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「不敬罪」と「だれもが敬愛する国王」 タイ (かけはし)
http://www.asyura2.com/09/kokusai4/msg/227.html
投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 5 月 04 日 16:15:00: mY9T/8MdR98ug
 

http://www.jrcl.net/web/frame090504f.html

情景のもう一つの側面
タクシン元首相派と軍部をバックにした民主市民連合との抗争

ダニエル・サバイ


解説
政治情勢を規定する
王制とイデオロギー

 タクシン元首相派と軍部をバックにした反タクシン派(PAD、民主市民連合)との国家を二分する抗争を背景に、タイの政治情勢は混乱と危機の度合いをさらに深めている。昨年の反タクシン派による首相官邸占拠(8月)、国際空港占拠(11月)に続き、さる四月にはタクシン派(UDD、反独裁民主戦線)がパタヤで開催されていたASEAN(東南アジア諸国連合)関連会議場に突入し、会議がすべて流れるという異例の事態が起こった。
 新自由主義的な新興都市エリート層を基盤とし、東北部の貧しい農民や都市貧民層の一部にも支持されたタクシン派と、軍部や国王を背景にした伝統的支配層に支えられている反タクシン派との激しい対立の性格については、基本的には政治支配層内部の新旧二大ブロックの抗争という性格を持っている(本紙08年 10月13日号、ダニエル・サバイ/ジャン・ダヌクの論文参照)。
 ここに掲載するダニエル・サバイ論文は四月の衝突以前に書かれたものだが、こうしたタイの政治情勢を規定する重要な要因である王制とそのイデオロギーが果たす役割について興味深い分析を行っている。この論文でサバイが指摘している軍部勢力による「不敬罪」による言論弾圧については、朝日新聞4月24日 10面の「タイ『不敬罪』頻発」と題する記事でも言及されている。(本紙編集部)


牧歌的イメージ
の深刻な亀裂

 タイの牧歌的イメージは深刻な亀裂を見せ始めている。バンコクの二つの空港の占拠、選挙で民主的に選ばれた二つの政府の連続的な転覆をもたらした最近の相次ぐデモは、平和的で進歩的な国家というイメージを侵食してしまった。
 チェンライ大学の准教授で著述家でもあるハリー・ニコライデスは、この数カ月タイの獄中で呻吟してきた。彼の罪は何なのか。彼はタイの現国王の息子であるバジラロンコン王子の放埓な生活に示唆を受けた小説を書いた。名指しはしていないがそれが王子だと認識でき、王子は憤慨した。
 その結果はどうだったか。懲役六年である(ハリーが罪状を認めたことで懲役三年に変更された)。そして彼の母国であるオーストラリアからは何の抗議もなかった。米国のような友好国は今までタイ政治の現実に目を閉ざしてきた。彼らは冷戦以来、この敏感で傷つきやすい地域で忠実な同盟国だったタイから利益を得てきたからである。
 ハリー・ニコライデスの事件は特別なことではない。今や数え切れないほど多くの人びとが、すべての支配体制が認める公式のプロパガンダとは違った観点をあえて表明したとして投獄の脅しにさらされているのだ。ターゲットとなっている人びとの中には、BBC通信員でチュラロンコン大学の准講師、そして左翼活動家であるギル・ジ・ウンパコンもいる。彼は、『金持ちのためのクーデター』と題した著書で王制を侮辱したとして告発された。「不敬罪」で告発されたギル・ジ・ウンパコンなどを防衛し、この法律に反対して表現の自由を求める連帯キャンペーンが開始された。
 タイは旅行パンフレットに描かれているような牧歌的な国ではない。タイは「不敬罪」やメディアの自主検閲、学校を通じて市民を圧迫する教科といった効率的メカニズムに依拠した独裁体制なのである。

拡大する「 不
敬罪」の適用

 民主主義的権利の前進に応じて王制の役割が削減されてきた諸国では、「不敬罪」はなくなる傾向にあった。タイに関するかぎりこの傾向はまさに逆向きである。ここでは「不敬罪」は最も重大な犯罪である。毎年、国王、王妃、その子供たちに背いたとして人びとが逮捕されている。国王、王妃、あるいはその後継者たちの一人を中傷し、侮辱し、脅かしたとして有罪を宣告された人びとはだれでも、懲役三年から十五年という判決を科される。それは世界で最も抑圧的な法律の一つである。
 「侮辱」という用語は、だれに対しても真の弁明もないままに判決を科すことを可能にする故意にあいまいなものである。記録を見るとそれが日常的に使われていることが明らかになる(2005年だけで17件)。二〇〇六年九月十九日のクーデター以後、とりわけ二〇〇八年には明らかにその使用が拡大された。これは単なる偶然ではない。こうしたことは一九七六年の弾圧でも見られたことだった。したがってこの「不敬罪」は異論を沈黙させる道具なのである。

民主主義の後退
とクーデター

 二〇〇六年九月のクーデターは、軍部が二〇〇一〜二〇〇六年の幕間劇と見なしたものを終結させようとした企てと捉えることができる。軍部が設定した目的は汚職で告発された前首相タクシン・シナワトラを打倒することであったが、実際にはその主要なターゲットは一九九七年憲法が打ち立てた政治制度にあった。
 この時期にタイでなされた民主主義の前進は一掃される途上にある。軍部の指示で書かれた新憲法は、裁判所がある党のメンバーの一人を違法行為で有罪と見なしたならば、その党は解散される可能性があるなど、民主主義が機能する上で重大な障害となる条項を含んでいる。この可能性はすでに二度、タクシンの党である「タイ・ラク・タイ」(TRT、タイ人はタイを愛する)とその後継政党である国民の力党(PPP)に対して行使された。
 しかしこの変化は、政治的反対なしで行われたわけではなかった。非常に強力なプロパガンダにもかかわらず、軍部は大衆に対してクーデターの正統性を納得させられなかった。まったく逆だった。
 タイの歴史で初めてのことだが、労働者と農民は政党であるTRTが彼らのためになる措置(実質的な無料保健制度、農民などの債務支払い猶予)を実行しているという意識を持ったのである。したがってクーデターは、民衆諸階層に有利な投票結果を否定する不正行為だった。

権威主義的制
度を守る法律

 軍部と官僚に奉仕するこの政治的構造の中で、王制はつねに国家の統一を保障している。第一の公理は、タイは王制を必要としているということである。この公理に立ち向かう者はだれでも、憲法が一方でタイは王制であると宣言し、他方で憲法によって定められた政権の様式を守ることはタイ市民の義務である(原文のママ)としているかぎり、自らを憲法の外に置くことになる。
 王制の威信を擁護するという名目で、「不敬罪」はあらゆるオルタナティブな政治表現を抑圧するために使われてきたし、軍部と官僚にとっては彼らが打ち立てた制度の政治的安定を保障するものである。
 それが民衆の主権を犠牲にして行われたものであることはもちろんだ。政党は「憲法によって定められた政権の様式」を支持した場合にのみ認められる。王制の役割について議論することは、王制への侮辱と見なされる。完全に不透明な王室の莫大な財産を管理している「王室資産局」の役割について、疑問を呈する機会などない。
 タイの政治一般、あるいはとりわけクーデターの時期における国王の「枢密院会議」の役割と位置について疑問を呈する機会もない。クーデターが王室勅令によって正統化された事実に疑問を投げかけることなど、なおさらできないのだ。共和主義者や共産主義者を自認することは犯罪である。こうした条件の下で、あえて権威を拒絶し、十五年の投獄の危険を冒す者はほとんどいない。そして、すべての憲法があれこれの形式で公式には表現の自由を保障しているにもかかわらず、タイ人に対しては事実上思想の自由は禁じられている。
 タイ政府が、理論上保障している唯一の自由は、宗教の自由である。それが理論上だけだというのは、宗教の教えに「従わない」ことを禁じており、ムスリムが多数派である南部諸州で内戦が吹き荒れているこの国では、仏教徒であることの方が良いからである。

書き換えられ
た国家の歴史

 タイのエリートたちにとって不変なものの一つは、彼らが民衆諸階級に対して抱いている侮蔑である。民衆は、教養がなく民主主義への用意がないと判断されている。こうして一九七〇年代以後、民衆に国民的イデオロギーと市民としての義務を教え込むために民衆教育プログラムが実施されてきた。権利や自由についての言及は、そこには存在しない。
 王制がタイにおける民主主義の前進を促進し支持したと装うために、歴史が書き換えられた。国王のイメージは、彼が高い道徳的権威を持った人物であり、国家の統一と安定の保証人であると押し出すために修正された。三つの特別な側面が強調された。国王は農村の無数の開発プロジェクトと関連づけられ、王は「庶民」や彼らの困難に心を寄せていることが示された。その目的の一つは、北部ならびに東北部の農民と、首都バンコクのいわゆる「文化的」な住民との間の緊張を緩和することだった。
 ブミポン国王は、正統派の仏教とも結びつけられてきた。王制と社会的階層制を正当化するスコタイ王朝時代(1250〜1350年)の文書が発掘された。最後に、国王とタイ国家を賛美する大規模なセレモニーが、彼の統治期間全体にわたって華々しく行われた。
 国王はどこでもいつでも、農民たちに最大の貢献を示す父として(彼がタイの最も辺鄙な地にも訪れている姿が見られる)、文化の人として(彼はサキソフォンを演奏し、写真家である)、科学の人として(彼は充足した経済というニセ理論の企画者であり発明家であるとタイ人は信じている)、ブッダの教えを尊重する敬虔な人として押し出す、見事に仕組まれた文脈の中で登場する。
 タイ人は、赤ん坊の時から王、ブッダ、国家の三点セットで育てられる。国王の巨大な肖像、タイ国旗、ブッダの像から逃れられる場所はタイには存在しない。公共の場所、店舗、個人の家、自動車はこの三点セットの象徴をまとっている。
 午後六時になると、毎日すべてのメディア、街頭、公共の場所で国歌が放送される。まず初めにこの国歌を聞くために起立しないで遊びにいったり映画を見たりすることはできない。子どもたちは毎朝学校で国旗を掲揚し、国歌を歌い、そして夕方に国旗を降ろす時同じことをする。
 こうしたことに疑問を呈するのは、きわめて無謀なことだ。チョティサク・オンソーンは身をもってそれを学んだ。二〇〇六年のクーデターに反対した活動家であり、自らを左翼、共和主義者と見なしてきた彼は、二〇〇七年九月二十日に映画館で国歌が演奏された時に座ったままでいると決めた。彼は隣にいた人から起立して敬意を払うよう呼びかけられたがそれを拒否し、「不敬罪」で告訴されたのである。

自主検閲の風潮
を作り出す効果

 こうした厳しい抑圧は、支配的メディアとの共謀ぬきにはタイ社会に強制できない。「不敬罪」は、タイのジャーナリストたちが制度的機関への批判を恐れるほどに自主検閲の風潮を作り出す効果をももたらした。体制側は検閲の必要がない。ジャーナリスト自らがその仕事をやっているからだ。敢えて王制を批判した「エコノミスト」誌のような海外雑誌は、タイのパートナーが配布しないということになっただけだった。
 タイの新聞では、タイ語の新聞であろうと英字紙であろうと、ジャーナリストたちは「微妙な」主題については展開しないということを経験をもって学んだ。王制への批判的姿勢を擁護する新聞はない。そうしたことは最善でもジャーナリストとしてのキャリアを犠牲にすることになるし、最悪の場合には数年間の投獄を意味するからだ。
 経済的利害がかかっているということも非常に重要だ。企業が支払う国王賛美の広告は、新聞に巨額の収入をもたらす。一部の大メディア企業は株式市場に上場されており、無作法な記事がもたらす危険の可能性という問題に悲観的な態度を取っている。
 こうしてすべての新聞は、王制に対して同一の積極的イメージを与えている。こうしたことは、国王が完全無欠の道徳的な人物であり、彼の「臣民」の福祉のみを求める私心のない人物だという考え方を広げる役割を果たしてきた。それはまた、だれもが国王を敬愛し、王制や、国王や彼の家族、友人、顧問を批判する理由はないという考え方を住民の間に発展させることになった……。疑いや保留の余地は残されていない。
 こうして二〇〇八年一月二日に国王の姉であるガルヤニ王女が亡くなった時、「ポスト・トゥデー」紙の一月三日付論説は次のように述べた。「王女の死の日にあたり、だれも涙をおさえることはできない。……だれもが受けとった年末・年始の祭りの喜びは消え失せてしまい、すべてのタイ国民の涙にとってかわった。……だれもが受け取った新年のお祝いは蒸発してしまい、すべてのタイ国民の悲しみにかわったのである」。

軍に支えられた
アビシット政権

 民主党の党首であるアビシット・ベイジャジバフが率いる現政権は、「不敬罪」の適用を支持してきた。彼の党は国内の少数派であり、十年以上にわたって選挙で勝利したことがない。民主党は、タクシンの実施したより貧しい人びとへの厚遇措置を批判する野党として時を過ごしていたのだから、それはとりわけ驚くべきことではない。それとは逆に彼らは二〇〇六年のクーデターを支持し、次にはPAD(民主市民連合)によるデモ(訳注:昨年起きた反タクシン派の首相官邸占拠・空港占拠)を支持したのである。
 アビシットはそれと引き換えに軍と国王からの支持を取り付けた。親タクシン派の一部の議員は賄賂を受け取り、アビシットが僅差で首相ポストを手に入れることを可能にした。アビシットはその返礼に彼のスポンサーに巨額の報償を与えた。こうして日本への訪問で、彼は主要な投資者に対してタイ王国は再び「軌道に乗った」ことを納得させようと試みたのである。
 アビシットは、ロヒンギャ人(ビルマの少数民族)移民の状況について質問を受けた。タイの兵士はビルマでの迫害から逃れてきたこのムスリム移民を食糧や水も与えず、時には背中に手をまわして縛り、海に投げこんだとして告発されている。アビシットは質問者に対して、もしタイの当局者が不当行為に関与したのなら追及すると保証したが、人権が侵害されたという証拠は存在しないと強調した。「告発はこれらの人びとの話だけに基づいたものであり、それ以上ではない」と。
 しかし、この話には根拠がないわけではない。三週間も漂流し、飢えて脱水症状となった百九十八人のロヒンギャの人びとを受け取ったインドネシア当局者の証言がある。彼らはタイの兵士によって強制的に海に連行され、モーターにないボートに乗せられたのである。幸運ではなかった少なくとも六百人のロヒンギャ人が亡くなった。
 アビシットは首相就任以来、こうした民主主義への攻撃を支持することを拒否したすべての人びとに対する十字軍を出発させた。その目的はすべての潜在的反対派を沈黙させることだ。数週間のうちに幾千ものインターネットサイトが閉鎖され、数多くの人びとが「不敬罪」で有罪判決を下された。「ファー・ディアウ・カン」や「プラチャタイ」などのオルタナティブ・インターネットサイトはもはや体制への脅威ではないが、統制され、脅され、事実上閉鎖された。
 二〇〇六年九月十九日のクーデターから二年半経ち、軍部はもはや直接権力の座にあるわけではないが、彼らは最終的にクーデターで勝利を収めたのである。彼らはかつてよりも強力であり、軍と手足を結んだ政府を意のままに扱っている。アビシットは軍の利益に奉仕するカイライにすぎないのだ。

▲ダニエル・サバイは在バンコクの「インターナショナルビューポイント」通信員。
(「インターナショナルビューポイント」09年4月号)

 

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