01. ♪ペリマリ♪ 2012年5月14日 16:19:57
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>日本だけが世界で非常識の憲法を押し付けられて、未だに敗戦ショックを引き摺っている。その恥ずかしい姿に気づかないのだろうか。いつまで米国に鼻面を引き摺り回されれば、日本国民が真の独立を果たそうという気になるのだろうか。憲法改定はその第一歩なのだが。という意見には同意できません。 改憲する前に9条の素性を正しく認識する必要があります。 9条は天皇制保持のための条項です。 「非常識の憲法を押し付けられて、未だに敗戦ショックを引き摺っている」 というのはプロパガンダです。 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』岩波新書2007年初版より抜粋します。
『1946年2月の上旬にマッカーサーの指示のもとに、GHQ民生局が10日間ばかりの”突貫工事”で現行憲法の草案をまとめあげ、日本側に”押しつけた”ことは良く知られている。しかし、なぜマッカーサーはそれほど急がねばならなかったのであろうか。それは、同月26日からワシントンにおいて、極東委員会が発足することになっていたからである。それではマッカーサーにとって、なぜこの極東委員会の発足が決定的な意味をもっていたのであろうか。
それは、1945年末のモスクワにおける英米ソ三国外相会議において調印された「モスクワ協定」によって、極東委員会が日本占領の最高政策決定機関と位置づけられ、「憲政機構の根本的変更」も同委員会の権限に属するものとされたからである。「憲政機構の根本的変更」とは、明治憲法を改正し新憲法を制定することを意味しており、同委員会にこの制定作業が委ねられることになったのである。現にマッカーサー自身、1月末には「憲法改正問題は、モスクワ協定によって私の手を離れてしまった」と、”あきらめ”の心境を語っていたのである。 しかし、極東委員会を構成する11か国の中には、ソ連はもちろんカナダ、オーストラリアなどを始めとして天皇制に批判的な国々が多く、制定作業が開始されれば天皇制の維持はきわめて困難になることが予測された。そこで、この”苦境”から脱する方策を提示したのが、奇しくも、明治憲法の骨格を残す「松本案」を毎日新聞がスクープしたのと同じ2月1日に、ホイットニー民生局長がマッカーサーに送った「憲法の改正について」と題するメモであった。 そこでホイットニーは、憲法改正について「極東委員会の決定があれば我々はこれに拘束される」ことを再確認したうえで、同委員会が発足する以前であれば最高司令官たるマッカーサーは「いかなる『措置もとりうる」と述べて、同月26日までの”空白期間”に「既成事実を作ってしまおう」(吉田茂)という、一種の”脱法行為”を主張した。だからこそマッカーサーにあっては、”突貫工事”によって憲法改正草案をまとめて日本側に提示し、あたかも日本政府が策定した創案のように”装う”ことが至上命題となったのである。こうして、日本政府が「日本案」を閣議決定したのは、まさに極東委員会が発足する2月26日その日であった。 以上の経緯に明らかなように、天皇制を支持する立場にたつならば、マッカーサーに心からの感謝を捧げこそすれ、非難する根拠は皆無なのである。マッカーサーによる「押しつけ」がなければ、憲法改正作業は極東委員会に委ねられ、おそらく天皇制は廃止されていたであろう。 しかし、天皇制を残すことについて国際社会の了解を取り付けるためには、日本の非武装が不可欠の前提となった。この意味で憲法九条と一条は“ワンセット”として位置付けられたのである。その後、日本は再軍備の道を歩むことになったが、マッカーサー発言に鮮明に示されているように、実は憲法九条は沖縄の犠牲のうえに成り立ってきたのである。同じく、安保体制が、在日米軍基地の75%近くを、狭い沖縄に押しつけて維持されてきたことも周知のところである。 そもそも沖縄は、本土防衛の「捨て石」として4人に一人が血を流すという悲惨な沖縄戦を体験した。そればかりでなく、戦後の米軍支配のもとで、強制的な土地収用、米軍の作戦行動や演習に伴う事故、米兵による凶悪犯罪、基地公害などによって、大量の血を流すという歴史を歩んできたのである。つまり戦後体制とは、憲法体制においても安保体制においても、沖縄の犠牲のうえに成立してきた体制に他ならない。 とすれば、真の意味での戦後体制からの脱却とは、このような沖縄を犠牲にしてきた体制からの脱却でなければならないはずである。沖縄に犠牲を押し付ける枠組みを残したままでの脱却とは、実はその本質において戦後体制の継続そのものなのである。確かに米軍再編のプロセスにおいて負担の軽減が強調され、一定の基地の返還と一部海兵隊のグアムへの移転が計画されている。しかし実態は、沖縄北部への基地の集中化と恒久化である。自衛隊の肩代わりも含め、沖縄のもつ軍事基地としての機能は、将来的にも維持されることは明らかである。そもそも一つの島や地域が、60年以上にわたって過重な軍事的負担を一方的に押し付けられる事態が続くということは、世界的にも異常であり、このままいけば戦後体制は、一世紀にもおよぶ恐れさえ予測される。 憲法改正によって初めての自主憲法が制定される、と喧伝している。それでは、果たして自主憲法の誕生によって、沖縄の何が変わるというのであろうか。沖縄に外交自主権でも付与されるのであろうか。イラク戦争の総括もされずに勧められる米軍再編による、新たな恒久基地の設置を拒否する自由が認められるのであろうか。いずれは梯子を外されるであろう新たな中国封じ込め政策の軍事拠点となることを、拒否する自由が与えられるのであろうか。嘉手納に配備されたAC−3の迎撃によって、核爆発や核汚染にさらされる危険から逃れる自由が生み出されるのであろうか。そもそも、沖縄が基地のないちゅら(美しい)島となって初めて、日本は「美しい国」になり得るのではなかろうか。』 進藤榮一『分割された領土』岩波現代文庫より抜粋します。
『寺崎は、「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」としてシーボルトを訪ね、次のようなメッセージを与えた。
「寺崎が述べるに天皇は、アメリカが沖縄を初め琉球の他の諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によるとその占領は、アメリカの利益になるし、日本を守ることになる。天皇が思うにそうした政策は、日本国民がロシアの脅威を恐れているばかりでなく、左右両翼の集団が台頭し、ロシアが事件を惹起し、それを口実に日本内政に干渉してくる事態をも恐れているがゆえに、国民の広範な承認をかちうることができるだろう。 天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(と要請があり次第他の諸島峡)の軍事占領は、日本の主権を残存させた形で、長期の‐二十五年から五十年ないしそれ以上の‐リースをするというフィクションの上になされるべきである。天皇によればこの占領方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させることになるだろうし、それによって他の諸国、とくにソヴィエトと中国の権利を要求するのを差し止めることになるだろう。 そのための手続きに関し寺崎は軍事基地権の獲得が、連合国の対日講和の一部としてではなく、アメリカと日本との間の二国間条約によってなさるべきだと考えている。寺崎によれば前者の方法は、強制された講和の色彩を著しく濃くし、アメリカに対する日本国民の同情的理解を危うくする恐れがあるからである。」 戦略的信託統治方式によらず、潜在主権を残した形で沖縄を租借する方法は、当時沖縄統治にかかる出費に悩む米陸軍と国務省首脳にとって、まさに格好の代案と受け止められた。国務長官マーシャルは、この文書をシーボルトから受けたあとただちにケナンに回送・・・ケナンは沖縄に関する特別勧告書をしたためる。「政策企画部は、南琉球をアメリカが統治する原則を承認する。政策企画部はこの方式を戦略的信託統治の代案として十分検討すべきものと考える」 翌48年3月初旬、ケナン訪日と入れ違いに、国務省は再度、寺崎‐シーボルトのラインを通じアメリカがソ連の侵略と浸透から守るため、東アジアの防衛前線を確認し、新たに南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能ならば台湾をアメリカの防衛前線として画定するよう要請したメッセージを受ける。』 『一個人』が日本国憲法について特集していますが、 マッカーサーと天皇の共同作業については言及していません。 9条押し付け論者・井上和彦は、 日本の動脈たるシーレーンを死守するために、 改憲と核武装を論を展開しています。 彼は9条の素性が分からないので、 当然の帰結としてシーレーン構想の依って来たるところも分かりません。
鬼塚英昭『二十世紀のファウスト』成甲書房より以下抜粋。
『昭和天皇の「シーレーン」構想
一九四七年八月、日本にやってきたカウフマンは、財閥解体計画に関する極東委員会の「FEC230」なる極秘文書のコピーを入手した。・・・マッカーサーがこの文書を忠実に実行すべく行動していたからである。・・・日本企業の七五%を実質的に支配していた六十七の株式会社を解体し、競争的な資本主義を創出し、軍国主義者が政権を乗っ取るのを防止し、中産階級を成長させるという内容のものだった。
三者会談(ケネス・ロイヤル陸軍長官、ジェームズ・フォレスタル海軍長官、アヴェレル・ハリマン商務長官)でハリマンは「米ソの対立が激しくなっていく今、日本を再軍備し、対ソ基地にするためにも財閥解体を阻止しなければならない」と主張した。ロイヤルとフォレスタルはハリマンと同一意見であると表明した。ここから日本の再軍備が始まるのである。 カーン、カウフマン、パケナムを中心として、やがてジャパン・ロビーなるものが形成されていく。・・・一九四七年九月、昭和天皇の御用掛であった寺崎英成はマッカーサー司令部の外交局長ウイリアム・シーボルトを訪れ、「天皇のメッセージ」を差し出した。昭和天皇はこのメッセージの中で、「沖縄をアメリカの戦略的基地として貸与してもよい。対共産主義の防護壁とすべきである」と書いていた。シーボルト外交局長はこのメッセージをマーシャル国務長官に送った。・・・ケナン政策企画室長はマーシャルから「天皇のメッセージ」を渡された。マーシャルはケナンに言った。「ケナン、まだ君よりも天皇の方が先を読んでいるようだな」 一九四七年九月十八日の夜、羽田空軍基地でマッカーサーはジーン夫人同伴で新陸軍次官ウイリアム・H・ドレイパーを出迎えた。・・・日本の「逆コース」はドレイパーの日本政策から始まるのである。「日本とドイツは今や非軍国化され、非ナチ化された。両国は今や国際社会で自尊心と自立心を持つ一員となった。それゆえ、しかるべき復興を許されるべきである。 ドレイパーの日本訪問の目的の半分はデイロン・リード社の利益のためであった。・・・ハリマン・コネクションの一人である。・・・マッカーサーはこのドレイパーのマジックにかかり、財閥の解体を骨抜きにされ、日本の再軍備を進めるようになるのである。一九四七年の暮れまでに日本の財閥解体を防ぎ、日本を軍事国家として世界に再登場させ、近未来にやってくる共産主義国との戦争の砦とするアメリカの方針が出来上がった。 一九四八年一月、またドレイパーが日本にやってきた。直接の目的は日本経済を急ピッチで再建し、来たるべき限定戦争の基地とするためであった。ハリマンとアチソンが進める「次なる戦争」のためである。ドレイパーは敗戦国の日本が支払うことになっていた賠償を撤廃することに成功する。デイロン・リード社には日本向けの債権があった。ドレイパーはこの債権をアメリカ国家に片づけてもらった。 デイロン・リード社は国際ユダヤ資本が作った会社の一つである。そして財閥解体を免れた日本の大企業と密かに大口契約を結んだ。来たるべき朝鮮戦争で、日本企業に厖大な仕事がいくことをドレイパーは知っていた。そのための秘密契約だった。・・・解体されるべき企業は三百二十五社から九社にまで減らされた。マッカーサーは敗北した。・・・ドレイパーはマジシャンだった。日本はこの戦争に役だった功績が認められ国家賠償を最小限にしてもらい、高度経済成長へと突っ走るのである。 一九四八年二月末、天皇の御用掛の寺崎英成が再びシーボルト外交局長を訪ねた。シーボルトは「覚書」をマーシャル国務長官に送った。「寺崎氏は、同氏の考える現実的な政策とは、南朝鮮、日本、琉球(沖縄)、フィリピン、可能ならば台湾を米国の最前線地域として選ぶというものであろうと述べました。同氏は米国の安全保障の境界線が右記の地域を最前線として明確に設定されるならば、東洋における米国の対場が鉄壁のものになるであろうと考えていました。 寺崎氏は可能性として考えられるソ連の侵略、ないし侵攻に備え、米国が中国本土を除くこれらの地域の保全のために鋭意努力する様を心に描いているのであり、中国は自らを救う策を案出する同国の才覚として任せるべきであるとの考えでした。右の見解は寺崎氏の個人的見解を示しているにとどまらず、天皇を含む多くの有力な後続との議論に基づくものと考える理由があります。」・・・寺崎は在アメリカの外交官だったときも、二重スパイとしてアメリカの秘密機関と通じていた。 ケナンが昭和天皇のシュミレーションを読んで驚いたのは無理もない。ケナンらの構想と昭和天皇の構想がほぼ一致していたのである。昭和天皇は、中国が共産党の手に落ちるであろうこと、その中国を中心にしてソ連が朝鮮半島で戦争を仕掛けるであろうことを予言していた。昭和天皇はマッカーサーの支配から脱出しようとしていた。そのためにハリマンの力に頼ろうとした、と私は思うのである。』 ↑ (昭和天皇が山形有朋の支配から脱出しようとして、頭山満の力に頼ろうとしたのと同じ手法です。)
つまり井上和彦がいう日本のシーレーンの動脈とは、 『米国の安全保障の境界線が右記の地域を最前線として明確に設定されるならば、東洋における米国の対場が鉄壁のものになるであろう』
という昭和天皇の負の遺産を指しています。 井上和彦はここを死守するために核武装しろといいますが、 それが国防のために使われるという保証はどこにもありません。 日米共同演習では十数年以上前から、 戦術核の模擬弾がバンバン使われています。 これを実地にやれという話になります。 いったいどこで?誰の命令で? 日本の制空権はいまだに米軍の管制に従っていると、 井上和彦自身が書いています。(2009年時点)
『一都八県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる広大な空域は、米軍の航空管制空域となっている。したがってこの空域を飛行する民間機を含むすべての航空機は米軍の管制を受ける。』 自衛隊の最高指揮官は内閣首相ということになってますが、 いざふたを開けてみたらそんなものは吹っ飛んでいるでしょう。 福島原発事故の対応を見ても分かるように、 日本人なんか皆殺しにしてもかまわないと思っている連中が、 自衛隊の指揮を執るだろうことは容易に想像できます。 そうしてまたぞろ自衛官の若者たちが消耗品として投入されるでしょう。
すでに9条は朝鮮動乱の前夜に実質的に骨抜きにされています。
1959年ン6月22日、 ニューズウイークの東京支局長パケナム邸に、 天皇のスポークスマン松平康昌、 吉田茂のコネクション辰巳栄一、 大蔵省の渡辺武、 国家地方警察体企画課長の海原治、 外務省の澤田廉三、 米大統領特使ジョン・フォスター・ダレス、 米国務省アジア課長ジョン・アリソン、 が集まって日本の逆コースが決定し、 三日後に朝鮮戦争が勃発します。 朝鮮戦争は用意されていた「次なる戦争」です。
『大戦が終わったとき、プラウテイは沖縄にいた。日本の抵抗が続いた場合に備え、そこには少なくとも30万の兵力を維持できるだけの軍事物資が保管されていた。その物資が那覇港で海軍の艦船に積み込まれるのを見て彼はアメリカ本国へ送り返されるのだと思ったのだが、実際は違った。半分は朝鮮半島、残りの半分はインドシナに運ばれようとしていたのだ。・・・それにともなってCIANの支局は東京のホテルから厚木基地へ移動・・・基地では正体を隠すために六〇〇六飛行大隊を名乗っている。』(桜井)春彦『テロの帝国アメリカは21世紀に耐えられない』三一書房より 朝鮮戦争とベトナム戦争は昭和天皇のシーレーン構想をもとに、 沖縄がアメリカの前線基地の一つとなって遂行されたものです。 いまあえて9条を改憲しようという潮流が顕著になってきたということは、 すでに9条改憲は最高支配層では決まっている、 橋下徹はこの既定事項のために見繕った使い捨てのコンプラドールである、 ということを意味していると思います。 昭和49年の時点で戦前の軍事態勢が復活し、 日本が戦争に巻き込まれることを忠告している文章を抜粋します。 羽仁五郎『黙示録の時代』潮出版社昭和49年7月25日初版 『憲法に忠誠を誓えぬ不思議
第二の問題は”十二月八日”というのはまた来るか、という問題ですが、これは歴史的に判断すれば、必ずまた来るんだね。来るかも知れないというのんびりした話ではないんです。必ずまた来る。なぜまた来るかというと、あの十二月八日が出現したのと同じような条件がいまあるわけです。同じ条件があれば同じ結果が出てくるというのは論理ですよね。
あの十二月八日にあったおので、日本にいまなくなったものはあるかどうか。何かひとつでもいいからあるかね。天皇陛下はいらっしゃるし、軍隊はあるし、三井・三菱は健在だしね。
十二月八日になかったものはあるよね。多少はね。いまのような主権在民の憲法というようなものは、あの十二月八日にはなかった。だけどこの主権在民の憲法というものを、文部省でさえ、学校で教えなくていいというんだからね。学校で教えなくていいんだから、それはあっても無きに等しいんだよ。それを文部省が公然とやるんだから、教育学部‐教師になる大学生が、憲法を勉強しなくていいというんだよ。
ぼくは参議院議員をいていたころ、自衛隊を視察して、自衛隊の教育を全部調べてみたんだが、自衛隊でも憲法を全然やっていないね。もっともこれはやれないやね。やりようがないんだから。これは憲法がやれないような軍隊なわけだよ。外国の軍隊はすべて憲法に忠誠を誓うんだ。世界の軍隊で憲法に忠誠を誓っていないのは日本だけだ。その意味では十二月八日の時よりももっと恐ろしいね、現在の方が。
本当に冷静にしっかり認識していて下さいね。なるだろうか、ならないだろうかという、そういう素人考えはやめて下さい。なるかならないかの話ではないんですよ。なるにきまっているんです。しかもなる場合、歴史の大事な法則として、時間がたっていれば、第一回よりも第二回の方が、幾何級数的に大きなものが来るということです。
だから第一次世界大戦よりも第二次世界大戦の方が比較にならないほど大きなものだったんです。この次の十二月八日はこの間の十二月八日と比較にならないほどすごいものが来るんです。これは来るか来ないかの話じゃないということを重ねて念をおしておきます。断言してはばからない。だからそれを阻止するためにあらゆる努力をせざるを得ないんです。』
先決問題として国家カルトの呪縛を解き、 自衛隊が真に国軍足り得ることが最も肝要だと思います。 私は日米戦争はアメリカ参戦のための口実であり、 アメリカの主戦場はあくまでヨーロッパであったという、 桜井春彦氏の卓見に同意します。 日本の主戦場が中国であり、 日中戦争の実態は麻薬戦争であったこと、 天皇と財閥たちが麻薬栽培で荒稼ぎして、 それが国際連盟脱退の真相だったことが語られることはまれです。 改憲派の筆頭の一人、 桜井よしこの中国批判には麻薬のまの字も出てきません。
中矢伸一氏がインサイダーに聞いたところでは、 法案を決めているのは日本人ではないということです。 この呪縛状態で9条を改憲するのは、 「福島原発事故による被害は広島原爆投下の千個分に相当する」 という小出教授の談話から想定すると、 おそらく日本壊滅を意味すると思います。
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