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A級戦犯分祀問題について
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/438.html
投稿者 松岡竹童 日時 2015 年 2 月 23 日 09:12:52: 6feYd/iNgrqtw
 

「天皇の為に、国の為に、命を捧げるのは男子の本懐である。」と言う、「戦前の軍国主義」の教育を受け、特攻隊を血判して志願した経歴を持つ会長が、戦争末期の特攻隊員の心情について触れておくことにする。当時の若い特攻隊員の殆どは、神州不滅を信じ、日本の危機を救わなくてはならないと言う、崇高且つ至純な使命感のもとに、「数多の志願者の中から選ばれて、天皇の為に、神州を守る為に、命を捧げる栄誉ある機会を与えて貰った自分達は最高の幸せ者である。」と、喜んで敵艦に突入した若者達である事を忘れてはならない。日本が降伏するなど、彼等には全く想像もつかない事であった。戦死した後は「靖国神社に神として祭られ護国の鬼となる」覚悟のもとに、花と散ったのである。日本が降伏する場合も有り得ると認識していたら、特攻などやる者は一人もいなかったはずである。彼等の当時の死生観は、自らの尊い命を捧げる事で、多くの命が救われる事を願ったもの、つまり、神州を外敵の蹂躙から守り抜こうとする純真なものであった。

因みに、戦前・戦中の日本においては、神国は絶対に負ける事はない。最後は必ず勝つのであるから、日本が外敵に降伏する事など絶対に有り得ない。よって、生きて虜囚の辱めを受けることは、軍人として最大の恥辱であり、一家眷族は世間に顔向けが出来なくなる。「忠ならんと欲すれば孝ならず」などは間違っておる、忠孝一致である。親は子供が戦死した場合は、不肖の子が天皇のお役に立っことが出来て有難いと喜ぶべきであるとされた。そして「海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、おお君(天皇)の辺にこそ死なめ、かえりみはせず。」「武士道とは、死ぬ事と見つけたり。」「七生報国(一回だけ戦死した位では君恩に報いた事にはならない、七回生まれ替わって君恩に報い奉るべきである。)」の文言がもてはやされた。このような精神風土の中で育成された日本の軍隊は、天皇の命令(上官の命令)には絶対に従うという精神的な結束においても、皇軍としての矜持から発する軍律の厳しさにおいても、有史以来最強の軍隊であった事は間違いないものと思料される。

近代戦は国民全体が敵国と戦う総力戦であるから、仮に経済、産業、科学技術(暗号解読・レーダー等を含む)の総合戦力が日本と米国と同等であり、日本軍に米軍と同様の豊富な武器弾薬食糧が補給されていたと仮定した場合勝敗は明白である。日本の兵士は出征に際しては「勝たずば生きて帰らじ」「出征すれば死んで当たり前、生きて帰れたら運が良かった」の覚悟で、水杯で出征した。また、以上の思想は、一般国民の心の中にも浸透し、若者にとっては信念にまで止揚され、挙って軍人になる事を希望した。

軍国少年として教育された戦前の若者達の生活は、今日の価値観から見ると、思想統制により自由を剥奪された陰湿・悲惨なものであったと誤解される畏れがあるが、実態はさに在らず、その逆であった。「万世一系の慈悲深い天皇を頂点に戴く神国日本に生を受けた我ら若者は、諸外国の若者達と比べた場合、最高の幸せ者である。君恩に報いる為には、何時でも命を捧げる事が出来るように心身を鍛練して、学芸・武芸に励み、国運の隆昌に少しでも寄与出来る様に努力精進しなくてはならない。」という目的意識の基に、精神的には最高に充実した希望あふれる毎日を送っていたのがその実態であった。以上は、軍国少年としての戦前の教育を受けた会長の偽らざる証言である。

つまり、当時の若者はここまで天皇崇拝・天皇教にマインドコントロールされていたわけである。教育の力が如何に大きいものであるかを痛感させられる。ともかく、祖国のために命を捧げた数多の靖国の英霊の犠牲おかげで、今日の日本があるのであるから、次の本論で詳述のとおり、日本国民が「私人」として自由に参拝して、護国の英霊に感謝の気持ちを捧げる事は条理上当然の行為であり、何人たりと言えども、何等の制約をも受けるものでは無い事は論を俟たない。

合祀されているA級戦争責任者を分祀すべしとの論があるが、分祀の必要はないと思料される。参拝は個人の「私事」であるから、合祀反対者は参拝しなければよいだけのことである。

ここに、今日までの国際政治の現実は戦争の歴史であった。勝てば官軍負ければ賊軍であることは、歴史の示すところである。勝敗に関係なく、戦争そのものが人類の犯した大きな過ちであるから、茶番劇である極東国際軍事裁判(東京裁判)に基づく、「戦犯」「戦争犯罪者」等の用語は21世紀には使用されるべきではない。敢えて言えば「戦争責任者」の用語を用いるべきである。

今日の日本の平和と繁栄は、戦争の被害者である戦没者の犠牲の上にあるのであるから、終戦記念日に政府主催の全国戦没者追悼式に、総理・閣僚が公式参拝をして、戦争廃絶を誓い且つ祈念する事は当然の行為であり、悦ばしい限りであるが、更に一歩進めて、「特定宗教と関係のない、戦没者慰霊の為の国営墓地」を建設して、国家挙げて世界の恒久平和を祈念することは、正に戦没者の霊に報いることになるし、国家神道・天皇教と結びついた軍国主義日本の復活を懸念する近隣諸国の心配を払拭することにもなる。よって、早急な国営墓地建設が望まれる所以である。

なお、国営墓地における慰霊の対象は、軍人・軍属のみならず、広く民間人・外国人にまで範囲を拡大するべきである。かくすることが、世界の恒久平和を祈念する21世紀の日本の姿勢を世界に顕示することになり、世界平和への途に繋がるものである。吾人は「慰霊の原点は敵味方を区別しない寛容さに在る。」ことを忘れてはならない。

因みに、太平洋戦争の最高戦争責任者は、日本では陸海軍を統帥する大元帥として戦いを宣した昭和天皇(1901〜1989)であり、米国ではフランクリン・D・ルーズベルト米国大統領(1882〜1945)並びに、広島・長崎に原子爆弾を投下した、トルーマン大統領(1884〜1972)であることは自明の理である。敢えて昭和天皇とルーズベルト大統領との責任を比較すれば、太平洋戦争開始前に、澎湃として興った国家主義・軍国主義・ファシズムは、天皇以外は政府・軍部をはじめとして、何人たりとも押さえる事ができない物凄いエネルギーに迄高まってしまった当時の状況下における昭和天皇の立場と、米国民の大半が当時は参戦反対の立場を執っていたにも拘わらず、多数の米国民を犠牲にしてまで、日本の真珠湾奇襲を事前に了知していながら秘匿且つ受忍して、米国民を参戦に奮い立たせた、ルーズベルト大統領の立場との違いである。

更に、太平洋戦争における米英中ソ蘭などの戦勝国(連合国)側から見た場合の、東京裁判のA級戦争責任者は、日本側から見た場合は、日本が勝っておれば英雄に他ならない。日本が勝っておれば、ルーズベルト大統領並びにトルーマン大統領が米国の最高戦争責任者であり、ダグラス・マッカーサー元帥(1880〜1964)もA級戦争責任者であった。例えば、幼少時から陸軍幼年学校・陸軍士官学校在校中にかけて軍国主義を叩きこまれた、戦時中の東条英機首相(1884〜1948)は、彼なりに日本を心から愛し、天皇のため即ち日本国民のために、全身全霊を尽くして努力した人物である。そして、結果的には、祖国日本を防衛するためには、開戦を決意せざるを得なかったものと評価出来る。然しながら、戦勝国である中国側から見れば、侵略の元凶の一人に他ならない。つまり、いつまでも偏狭な祖国愛だけで21世紀の政治問題に対処するならば、世界平和への途は開けないということである。

付言すると、戦前・戦時中の殆んどの日本国民と同じく、天皇崇拝の国家神道・天皇教によってマインドコントロールされていた東条は、東京裁判では昭和天皇に戦争責任が及ばないように昭和天皇を庇護するため、全責任を一身に受けて従容として刑場の露と消えたが、今般昭和天皇はA級戦争責任者の靖国合祀に強い不快感を持っていたとの報道がなされている。戦前の2.26事件の際にも昭和天皇は、天皇を崇拝する皇道派の純真無垢な陸軍青年将校等の昭和維新を目指した決起行動に対して、青年将校等の心情を全く理解できず、重臣達を殺した暴徒とのみ決めつけて激怒した事実がある。これ等は昭和天皇の資質を示すものである。

世界に誇るべき平和憲法(但し1条から8条を除く)である日本国憲法を戴く日本国民は、国際政治の現実は戦争の歴史であったという、過去に犯した人類の大きな過ちを深く反省して、21世紀の世界平和の先達として、戦争の無い平和な世界を築くべく、最大限の積極的な外交上の努力をなすべき使命を自覚して、今こそ奮起すべきときである。かくすることが、真に戦没者の霊に報いる事になるという真理に、日本国民は目覚めざる可からず。

それでは、「総理・閣僚の靖国神社への公式参拝、並びに玉串料等の名目での公金の支出は、政教分離の原則に反しており違憲であると言うこと。」その理由について、以下のとおり詳述する事にする。

政教分離の原則(憲法20条・89条)は近代憲法が打ち立てた重要な原則の一つであり、国家の根幹に係わる重大事項であるので、政教分離の原則について、歴史的な背景をも含めて論述する事にする。政教分離の原則とは、要するに、宗教の問題は、国家的事項ではなく、個人の私事であり、政治的次元を超える人間の魂の救済の問題であるから、これを世俗的権力である国家(地方公共団体を含む)の関心外の事項とする、ということである。

憲法で信教の自由を保障しているのは、近代各国における憲法の特徴である。歴史的に見てもヨーロッパにおける信教の自由は、精神的自由権の先駆的且つ中枢的役割をなしたものであり、信教の自由を獲得した事が、やがて思想、良心、及び表現等の自由権の確立に繋がったものである。日本は、ヨーロッパの諸国民がかって教会及びこれと結合する国家権力の圧力に対立抗争し、数世紀にわたる宗教的自由獲得のため、自らの血を流して自由権を闘い取ったような経験を持たないので、日本国民は信教の自由に対する尊厳不可侵の認識が未だに希薄である嫌いがある。

信教の自由を憲法で保障する為の態様は国によって異なる。
1.国教制度を建前として、国教以外の宗教について広汎な宗教的寛容を認め、実質的に宗教の自由を保障するもの。(英国・スペイン等)
2.国家と教会とは各々その固有の領域において独立である事を認め、教会は公法人として憲法上の地位を与えられ、その固有の領域については独自に処理し、競合事項については、和親条約(コンコルダート)を締結し、これに基づいて処理ずべきものとする。(イタリア・ドイツ等)
3.国家と教会ないし宗教を完全に分離し、相互に干渉しないことを主義とするもの。(フランス・米国)
日本の政教分離は、上記3の米国型をより完璧化した政教分離の形式を採用したものであり、最も進歩的なものと言える。

よって、西欧キリスト教国においては、国家的な行事がキリスト教の司祭によって執り行なわれているし、米国では、大統領就任に際し聖書を用いて宣誓する儀式等が慣行として行なわれているからといって、歴史的な背景及び宗教事情を異にする日本では、神道による儀式行事を公的に執行してはいけない。

さて、明治新政府は明治憲法の基本理念とされた天皇崇拝の精神的基盤を固めるために、天皇を神格化(現人神・あらひとがみ・living god)することを考えた。即ち、江戸後期の国学者、平田篤胤(1776〜1843)が創設した、儒仏2教を排斥し国学を極端な国粋主義にまで発展させた「平田神道」を日本国民の思想の根幹に置くべきであると考えた。そして、天皇の神格の根拠としての神道(神社)に対して、国教的性格を与えることが必要であると考え、「平田神道」を土台として、国家神道を成立せしめた。つまり神道(神社)国教制が確立されるに至った。明治新政府は、祭政一致(政教一致)を布告し、特権として神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えた。そして、国家神道の体制を固め、仏教その他の宗教は神道の下に従属することとなった。

終戦に至るまで、神社は国教的地位を保持し、その間に制定された、治安維持法、宗教団体法、警察犯処罰令のもとで、大本教・創価教育学会(現在の創価学会)・日本キリスト教団・ひとのみち教団(現在のPL教団)・法華教等多くの教団は、国家神道の体制に反するとして徹底的に弾圧され、志を枉げない高潔な教祖の中には獄死する者が続出した。その結果、戦前・戦中に於いては、戦後の日本国民には到底理解出来ない位の、物凄い言論統制、思想統制が行なわれる結果を招来した。政党も1940(昭和15)年には大政翼賛会(総裁は総理大臣)として統合され、議会政治は事実上その機能を喪失した。日本共産党は特高警察により、地下活動さえ出来ない壊滅状態にまで弾圧された。

如かして、神権天皇主義(天皇教)に基づく神道(神社)国教制を国体の根本義とし、他方富国強兵策に基づく軍国主義とを車の両輪とした政教一致の義務教育を徹底して実施した結果、薬が効き過ぎて、太平洋戦争開始前には、澎湃として興った国家主義・軍国主義・ファシズムは、天皇以外は、政府・軍部をはじめとして、何人たりとも押さえる事ができない物凄いエネルギーに迄高まってしまった。マスコミも挙って、鬼畜米英撃ちてし止まんと書き立てて戦意高揚に協力させられた。当時の日本で戦争反対を唱える事は、とりも直さず、一家眷族が抹殺される事を意味した。

日米開戦に反対の立場を採っていた当時の海軍次官(海軍中将)山本五十六は、東京におれば暗殺されること必至の状況下に置かれていたため、海軍首脳は彼を連合艦隊司令長官(1939年8月任命)として、テロの手の及ばない海上に逃がした。

教育による洗脳・マインドコントロールの怖さを思い起こすと共に、人間が如何に心理的に弱い面を持っているかの証左とも見る事が出来る。そして遂には、神国日本・神州不滅のかけ声のもとに、現人神(あらひとがみ・living god)である天皇を頂点に戴く選民である日本民族は、他の民族に優越した民族であり、地球(世界)を支配すべき使命を持つという、八紘一宇(はっこういちう)を夢見る狂信的な神国主義(天皇教)が日本を戦争に駆り立て、近隣諸国に大いなる迷惑をかける結果を招来した。

この狂信的な神国主義(国家神道・天皇教)が日本を支配するのに、神道(神社)国教制が大きく寄与したと言う歴史的な事実に鑑みて、信教の自由の保障については格別の配慮が必要とされるのは当然のことである。如かして、信教の自由の保障を完全なものにするためには、国家と宗教とを絶縁させる必要がある。国家が全ての宗教に対して中立的立場に立ち、宗教を全くの「わたくしごと」にする必要がある。これが、国家の非宗教性または政教分離と呼ばれる原理である。

終戦後、連合国最高司令部は国家神道の廃止を目的とした、いわゆる「神道指令」を出して、徹底的な政教分離、信教の自由の保障の道を開いた。この指令は、西欧諸国に行なわれている国家と教会の分離(separation of church and state)ではなく、国家と宗教の分離(separation of religion and state)であった。

つまり、日本における政教分離の原則は、戦前・戦中の国家神道による思想的な支配を憲法によって完全に払拭する事により、信教の自由を確立保障したものである。更に日本は、欧米キリスト教諸国と異なり歴史的に単一の宗教が支配的な地位を占めた事がなく民族と言語が単一である反面、宗教が多元的に発達し併存している事が宗教事情として挙げられる。それ故、日本では、国家と特定宗教との結びつきを排除するため、徹底した政教分離が行なわれる必要があった。ここに、憲法20条3項の「国及びその機関」とは、国及び地方公共団体、その他の公権力を行使する一切の機関を総称するものと解すべきである。

政教分離の目的の第一は、憲法20条(信教の自由)は、政教の分離なくしては完全に確保する事が不可能である事に在る。国家がある特定の宗教を特に優遇することは、それだけそれ以外の宗教の自由を押さえる結果になるし、国家が全ての宗教をひとしく優遇することも、国家がそれだけ無宗教の自由を押さえる結果になる。更に、信教の自由が守られないと、憲法19条(思想及び良心の自由)、憲法21条(集会・結社・表現の自由・通信の秘密)も侵される事になる。

政教分離の目的の第二は、国家と宗教との結合により、国家を破壊し、宗教を堕落せしめる危険を防止する事に在る。宗教は世俗的な国家権力の介入を許す事の出来ない程、余りにも個人的であり、神聖であり、且つ至純なものであるが故に、国家が特定の宗教を国教として定めると、宗教的迫害が必然的に発生するという過去の歴史上の教訓を具現したものである。

因みに、今日、中東和平が実現困難である原因の一つは、政教が一致している嫌いがある為に他ならない。因みに、欧米やアラブ世界の宗教の大半は、絶対化された唯一神を頂いている。だから、それぞれの信者の信仰が深まれば深まるほど、自己とその宗教を絶対化するようになる。そして、そういう宗教と宗教が対立すれば、中世のヨーロッパにおける百年戦争(1339〜1453)のように、必ずその戒律に反して戦い合い殺し合うことになる。

誤解を招かないように付言すると、「政教分離」の規定は、宗教を厚く保護する規定である。宗教教育の禁止は、公立学校そのほか公立の営造物に対してのみ適用される。教育基本法(9条1項)も「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」と定めている。従って、特定の宗教のための宗教教育・宗教活動を禁止しているのであって、子供に対して、道徳教育の基盤として、宗教を学問的に研究して教える事は学問の自由(憲法23条)に含まれ、憲法の保障するところである。なお、私立学校による宗教教育や家庭における宗教教育については、「政教分離」の適用はなく、道徳教育の基盤として、推奨されるべきである事は論を俟たない。

以上、日本国憲法20条並びに89条の立法趣旨を述べたわけであるが、以上の理由により今日では神道(神社)は、キリスト教や仏教と並んで一つの私的な宗教であるから、総理・閣僚等の靖国神社への公式参拝は憲法20条3項所定の宗教活動に該当するので、国家が特定の宗教に肩入れする事になり違憲であり、更にその際における玉串料等の名目での公金の支出は憲法20条3項並びに89条に違反するので違憲である事は明白である。

ここに、天皇の軍隊は皇軍であり、戦争はすべて聖戦である。よって、戦争で死んだ人たちは、国家に殉じたのだから、英霊として靖国神社に祀るのが当然である。この論理で、愛する父母兄弟を失った家族の悲しみを、靖国に祀られることは名誉だと教え込み、家族から出てくる無念さ不平不満を封じ、国家の戦争責任を回避したわけである。靖国神社は大日本帝国の戦争を美化し正当化するための装置であったと見ることが出来る

付言すると、靖国神社は「天皇の国家」が起こした侵略戦争の戦争責任者までも祭っておるのであるから、日本の首相の参拝に対して、侵略された中国や韓国が苦情を言うのは当然のことと思料される。米国のメディアであるワシントン・ポスト紙は、靖国神社を「戦争神社」と伝えている、誠に正鵠を射た表現と苦笑せざるを得ない。

これらの行為は、あくまで「私的行為」としてのみ許されるものである事を、吾人は認識する必要がある。「千丈の堤も蟻の穴から崩れる」の例えのとおり、政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害になる事を怖れなければならない。これ等についての裁判の判例は動揺しているが、憲法99条の趣旨からも毅然たる判断を裁判官に期待する所以である。なお、国の政治に携わる者はいわゆる「李下に冠を正さず」の姿勢を忘れてはならない。

http://homepage1.bb-west.ne.jp/leimb/

 

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コメント
 
01. 2015年2月24日 19:54:50 : w3M1BHSquE
>よって、生きて虜囚の辱めを受けることは、軍人として最大の恥辱であり

ならば、敗戦の責任を取って自決するでもなく 連合軍に拘束されるまで のうのうと生きていた
体制側の人間、いわゆる「戦争責任者」たちを、英霊たちと一緒に奉るのは絶対におかしい
「生きて虜囚の辱めを受けず」 と、下々に諭していたのは、東條以下 戦争指導者たちである

被害者と加害者を 同じ墓に入れるようなもので、英霊たちを冒瀆している事になる

靖国に奉って良い人間は、戦死した人間 自決した人間までである たとえ体制側の人間であっても
戦死や自決ししたのなら ある意味被害者と言える訳で、靖国に奉って良い人間はこれが限界と思う

なぜ被害者加害者と分けるのか、それは戦死した英霊の大部分が 国家体制に殺されたようなもの
だからである

喜んで命を捧げたのは ほんの一部の兵士達だけである 大部分の兵士達は 一銭五厘の赤紙一枚で召集され
遠い異国の地で満足な兵站もなく、草木をかじり 泥水をすすり 地べたを這いつくばり
米軍と戦う前に 飢えとマラリアに戦わされた兵士が大部分であるからだ
(一説によると、戦死した兵士の65%に及ぶと言う)
彼らが どれほど軍上層部を恨んで死んでいった事か、まともな人間なら想像ぐらいはつくだろう

さらに、奇跡的な確率でしか成功しなかった神風特攻も同様である
米軍に殺されたというより 体制側の人間に殺されたようなものである。


02. 2015年2月25日 02:47:53 : w3M1BHSquE
↓↓↓

教育による洗脳・マインドコントロールの怖さを思い起こすと共に、人間が如何に心理的に弱い面を持っているかの証左とも見る事が出来る。そして遂には、神国日本・神州不滅のかけ声のもとに、現人神である天皇を頂点に戴く選民である日本民族は、他の民族に優越した民族であり、地球(世界)を支配すべき使命を持つという、八紘一宇(はっこういちう)を夢見る狂信的な神国主義(天皇教)が日本を戦争に駆り立て、近隣諸国に大いなる迷惑をかける結果を招来した。

この狂信的な神国主義(国家神道・天皇教)が日本を支配するのに、神道(神社)国教制が大きく寄与したと言う歴史的な事実に鑑みて、信教の自由の保障については格別の配慮が必要とされるのは当然のことである。如かして、信教の自由の保障を完全なものにするためには、国家と宗教とを絶縁させる必要がある。国家が全ての宗教に対して中立的立場に立ち、宗教を全くの「わたくしごと」にする必要がある。これが、国家の非宗教性または政教分離と呼ばれる原理である。

ここに、天皇の軍隊は皇軍であり、戦争はすべて聖戦である。よって、戦争で死んだ人たちは、国家に殉じたのだから、英霊として靖国神社に祀るのが当然である。この論理で、愛する父母兄弟を失った家族の悲しみを、靖国に祀られることは名誉だと教え込み、家族から出てくる無念さ不平不満を封じ、国家の戦争責任を回避したわけである。靖国神社は大日本帝国の戦争を美化し正当化するための装置であったと見ることが出来る

↑↑↑
この辺りの主張は、全くその通りであり異論は無い ならばなおの事、戦争責任者を奉るのはおかしい
東京裁判の正当性は別として、彼らが 戦争の責任者である事は間違いないのだから
「李下に冠を正さず」 というのなら尚更 政治家が参拝するべきではないと思うが。


03. 2015年2月26日 19:12:55 : b5JdkWvGxs
昭和天皇が靖国に参拝しなくなった理由


昭和天皇の身代わりになって処刑された東条英機

1947年の12月、戦時中の首相、東条は自らを弁護して証言台に立った。
彼は生贄の羊となることを望んではいたものの、降伏以降、彼への雑言悪態は
限度を越えていた。

中には、天皇自身が、東条の命令不服従の不実を非難しているとさえ報じられていた。あるいは、日本の新聞は、東条が自決しようとして、刀ではなく拳銃を使ったことを、臆病者と呼んでいた。東条の家族は、近所からライ病患者のごとく扱われ、お金にも不自由した。彼の弟は、二ヶ月前、列車中で一袋の米を盗んだとして逮捕されていた

1947年の大晦日、東条への直接尋問のなかで、〔木戸の〕弁護人
ログマンはこう質問した。

「天皇の平和に対してのご希望に反して、木戸侯爵が行動をとったか、
あるいは何かを進言したという事実を何か覚えていますか?」

 東条 そういう事例はもちろんありません。私が知る限りにおいてはありません。
のみならず、日本国の臣民が、陛下のご意思に反して、かれこれすることはあり得ぬことであります。 いわんや、日本の高官においておや。


ログマン 以上をもって、木戸卿に代わる私の尋問を終わります。

裁判長(ウェッブ) 今の質問がどのようなことを示唆しているかは、
よく理解できるはずである。

 まさしく、それは誰もが知っていたことだった。

そこでキーナンは、彼の証人の切り札たる田中隆吉を、富士山麓の山中湖畔の自宅で休暇中のところより呼び戻し、ただちに巣鴨刑務所の東条に会いに行かせた。

だが東条はそれに応じようとはしなかったので、田中は皇居に行き、木戸の前秘書で
天皇の顧問の後継者、松平康昌に情況を説明した。次いで松平は、同僚の
側近たちと相談し、収監中の元内大臣木戸に手紙を送る許可を裕仁よりえた。

東条とは隣同士の房にいる木戸は、さっそく東条との話し合いに入った。
彼は東条と護衛の監視下で仕切り越しに長々と話をした。

木戸はまた、
刑務所中庭で運動の際、直接に東条に話しかけ、東条の家族の状況を改善させることを約束した。 小男で近眼の木戸ながら、彼は刑務所の雑務中でも裕仁の代理人であったため、東条は彼の話を無視することはできなかった。

二日にわたって話が交わされた後、ついに東条は折れた。

彼は法廷にもどると、キーナンによる反対尋問の中で、

自分が天皇を戦争を始めるよう説得し、それによって、裕仁を自身の気持ちに反して動くように強いさせたかも知れないことを認めるに至った。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


内閣特別顧問の石原莞爾――退役した満州戦略家――は、敗戦の説明をおこなうため、全国の津々浦々を行脚した。

彼の話す内容は、戦争を始めたのは元首相東条であり、彼以外に責任はない、という単純なものであった。

1930年代初め、石原と東条は、天皇の支持を取り付けるため互いに争っていた。だが東条が勝利していた。今、東条を犠牲者に祭り上げるにあたり、石原ほど詳細を知るものはいなかった。

出身地東京で一年以上の退役生活を送っていた東条は、その中傷を冷徹に受け入れ、戦争の責任を全面的に負うのが自分の意思であると、友人たちには内々に語っていた。

友人たちは彼の意思を尊重したが、以前の部下や下僕たちはそれに反発した。たとえば、官邸に20年間使えてきた給仕は、東条を、もっとも人間的で思慮深い人物であると述べていることが幾度も取り上げられていた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_10_3a.htm


マスコミ報道等では、第二次世界大戦は日本の軍部が独走し、
天皇は仕方なくそれに引きづられた・・という事になっている。

そのため戦争中首相であった東条英機は戦争犯罪者として処刑され、
天皇は「罪を問われなかった」という事に「なっている」。


1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語。

「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下に
十分職務を果たした。」・・()内部、筆者の注。

ここで天皇自身「が」主体となって戦争を行っている事、つまり軍部に引きづられて
戦争が行われているのでは無い事、

東条が「天皇の指導の下」にその命令通りに戦争を行って来た事を、天皇自身が証言している。

天皇は、自分の行った戦争の責任を全て東条に押し付け、東条を処刑させ、
自分だけ生き延びたのである。

戦争中、東条は1日に3回天皇を「御機嫌うかがい」のため訪問し、
政界では「ゴマすり東条」と批判されていた。

東条を始めとした政界軍部が「強引に戦争を行い」、天皇がそれに引きづられる等という事は、
この東条と天皇の「力関係」から見て有り得ない。

天皇は東条に全責任を押し付け、自分だけ生き延びたのである。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49704032.html


昭和天皇の身代わりになって処刑された松井石根

ついに本当の事は言えませんでしたね:

「南京事件ではお恥しい限りです。南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も
一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。

 私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、
当時とは全く変っておった。

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。 甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。

 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」
http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#matuiiwane


キーナンは、自分が技巧的に追及してきたその判決を聞いた日の夜、
彼の切り札証言人、田中隆吉と一杯飲みに外出した。彼は酔いにかまけつつ、

「馬鹿げている、まったく馬鹿げた判決だ」と口にした。彼が最も反対してきた判決は、
松井――南京攻略の際、その命令が悪用された痛ましい小柄な大将――の死刑だった。

 公正は私に、被告に有罪を決定する際、天皇の免責について再考するよう、求めている。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm

天皇の7人の最も「忠実な下僕」が絞首刑に、18人が占領の間中の投獄、そして、天皇自身は皇位から退位もせず、「立派な自由主義的な紳士」となった。

1948年12月22日、絞首台に向かおうとする東条、松井ほか5名の男たちは、全員で天皇に「万歳」――裕仁朝廷の永世を誓う――を唱和した。

その処刑に立合う責を負った連合軍の外交代表は一列となって、死刑判決を受けた者らの冷徹なユーモアとも映る行動を、深い印象と共に目撃していた。

裕仁のみが生き長らえ、そして記憶にとどめられていた。

戦争後の四年間、彼は戦前からの擦り切れた背広のみを着て、人々とみじめさを共有する姿勢を表した。

そして1949年、アメリカの新聞が彼をぼろを着て散歩していると報じたと家臣が告げたことを契機に、彼は、彼の結婚25周年を記念して、背広を新調することを受け入れた。

その数年後、作家、小山いと子が、皇后良子について小説を書いた時、その新しい背広について書いて話を終わらせていた。

天皇はイソップやアンデルセンを好み、この作家は、彼女の「天皇の新しい服」という喩えが、彼の好感をさそうだろうことを予期していた。

 「天皇の新しい服」は、喩え話として、1950年代を飾った。1940年代の西洋の判事と報道記者の執拗な疑念は忘れ去られた。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ

 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)に語っていたことが19日、日本経済新聞が入手した富田氏のメモで分かった。昭和天皇は1978年のA級戦犯合祀以降、参拝しなかったが、理由は明らかにしていなかった。昭和天皇の闘病生活などに関する記述もあり、史料としての歴史的価値も高い。

昭和天皇がある時期から靖国神社を参拝されなくなった理由は「A級戦犯」合祀であろう、という推測が以前からあった。この記事内容が事実であるなら、その推測が資料で裏付けられたことになり意義深いと思う。

首相の靖国参拝問題などの諸問題は、このことで一気に解決するとは思えない。
そこで記事の引用(2件)

昭和天皇 靖国合祀不快感に波紋…遺族に戸惑いも

 「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。

■A級戦犯の遺族
 「信じられない。陛下(昭和天皇)のお気持ちを信じています」――A級戦犯として処刑され、靖国神社に合祀される板垣征四郎元陸軍大将の二男の正・日本遺族会顧問(82)=元参院議員=は驚きながらも、そう言い切った。


日本近現代史に詳しい小田部雄次・静岡福祉大教授は「昭和天皇の気持ちが分かって面白い」と驚き、「東京裁判を否定することは昭和天皇にとって自己否定につながる。国民との一体感を保つためにも、合祀を批判して戦後社会に適応するスタンスを示す必要もあったのではないか」と冷ややかな見方を示した。その上で「A級戦犯が合祀されると、A級戦犯が国のために戦ったことになり、国家元首だった昭和天皇の責任問題も出てくる。その意味では、天皇の発言は『責任回避だ』という面もあるが、東京裁判を容認する戦後天皇家の基盤を否定することもできなかったのではないか」と話した。

天皇の靖国神社参拝は1975年11月21日に昭和天皇が行って以来、今の天皇陛下も含め行われていない。同神社や遺族側は、その後も「天皇参拝」を求めているが、30年以上途絶えたままだ。これまでいくつかの理由が推測で語られていたが、今回の「富田元長官メモ」は、このうちの一つを大きくクローズアップした。

 宮内庁によると昭和天皇は、終戦に際し45年11月に同神社を参拝。その後も数年おきに訪れ、75年までに戦後計8回参拝した。

 途絶えた理由に挙げられるのは

(1)78年のA級戦犯合祀
(2)対外関係の考慮
(3)公人私人問題――など。

今回のメモは(1)が大きな理由だったと読める。
http://yy32zi.at.webry.info/200607/article_10.html


問題の天皇発言は、富田朝彦元宮内庁長官(故人)の手帳に記されていた(1988年4月28日付)。メモによると、昭和天皇はA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司を名指しで批判、

「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」などと語ったという。

 天皇メモをスクープした日本経済新聞は「昭和天皇がA級戦犯合祀に強い不快感を示したのは、過去の戦争への痛切な反省と世界平和への思い、米英両国や中国など諸外国との信義を重んじる信念があったためと推察される。そうした昭和天皇の思いを日本人として大事にしたい」(7/21社説)として、小泉首相に靖国神社参拝を自制するよう求めた。「朝日」「読売」なども同様の論調を掲げている。

 時代錯誤とはこのことを言う。大手メディアがそろいもそろって首相の行動をいさめるのに天皇の言葉を持ち出すとは、とても主権在民の憲法を持つ国の出来事とは思えない。これは明らかに「天皇の政治利用」にあたる。
 そもそも、マスメディアのメモ解釈には無理がありすぎる。

昭和天皇が戦後も続けていた靖国神社への参拝を、A級戦犯の合祀(78年)を理由にとりやめたのは事実であろう。ただしそれは「戦争への痛切な反省と世界平和への思い」からではない。自身の戦争責任追及を昭和天皇が恐れたからだ。

 A級戦犯を神と崇める神社に参拝などしたら、苦労して築き上げた「平和主義者・天皇」のイメージが一瞬にして瓦解する。

つまり昭和天皇は天皇家の延命という観点から、靖国神社の勝手な行動に激怒した−−こう考えたほうが自然である。

 昭和天皇が松岡洋右元外相らに開戦責任を押しつける発言をしていたことは他の史料でも明らかになっている。戦犯連中にしてみれば、「本来なら最高責任者の陛下こそ戦犯じゃないか」というツッコミをあの世から入れたい気分ではないか。
http://www.mdsweb.jp/doc/947/0947_08a.html


要するに戦争も虐殺もすべて昭和天皇の一存で行ったもので、軍人や政治家は全員反対していたのですね。

それで昭和天皇の戦争犯罪問題が再び蒸し返されると困るので、昭和天皇は絶対に靖国には行かなくなったという事です。


04. 2015年2月27日 12:38:19 : w3M1BHSquE
>>03
昭和天皇を 扱き下ろしたいのなら それはどうぞ勝手にやっていればいい
だがしかし、東條以下 無能で愚かな戦争指導者達を擁護するのは止めて欲しい
しかも貴方は 余計な事ばかり長々とうんちく垂れておきながら、肝心な事を言っていないぞ

政治家が 靖国に参拝すべきなのか それとも否なのか 一番肝心な事に触れておらず
ただ昭和天皇を扱き下ろしたいだけ、ただそれだけが目的のようにしか映りませんけど

要するに、東條以下 戦争指導者達には責任は無いのだから 政治家も皇族もみんなこぞって
靖国に参拝すべきだと言いたいのかな?

一番肝心な事に触れず 関連の薄い事で長々と述べる事を、「無駄な長文」 と言いますぞ。


05. 2015年2月27日 18:15:41 : b5JdkWvGxs

>政治家も皇族もみんなこぞって靖国に参拝すべきだと言いたいのかな?


おまい、靖国がどういう宗教か何も知らないだろ

靖国は神道とは全く関係ない新興宗教だよ


靖国神社は国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えるための場所であり、英霊を慰めるとは

日本を守るために、よくぞ敵と戦ってくださいました。私も、最前線に行って命を堵して日本を守るために死ぬ覚悟ですと誓うこと。


出陣前に戦勝祈願を捧げにいくのが靖国だというのを知らないアホが多過ぎる(呆れ)


招魂教(靖国神社)はテロリストのための新興宗教である。

招魂教の起源は1862年の「殉難の志士の霊祭」、1863年に福羽美静が八坂神社に建てた小祠に由来する。

招魂祭は死者の魂を呼び寄せて生者の魂を奮い立たせる儀式。

招魂と慰霊とは全く異なる
慰霊は魂を慰め鎮めること。(魂鎮、たましずめ)。
招魂は死者の魂を呼び寄せて生者の魂を奮い立たせること。(魂振、たまふり)。

>魂鎮(たましずめ)、
>魂振(たまふり)
>「たましずめ」は、魂を身体の中府に鎮めること。「たまふり」は衰弱した魂を呪物や体の震動によって励起すること。


下記の記事の中で「陣中の一時的な招魂祭」とあることに注目。招魂祭は、戦闘に赴く兵士に、戦死者の荒ぶる魂を招き入れて、兵士の戦闘意識を高める宗教儀式だったことがわかる。

招魂教の精神は特攻隊という自爆テロの元祖を生んだ。



06. 2015年2月28日 02:52:17 : w3M1BHSquE
>>05
その新興宗教たる神社を、占領した東南アジアの国々に次々と建立させ
現地民に日本式の参拝を強要させたのは、東條英機とその取り巻きの戦争指導者達であるぞ

さらに戦陣訓として、「生きて虜囚の辱めを・・・」 と、玉砕や特攻の賛美の下地を作ったのも東條である

靖国神社のガリガリの信奉者が 東條英機という男だって事を忘れちゃ困るぞ。


07. 2015年2月28日 11:50:45 : b5JdkWvGxs

ゴマすり東条さんは毎日三回は 昭和天皇の所へ顔を出して、御用聞きしてたんだろ

ゴマすり東条さんが自分の判断でやった事は一つもないよ


08. 2015年2月28日 12:17:42 : j68MtzGqc2
>>07 b5JdkWvGxs
>ゴマすり東条さんが自分の判断でやった事は一つもないよ

相変わらず薄いなー、その根拠はネットのゴシップ記事か?
それともまた教祖様が変なの降ろして語られたことか?

ま、たぶん事実を少しづつ歪曲しながら独自に導き出した結論だろうなー
そしてそれを世間に認知されてるがごとく話すのが好きなんだよねー
カジノレン子とどこか似通ってるところがあるのが笑える

たまにはどうすべきかも語ったら


09. 2015年2月28日 13:07:10 : w3M1BHSquE
確かに、だからどうすべきと言う“主張”が 全く見えてこないな b5JdkWvGxsこの人は

ヘンテコな陰謀論を ひけらかして自慢したいだけにしか見えませんな
靖国が新興宗教だとか球振りがどうとか 訳の判らぬうんちく垂れて
結局 肝心な事言っていない 靖国に参拝する事が是なのか非なのかという 「自分の意見」 をだ。

靖国がどういう宗教なのかなんて 誰も聞いてなんかいないぞ お坊ちゃん。


10. 2015年2月28日 13:15:59 : b5JdkWvGxs
>靖国に参拝する事が是なのか非なのかという 「自分の意見」 をだ。


参拝したければすればいいだけさ

是も非もない

何故中国人に好かれなければいけないんだ?


11. 2015年2月28日 13:22:26 : b5JdkWvGxs
因みに、ドイツは戦争責任をすべてナチスに押しつけたから反ユダヤ的な行為が出来なくなっただけさ。

日本も戦争責任をすべて昭和天皇に押しつけとけば中国人や朝鮮人から たかられる事もなかったんだ。

どちらにしろこうなった以上は中国人や朝鮮人の機嫌を取る必要はない

ヨーロッパ人も植民地時代の悪行を謝罪してないしする気もないだろ

今の日本人やヨーロッパ人がやった事でもないのに謝罪する必要なんか無いのさ

どんどん靖国に行って中国人や朝鮮人を怒らせればいいのさ


12. 2015年2月28日 15:45:47 : w3M1BHSquE
やっぱり、何が言いたいのか理解に苦しむ人ですな

さんざん、靖国が新興宗教だのエセカルトだ みたいな物言いで 長文のうんちく垂れておきながら
「参拝したけりゃすればいいだけさ」 と来た そんなどうでも良い事だったら
その無駄ーーーな長文は 何のために書いたのだ?

>招魂教(靖国神社)はテロリストのための新興宗教である。  ←これと

>参拝したければすればいいだけさ    ←これは

まったく整合性の無い矛盾した主張としか言い様は無い
結局、あんたの無駄に長い薀蓄は 「どうでも良い事」 しか、言ってない。


13. 2015年2月28日 16:34:45 : b5JdkWvGxs
おまいがIQ低いだけだろ

>その無駄ーーーな長文は 何のために書いたのだ?

天皇がA級戦犯分祀に反対した理由を明らかにしたんだろ

>招魂教(靖国神社)はテロリストのための新興宗教である。  ←これと

靖国参拝が出陣前に行くものだというのを知らないアホがいるから書いたのさ
それを知らなければ何故中国人が怒るか理解できないだろ

>参拝したければすればいいだけさ    ←これは

日本政府要人の靖国参拝に反対してるのが中国に工場を作っている企業家や中国利権で食ってる人間だというのを知らないアホがいるから書いたのさ


14. 2015年2月28日 19:09:36 : w3M1BHSquE
どんな必死に言い繕っても、矛盾している事は覆い隠せませんな

「エセ宗教である」 と 「参拝すればいいさ」 は、誰が見たって矛盾してます。


15. 2015年2月28日 19:35:29 : b5JdkWvGxs
>「エセ宗教である」 と 「参拝すればいいさ」 は、誰が見たって矛盾してます。


靖国は宗教じゃないと言ったろ

戦場に行く直前に心を奮い立たせる為に行く所だからね

みんなチャンコロとチョンを殺したいんだろ


16. 2015年2月28日 20:35:42 : b5JdkWvGxs
靖国に参拝した時にやるべき事


1. チャンコロに残虐に殺された皇軍の兵士を思い浮かべる

2. チャンコロに対する憎しみを掻き立てる

3. 祀られている皇軍の兵士にチャンコロに必ず復讐して来る事を誓う

4. 死を覚悟して祀られている皇軍の兵士との冥土での再会を祈願する


17. 2015年3月01日 02:41:07 : w3M1BHSquE
やっと、本性が出てきましたな ( ̄∇ ̄;)

18. 2015年3月01日 12:12:43 : b5JdkWvGxs

これが明治以降の皇室の考え方だからね:


福沢諭吉は、天皇家の先生だった!


昭和天皇は、皇太子(2009年3月現在の天皇)の教育に小泉信三をあてました(1946年4月〜1958年).

小泉信三は、福沢諭吉の「帝室論」を教材に、青年時代の現天皇の教育をおこないました(小泉信三「ジョオジ五世伝と帝室論」).


皇太子の家庭教師役を任命されたとき、小泉信三は慶応義塾の塾長(1933年〜1947年)でした. 彼の父親も、慶應義塾の第二代の塾長(1887年〜1890年)でした.慶応義塾は、諭吉が創設し、第1代塾長は諭吉でした.

彼は、「政府の影のお師匠様」であり、天皇家の先生でもあったのです.


小泉信三は、「そう指摘されたら、どう答えるか」を若き現天皇に教えていたのです.(注)

現天皇は、皇太子に何を教えたのでしょうか?


(注)

「福沢諭吉の『帝室論』を読むために、殿下も私も、それぞれ福沢全集の一冊をこの一隅に持ち込んだこともある」
 
「部屋の大きさは二十畳ぐらい」

「両陛下がお出ましになったときにもここへお通りになる」

「壁に寄せて直立ピアノが置いてある」

「皇太子殿下は主にその二階にお住居になっている」

(小泉信三「ジョオジ五世と帝室論」)
http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/blog-post.html

私(福沢諭吉)は、「暗に政府のお師匠様」であった

1897年8月22日「時事新報」(社主・福沢諭吉)から 


「王政維新の前後に日本国中の人が専ら老生の著訳書ばかり読んで文明の新知識を得たるは紛れもなき事実にして、或いは維新政府の新施設も拙著の書を根拠にして発表したるもの多く、暗に政府のお師匠様たりしことは、故老の忘れざるところなり」
(福沢諭吉全集第20巻)


その諭吉は、天皇制について「愚民を篭絡するの一欺術」といっています.(全集第5巻)

また、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」といっています.(全集題20巻)

東京招魂社が、靖国神社になったころです.


「日本は天皇を中心に歴史が作られてきた. 
国が強くなることが大切、近隣諸国の領土・資源・労働力・文化遺産を奪いとれ.

天皇のため、国のためには、『カネ』も出せ、命も出せ!

死んだ後には靖国神社がある」 


諭吉は、国民を馬鹿と見て、これをだまして税金と命を取る、そのダマシのシステムが天皇制と靖国神社だと考えていたのでしょう.

真に賢い師匠でした.今の日本も、その師匠を一万円札の肖像として、毎日拝ませています.

ダマス者が賢く、国民は愚民!
それが、日本の伝統と文化でした.


死んだ後には靖国神社がある 


諭吉は、国民を馬鹿と見て、これをだまして税金と命を取る、そのダマシのシステムが天皇制と靖国神社だと考えていたのでしょう.

真に賢い師匠でした.今の日本も、その師匠を一万円札の肖像として、毎日拝ませています.

ダマス者が賢く、国民は愚民!
それが、日本の伝統と文化でした.

(1881年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻271頁)


国を富まし、強くするためには、台湾・朝鮮の植民地化だけではなく、対中国侵略こそ「本命」であると主張していました.


「支那と戦に及ぶこともあらば、・・・真一文字に進で其(その)喉笛に喰付くこと緊要)・・・北京是なり」

(1882年「喉笛に喰付け」全集第8巻260ページ)


中国の領土、資源、労働力をすべて奪いとれ、これが1882年に彼が教えたことです.

国を強くするには、命を捨てろ、天皇のために死ぬことは美しいことだ.


「国のためには財を失ふのみならず、一命を抛て惜しむに足らず」
(1873年「学問のすすめ」第三編 全集第3巻43ページ〜)


(そして、諭吉を含む一部の者が大金持ちになるのです)

日本政府と国民は、この教えを忠実に守り、50年後(1931年)対中国侵略15年戦争に突き進み、太平洋戦争を経て、2009年の現在、諭吉を最高額紙幣の肖像として、毎日拝んでいます.このように、明治以来「ダマシのシステム」はつづいています.
http://hibari-yukichi.blogspot.com/

福沢諭吉は朝鮮や台湾の人びとのことをどう述べているか:


「朝鮮……野蛮国にして、……我属国と為るも……」、

「台湾蛮人……は禽獣……人の二人や三人を喰い殺すは通常……

朝鮮人は唯頑固の固まり」(本書121頁)


朝鮮は、野蛮な国であり、朝鮮人はただ頑固なだけであり、台湾人も野蛮で獣と同じなのだから、日本人が支配してあげるのが正しいことなのだ、という理屈であろうか。


「チャンチャン……皆殺しにするは造作もなきこと」……

「朝鮮……人民は牛馬豚犬に異ならず。」……

「土人を銃殺……狐と思ふて打殺したり」

「島民が反抗……一人も余さず誅戮(ちゅうりく)して醜類を殲(つく)す可し。」……

「支那兵……恰も半死の病人……之と戦う……豚狩の積りにて」

(本書160−161頁)


なんという人種差別か。 このような読むに耐えないようなアジア蔑視を披露している。……甲申政変の際にさえ


「京城の支那兵を鏖(みなごろし)に」


と発言した諭吉は、……日清戦争では中国兵や台湾住民の「皆殺し」「殲滅」「誅戮」をくり返し呼号するようになる。したがって、日本の兵士が平然と「殲滅」作戦を担えるようにするためには、中国人・兵は「チャンチャン」「孑孑(ぼうふら)」「豚犬」「乞食」「烏合の草賊」の類であると教え、殲滅への抵抗感・抵抗意識を解除するマインド・コントロールを用意することも必要であった。(159頁)


中国人は人間以下の動物だから、皆殺しにしてしまえ、というのだ。


なんという怖ろしい「啓蒙思想家」だろう。戦争にあたって、相手国の人間を、人間以下に描き出すことは、侵略する側のひとびとが決まって行なってきたことである。かつてアメリカも、日本と戦争をするにあたって、日本人がいかに「人間以下」であるかをさまざまな方法でアメリカ国民に対して啓蒙した。

それにしても、これらの発言は、福沢に対するイメージを一変させるのではないか。


「目に付くものは分捕品の外なし。

何卒今度は北京中の金銀財宝を掻き浚へて、彼の官民の別なく、余さず漏らさず嵩張らぬものなればチャンチャンの着替までも引つ剥で持帰ることこそ願はしけれ。

其中には有名なる古書画、骨董、珠玉、珍器等も多からんなれば、凱陣の上は参謀本部に御払下を出願して一儲け……」


という私有物の強奪の勧めを書いた。さらに


「生擒(いけどり)」にした捕虜の「老将」軍を「浅草公園に持出して木戸を張り……木戸銭」をとり、

老将軍に「阿片煙を一服させると忽ち元気を吹返しましてにこにこ笑ひ出します」


という慰み物にして金儲けをする提案までした。」(163頁)


目についたものは、すべて分捕ってくるといい、などと言っている。 しかも、捕虜にした中国の老将軍を、浅草公園に連れてきて、見世物にしてしまおう、と言っている。 ここに見られるのは、「啓蒙思想家」としての姿ではなく、強盗・殺人を奨励する単なる「極悪人」の姿である。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

こんな言葉で知られる福沢の思想は、決して日本の民主主義の立役者でも何でもなかった。


「天」に代わって日本「人の上に」天皇制と「帝室の藩屏(はんぺい)」としての華族制度をつくりだした福沢諭吉は、

その日本「人の下に」被差別部落民の存在する事実になんらこだわることなく、

『東洋政略論』で日本「人の下に」アジア諸国民を置き、

百篇をこす論稿で男性「の下に」女性をおく家父長制的女性論を体系化し、

金持ち「の下に」貧乏人を位置づけた教育論を構築した。


たとえば、「今の世」で「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」という考えに基づき、

“貧智者”の出現阻止のために官立大学を廃止して私学に改変することを主張したり、

学問・教育も一種の商品だから


金持ちが「子の為に上等の教育を買ひ」中等は中等の教育、貧民は下等の教育を購入する


という貧富に応じた複線型学校論を主張し、それを合理化するために、


豪農・豪商・旧藩士族の「良家の子弟(男子)は「先天遺伝の能力」をもつ


という遺伝絶対論も主張した。こうした貧民無視の罪滅ぼしに、


「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」


と言って、貧民を宥(なだ)め眠らせるために、自らは信じない宗教の振興論を百篇以上書いた。(235頁)


筆者は、福沢諭吉を、「近代日本のアジア侵略思想とアジア蔑視観形成の最大の立役者の一人」と結論づけている。福沢諭吉を1万円札の肖像に使うことは、どのような意味を持つのか。日本人が、いまだに、侵略戦争・植民地支配を真に反省していない証拠である。 福沢諭吉は、いまも、アジア蔑視の差別意識を、金銭の欲望とともに、日本全国に流通させている。
http://jiyuu-gennsou.at.webry.info/200804/article_14.html

福沢は侵略合理化のために「文明」という言葉を論説で乱舞させました。すなわち


他国の「国事を改革」したり「国務の実権」を握ることは内政干渉ではない、


「あいつらはばかだから、がつんとやらないとわからないのだ」


という厚顔無恥そのものの論理です。同時にアジアへの蔑視・侮蔑・マイナスの評価はこの時期から悪化の一途をたどりました。初期にもアジア蔑視観は出ていますが、たとえば中国の民族的英雄林則除を「アヘンを焼き捨てた、思慮のない短気者」と侮辱したように、個々の政策を批判するだけだったのです。ところがこの時期になると、中国は、朝鮮はと、丸ごと総体的に侮蔑する言葉を垂れ流すようになりました。


「朝鮮人…上流は腐儒の巣窟、下流は奴隷の群衆」、

「朝鮮は国にして国に非ず」、

「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」、

「朝鮮人 南洋の土人に譲らず」、


朝鮮人は豚や犬だというのです。


「支那兵…豚狩りのつもりにて」、

「チャンチャン…皆殺しにするは造作もなきこと」、


中国人をやっつけることなど簡単なことだとはっきり書いています。後に日本軍はその通りのことをやったわけです。


中国人を「チャンコロ」呼ばわりすることを、彼は4回書いています。


このような聞くに堪えない侮蔑の言葉を垂れ流すさまは痛々しいとすらいえます。 『時事』の『漫言』では兵士に向けて


「…目につくものは分取り品の田無、なにとぞ今度は北京中の金銀財宝を書き更え…一儲け」


と戦時国際法が禁止する私有物略奪を呼びかけました。 「三光作戦」の勧めです。


 この時期、広島にあった大本営で90回におよぶ御前会議に立った明治天皇を賞賛し、福沢は海外出陣の可能性を提言しました。史実はその4ヶ月後に陸軍内で大本営を旅順に移す案が出て、明治天皇も了解したのですが、知恵者の伊藤博文の反対で流産しました。また「靖国」の思想も先駈けて打ち出していました。


「死を鴻毛より軽しと覚悟」する「軍人勅諭」の「大精神」が勝利の「本源」
であり、

「…益々この精神を養うことこそ護国の要務にして、これを養うには及ぶ限りの栄光を戦死者並びにその遺族に与えて、もって戦場に倒るるの幸福なるを感じせしめるべからず」


と書きました。


 「朝鮮王宮占領事件」、「旅順虐殺事件」、「閔后殺害事件」、「台湾征服戦争」など日清戦争の不義・暴虐を象徴する事件について、ジャーナリストとしての福沢は終始隠蔽・擁護・合理化・激励する最悪の戦争報道を行いました。

私たち「南京大虐殺」を追求する者にとって重大な意味をもつ「旅順虐殺事件」はアメリカやイギリスの新聞に大きく報道され、何よりも『時事』の特派員報告でも出たのでした。しかし、日本が「文明の戦争」ということで世界に登場しようとしていた時期に、市民を含む2万人近い無抵抗の中国人を殺害したことは、伊藤首相と陸奥外相の判断で不問に付すことになったのです、

福沢は虐殺を「実に跡形も無き誤報・虚言」と切り捨て事実隠蔽のお先棒を担いだのです。

その「結果、日本軍の軍紀には覆うべからざる汚点を生じ、残虐行為に対する罪悪感は失われ、その後この種の事件を続発させることに」なったと『日清戦争』の藤村道夫は述べています。すなわち「南京大虐殺」にいたる道が敷かれたわけです。

5.「日本の近代化=アジア侵略」の「お師匠様」


 福沢は有名な『自伝』の中で、「明治政府のお師匠様」を自負していましたが、彼は「明治政府」に止まらず、アジア太平洋戦に至る日本の近代化の道の総体にわたる「お師匠様」と位置づけるのが正しいと思います。アジア太平洋戦争の有名なキャッチフレーズ「満蒙は我生命線」は後の外相松岡洋右の演説ですが、その先駈けになったのは福沢の「今、日本島を守るに当たりて最近の防御線は朝鮮地方たるや疑いを入れず」です。これは山縣有朋が同じことを主張するよりも3年早くなされたものでした。日本が大東亜共栄圏の盟主だということも福沢は明確に主張しています。

 家永三郎は名著『太平洋戦争』の中で、「日本の民衆が15年戦争を何故阻止できなかったのか」の重要な要素として「隣接アジア諸民族への謂われのない区別意識」を挙げていますが、この蔑視感の形成の先頭に立ってきたのが福沢だったわけです。そしてこの蔑視感は今の日本の有り様にも繋がっております。自分では「偽りにあらずして何ぞや」と冷静に認識しながら、天皇制を「愚民を籠絡するの詐術」と見抜くと、


天皇崇拝は「日本人固有の性」、


「一般の臣民…雖も帝室の為とあらば生命を惜しむ者なし」


とうそぶくしたたかさを持っていました。その福沢諭吉の力もあって「愚民を籠絡する」天皇制は日の丸・君が代とともに今なお健在です。このしたたかな福沢諭吉にどう対抗し乗り越えるのか、それが私たちの課題として問われています。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/news10-3.html

天皇だけでなく日本の一般大衆もチャンコロとチョンが大嫌いだから、靖国に行ってチャンコロとチョンの世界からの抹殺を祈願して来るのさ。


19. 2015年3月01日 12:22:03 : b5JdkWvGxs

靖国に参拝すれば祀られている皇軍兵士から気を貰い、勇気凛々、何でもできる様になるんだ:


鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。

沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。

(略)

南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、
南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。
するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。

北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。 だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。

皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました。


20. 2015年3月02日 06:44:55 : KzvqvqZdMU
A級戦犯なるものは、なぃ!

http://kenjya.org/yasukuni3.html

南京大虐殺とか従軍慰安婦とか、捏造に騙されてはゆかん。
日本=前科者国家として歴史に定着させたい中国韓国の謀略に過ぎない。
そんなものに騙されてはイカン。


[32削除理由]:削除人:アラシ

21. 2015年3月02日 12:52:15 : w3M1BHSquE
20さん 戦争責任というものは、大別して分けると
@アジアを含む諸外国に対する加害責任 と
A日本国民が舐めた辛酸に対する責任 とがあるのです

外国に対する責任は、すでに終わった事とまでは言わないものの 一定の区切りはついており
東京裁判の正当性うんぬんは別として、一応は裁かれています

しかし、日本国民に対する戦争責任は 裁かれたとは とても言い難いのです
A級戦犯だから というのではなく、あくまでも あの戦争の責任者だから奉るべきではないと
私はそう思っております 東京裁判での結果には関係なく あの戦争での日本国民に対する責任は
国家をミスリードした戦争指導者達に有ります、そしてもちろん その中に昭和天皇も含まれており
昭和天皇にも 最も大きな責任があります

しかし、誰かさんみたいに 全てが昭和天皇ただ一人の責任などと 馬鹿げた事は言うつもりは有りませんが
天皇の戦争責任は、厳然と存在するというのが 私の立場です

国家の行く道を誤らせ、日本国民に300万という犠牲者を出したその責任を問うべきと考えるだけで
東京裁判の正当性には私だって疑問は有るのです

しかし、東京裁判が 正当なのか否かは別として、日本国民に対する戦争責任者は存在するのです。


22. 2015年4月25日 11:11:11 : KzvqvqZdMU
>・・・日本国民に対する戦争責任は 裁かれたとは ・・・・

とんでもない言い方だね、先の大戦は、国民全部が一緒になって戦ったのだよ。
中国が、ゆわゆゆ人民外交なる戦術でもって、日本人民は悪くなかった、軍部が悪い。日本人民は犠牲者だ、なんてことをいう。こり、分断作戦なのだよ。
 実態は、軍部も涵養も国民も一体となって戦ったのだよ。国民戦争。

階級闘争史観という誤った思想をかたくなにもってる左翼らが、この中国の人民
外交という分断作戦に乗っちゃった。これが戦後日本というものだ。



[32削除理由]:削除人:アラシ

23. 2015年4月27日 17:29:46 : w3M1BHSquE
>>22
もちろん、軍部だけが悪いと言う 左翼のヒステリックな責任論も 大きな間違いである事は確かです

これは、東西冷戦のさなか いち早く日本国民の自信を回復させ 国家経済を立て直す必要に迫られた
GHQの思惑とも合致するもので、労働運動や学生運動を放置したことで いわゆる左翼の台頭が
まかり通った原因でもあります

私の言う戦争責任者は 決して軍部だけに向けられたものでは有りません 国民すべてと言えるかもしれません
しかし、主要な責任者 指導者の大部分は軍部の人間が中心となる事も 仕方の無い事で
やはり、軍部こそは 「実行犯」 であり、最も大きな責任が有る事だけは否定のしようが無いのです

A級戦犯とされた人間に中には、軍人ではない者まで含まれています 松岡洋右や右翼活動家がそれです
「軍部だけが悪い」 というのも間違いではあるものの、最も責任が重いのも軍部である訳で
【軍部だけ】というのと【軍部にも】というのでは、大きく意味が違ってきますね

そして、軍人を含む日本国民310万人という犠牲は、未来永劫に忘れてはならぬ惨事で
まさに、「日本の歴史上最大の悔恨」 である事は、誰にも否定できない事実で
これで誰にも責任が無いというのなら、それこそ 「我々日本人は馬鹿です」 と言っているようなもの

つまり、あの戦争が、【誤り】だと言う事を認めたくない人間の言う言葉でしょう
310万人もの犠牲者を出し 全ての国民を飢餓地獄に陥れ 運命を狂わされた出来事が
どうして誤りではないと言えるのでしょうか マトモな人間の言う事ではありません。


24. 2015年5月08日 01:41:46 : KzvqvqZdMU
>軍人を含む日本国民310万人という犠牲は、未来永劫に忘れてはならぬ惨事・・・

その責任を日本人が負えっての?

アメリカ人はどーなるんじゃ?


戦犯を日本から50人だすなら、アメリカからも50人だせ!




[32削除理由]:削除人:アラシ

25. 2015年11月22日 08:03:52 : emLTPFLtcV
>>23
>もちろん、軍部だけが悪いと言う 左翼のヒステリックな責任論も 大きな間違いである事は確かです

左翼はそんなこと言ってないよ。
彼らの基本的な理論から考えて、
財閥とか寄生地主制の問題とかあるだろう。

他人が何を言っているか勝手な印象だけではなくもう少し勉強した方が良い。


26. 2016年3月01日 21:15:56 : 98PbyMTnIc : 7I@ujG@ZkfE[10]
特攻隊員が喜んで死んでいったとは思わない。まだ成人するかどうかのどうかの年齢で体当たりするときは「大母さん」と叫んだともいう。誰がそんな若くして死にたいか。君はどうかね。

息子が戦死した母は、いかに軍国の母とたたえられていても実際は悲しみにくれていただろう。

権力者が国とためとかいう価値観を刷り込み、それに反対するものを強権で弾圧していだけだよ。尚、他の人間に氏ねと命令した人間はその本人喪も死ぬべきだ。そうしないなら死刑でいい。

死んだら祭ってやるから死んでこいということを主張するために利用されたのが靖国神社。だからまた他人に死ねといいたいヤツが持ち上げる。



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