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ベルリンの壁が「崩壊」したのは、1989年11月9日。
11月9日です。
「水晶の夜」と同じ日です。
これは、偶然でしょうか?
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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=815085&media_id=4
ベルリンの壁崩壊、仕組まれる?=「東独幹部が質問要請」と記者証言
(時事通信社 - 04月21日 15:01)
【ベルリン21日時事】「ベルリンの壁」が崩壊するきっかけとなった旧東独スポークスマンの記者会見での発言を引き出した記者がこのほど、ドイツのメディアに対し、「東独幹部から事前に質問を要請された」と証言した。事実なら、壁崩壊の引き金となった会見が仕組まれたことになる。ただ、この幹部とされる人物は2006年に死去しており、真相はやぶの中だ。
東独国民の国外脱出が急増する中、支配政党・社会主義統一党のシャボフスキー政治局員は1989年11月9日の記者会見で、国民の海外渡航制限を緩和する旅行法について説明。イタリアのANSA通信の記者だったリッカルド・エールマン氏(79)の「いつ発効するのか」との質問に、同政治局員は「直ちに」と回答した。
発効予定日は実際は翌10日だったが、このニュースが伝わると東ベルリン市民が壁に殺到。東西ベルリン間の通行が事実上、自由化され、壁は崩壊した。
エールマン氏によると、会見直前に党幹部から電話があり、「旅行法に関する質問を忘れるな」と促されたという。同氏は「質問は偶然ではない」と述べた。この幹部は、東独国営通信を率いていたギュンター・ペチュケ氏と伝えられている。
一方、シャボフスキー氏は、発言は自然な質疑応答の中で出たと強調。エールマン氏の「新説」は「全くばかげている」と否定している。
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私は、11月9日にベルリンの壁を「崩壊」させたのは、当時のアメリカ、イギリス、フランス、そしてソ連の「方針」による物だったのだろうと思ひます。
同時に、当時のブッシュ・アメリカ大統領(父)は、もしかすると、強硬路線を行く当時のイスラエルに対して、彼ら(シオニスト勢力)が意識するこの日(11月9日)に、あえてユダヤ人が神経を尖らせて来たドイツ再統一の第一歩である「壁の崩壊」を起こさせ、中東和平に抵抗するとアメリカと衝突する事を警告したのだと、私は見て居ます。
考えすぎでしょうか?
西岡昌紀
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise.html