エリック・トゥーサン、ダミアン・ミレ、ルノー・ビビアン イスタンブールでのIMF(国際通貨基金)と世界銀行の年次総会は、弾圧の空気の中で終わった。二日目、この機に動員された一万人の警察官はデモ参加者に対して放水銃、催涙ガス、戦車を使用した。同じシナリオがピッツバーグでのG20でも演じられた。G8に代わるこの会議に反対するデモも、警察部隊によって暴力的弾圧を受けたのである。 IMFと世界銀行は、G20がこの二つの機関(IMFと世銀)の中での投票権を変更する決定を行ったわずか数日後に、こうした論争の的となる会議を開催した。G20の決定とは、IMFの割り当ての五%と世界銀行の投票権の三%を、二〇一一年一月までに新興国と途上国に移譲するというものだった。現在の投票システムは、「南」諸国と社会運動の双方から批判されていた。それは「一ドル=一票」ルールに依拠するものであり、どの国も一票しか持てない国連総会とは全く違うものであった。 IMFの運営責任者であるフランス社会党のドミニク・ストラウス・カーンにとって、これは「歴史的決定」だった。しかしCFDTM(第三世界債務帳消し委員会)にとって、これは気味の悪い冗談にすぎない。実際のところ、この修正は二つの制度内の力関係を変えるものではない。 たとえば、この変更の主要な受益者の一つである中国は今や投票権の三%を持つことになったが、一六%以上を持つ米国にはほど遠い。それは米国に事実上のすべての主な決定への拒否権を与えるものなのである。サブサハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ)アフリカの二十四カ国を代表し、約二億二千五百万人の人口を擁するルワンダグループは、投票権の一・三九%しか持っていないのだ! こうしたメディアの大げさな報道によるニセ改革が、IMFと世界銀行を民主主義的組織に変えるものではないことを理解するためには、鋭い数学者になる必要はない。彼らは、現在のシステムが米国の同意なしには変えられないことを考えて、これまで民主主義的になることができたのだろうか。 事態を悪化させているのは、一九四四年以来暗黙の合意にしたがって、世界銀行の総裁はつねに米国の市民であり、IMFの責任者はつねに欧州人だったことである。深刻なまでに非民主的な投票権の配分と結びついたこうした権力の分有は、IMFと世界銀行が全世界に利己的な政策を押し付けるために西側諸国が握る道具だ、ということの証である。
経済危機で救済 された2組織 世界銀行とIMFは、その正統性の深刻な危機を経て、グローバルな危機のおかげで命拾いをすることになった。二〇〇四年から二〇〇八年にかけて、商品価格のきわだった高騰により一部の開発途上国は外貨保有を増やし、これら諸国は債権国への債務を先払いし、面倒な監督を取り除くことができた。 しかし二〇〇八年末以来、グローバル危機が情勢を根本的に変えてしまった。ひどい危機に見舞われた国のリストが増え、G20はIMFと世界銀行をグローバルゲームの中心的アクターとして復活させた。ルーマニアはIMFの圧力に屈し、短期的緊急策に対処するローンを受け取るために、公務員所得の一五%削減などの福祉破壊政策を実施した。 二〇〇八年以来、同様のことが約十五カ国で起きた。世界銀行は、幾つかの気候変動ファンドを設立することにより、環境危機の受益者となった。しかし世界銀行は森林破壊、鉱山開発計画に資金提供を続けている。 二〇〇八年を通じて、クリーン・エネルギーのためのファンドは、一六五%以上増えた非再生可能エネルギーに向けられた資金額の五分の一以下なのである。 次に、グローバルな規制の中心的権威と自称するG20は、IMFの正統性を復活させようとする企ての決定的な部分を担っている。G20は、さる四月のロンドンサミットでIMFが利用できる資金を三倍に増やし、ピッツバーグサミットの結果としてその任務を拡大させた。こうしてIMFは、「国際的な金融の安定と経済成長を促す」ためにグローバル経済を監視する努力の中心に据えられることになった。 イスタンブールサミットでは、「すべてのマクロ経済政策とグローバルな経済の安定に影響を与える金融業に関連した政策へのIMFの権限を再評価」することが決められた。かくしてIMFは、「改定された是正措置を取らなければならない諸国への経済政策を勧告」しなければならない。IMFの勧告がどのようなものになるのか想像するのは容易なことである。 二〇〇九年六月、IMFはユーロ圏で実施された政策へのコメントを行なった。「労働時間の短縮と社会的給付の増額を支えるための措置は―所得を支え、労働力を労働市場と結びつけるために重要ではあるが―撤回可能性を組み込むべきである」。 再度新自由主義 政策を押しつける 世界銀行の報告「ドゥーイング・ビジネス 二〇一〇」は、社会的保護プログラムに反対して諸国に警告を発し、その社会的保護政策を発展させようとする政府を「反競争的」と呼ぶなど、いっそう露骨なものである。「ワシントン・コンセンサス」は、失敗の繰り返しにもかかわらず新自由主義のある種の掟であり、「支援」を求める国へのIMFと世銀による法外な注文なのである。 しかし一九八二年の債務危機以来、南の諸国で実施された構造調整政策の失敗は、IMFと世銀を非難するに十分なものがある、というべきである。貧困と不平等が拡大し、債務問題は解決どころではなかった。さらに悪いことに、新しい債務危機が起こりつつあり、それは国家予算の中で債務返済にあてられる部分を増加させるだろう。 政府が、人間の基本的ニーズを満たし、民衆のためにはならない債務の正統性のない部分を無条件に帳消しするために、債務の大規模な監査を開始しなければ、こうしたことが起こるだろう。こうした監査は、IMFと世銀が実施する灰色の政策に対する最初の、そして決定的な挑戦である。われわれは今こそ、IMFや世銀を真に民衆の利益に配慮する機関によって置き換えることを要求しなければならない。 (2009年10月12日) (CADTMニューズレターより)
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