロリストもネットをフル活用している(ウサマ・ビンラディン容疑者)〔AFPBB News〕
もっとも、インターネットを積極的に利用してイスラム的見解やメッセージを伝えようとするのは、穏健なイスラム知識人ばかりではない。国際テロ組織アルカイダを率いるウサマ・ビンラディン容疑者は、宗教指導者でないにもかかわらず、ファトワを発表し、多くの若者を2001年9月11日の米同時多発テロに駆り立てた。
ネットがもたらしたイスラムの宗教改革は、まだ始まったばかりだ。イスラムの新たな解釈、そして再解釈をめぐっては、今後もイスラム世界内部で数多くの衝突を生み出すことになるだろう。暴力に発展することも容易に想像できるし、(起こってほしくはないが)犠牲者が発生することもあり得る。
非イスラム世界に住む私たちは、「イスラム社会は宗教によって律せられた旧態依然とした変化の乏しい世界」と思い込みがちだ。しかし、実際には、新しい情報通信技術によって、イスラム世界が史上初めての大激動期にさらされているということを理解した上で、イスラム社会と向き合う必用があるのではないだろうか。