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憲法9条こそ最強の安全保障政策だ(天木 直人、日経BP)
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/281.html
投稿者 tk 日時 2010 年 10 月 01 日 18:01:26: fNs.vR2niMp1.
 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100921/216322/?ST=print

憲法9条こそ最強の安全保障政策だ
自衛隊の専守防衛化とアジア集団安全保障体制の構築を急げ
2010年9月29日 水曜日 天木 直人

 菅直人内閣は、年末までに新しい防衛大綱を閣議決定する予定だ。防衛大綱は、日本の中期(5〜10年)の安全保障政策の指針を示す重要な文書である。本来なら昨秋、改定する予定の文書だったが、政権に就いたばかりの民主党が1年延期した。

 このコラムでは、外交官や自衛隊のOB、国際政治学者などの専門家が考える防衛大綱の「私案」を紹介する。日本は、集団的自衛権の行使を今後も 禁止し続けるべきなのか? 非核三原則、武器輸出三原則などの「原則」を今後も維持し続けるべきなのか? 日米同盟はいまのままでよいのか? 米軍基地は日本に必要なのか?

 安全保障政策に関する議論は、これまでタブー視されてきた。しかし、本来はみなで議論し決めていくものである。このコラムで紹介する私案は、ビジネスパーソンが自分のこととして安全保障政策を考える際の座標軸づくりに役立つはずだ。

 今年中にも「新防衛計画の大綱」が民主党政権の手によってつくられる。これまでにも防衛計画の中・長期計画は幾度となくつくられてきた。しかし今度の新防衛計画の大綱は、政権交代を実現した民主党が初めてつくる防衛計画である。折りしも国際情勢は激変しつつある。そんな中で新しい防衛計画はどうあるべきか。

 結論から言えば、これからの防衛政策は、日米同盟に依存するのではなく、日本の国益を優先した自主、自立した防衛を目指すべきである。

 そう言うと読者は、私が「憲法9条を改正して強い軍隊を持つべきだ」と主張しているように受け取るかもしれない。しかしそうではない。その逆だ。憲法9条を世界に高らかに掲げ、平和外交で日本を守る総合的な防衛政策を構築すべきだと言っているのだ。

 私は単に「護憲を唱えれば平和が守れる」と考える非武装中立論者ではない。世界から戦争を無くし、武器を無くすことは確かに理想だ。そして人類はその理想に向けて努力を続けるべきだ。その理想を唱える平和論者に敬意を抱き、共にその理想に向かって力を合わせていきたいと考える。しかしその理想を実現するために、日本は正しい防衛政策を確立しなければならない。

専守防衛の自衛隊、アジア集団安全保障体制、憲法9条の堅持が柱


 日本にとっての最善の防衛政策は何か。それは一方において米国の下請け軍隊に成り下がった自衛隊を、専守防衛の自衛隊に戻すことである。そして他方において、我が国の安全を確実に担保するものとして、アジア集団安全保障体制を構築することに全力を傾ける。そして、これら2つの政策を支える平和憲法9条を堅持する。この三位一体の政策こそが、現実の国際情勢を見極めた最強・最善の防衛政策である。これに優る防衛政策はない。これが私の新防衛計画大綱私案である。以下、主要な論点を説明していきたい。

国民的合意がなかったこれまでの我が国の防衛政策

 戦後の我が国の防衛政策とは何だったのか。我が国に固有の防衛政策はあったのか。あったとして、それは国民的議論を経て合意されたものだったのか。我が国の防衛政策を考えるときは、まずこれらの問いかけから出発しなければならない。

 我が国は1951年にサンフランシスコ講和条約を締結して国際社会に復帰した。そして、そのとき同時に(文字通り講和条約を締結した同じ日に)、米国との軍事同盟協定である日米安保条約を締結し、米国を先頭にした自由主義陣営の一員となった。このとき、共産主義国を含む全世界との講和を主張する全面講和論者との間にイデオロギー対立が起きたが、日本政府は国論が二分されたまま講和条約を締結した(部分講和)。そして日米安保条約を結んだ。

 ところがその日米安保条約は、国民はおろか、当時の国会議員でさえもその内容を知らされないまま吉田茂首相が単独で署名した、いわば“密約”であった。さらに、その安保条約を改定して今日に至る1960年の新安保条約は、いわゆる安保闘争と呼ばれる戦後政治史上の一大対決の中で強行採決(衆院)された異例の条約であった。衆議院で可決された後、国会審議は停止。混乱の中で、参院で審議されないまま自然成立した。国家の安全保障にかかわる最も重要な条約がこのような形で成立した事は、その後の日本の防衛政策に決定的な悪影響を及ぼしたのであった。

 しかも、冷戦後の米国の軍事政策は、自ら“押し付けた”平和憲法9条に反する数々の防衛政策の変更を日本に迫った。事実上の軍隊組織である自衛隊を1954年につくらせたのは、その一例だ。日本政府は、本来ならば憲法9条を改正しなければとうてい認められないような政策を、次々と既成事実化していった。憲法9条と日米安保体制という2つの矛盾した政策の共存こそ、我が国の防衛政策論議を不毛にした根源なのだ。

冷戦の終結と日米安保条約のなし崩し的変貌


 この矛盾は、冷戦が終焉した1989年を契機として解決すべきものであった。冷戦を前提として成立した日米安保条約は、冷戦の終結と共にその存在の根拠を失った。この事実は誰も否定できない。本来ならばその時点で日本は、それに代わる新たな防衛政策を国民による議論と合意の下につくるべきであった。しかし官僚主導の政治の怠慢がその国家的一大事業を妨げた。

 冷戦が終わってもなお、米国との軍事協力関係を継続する事が日本の防衛にとって最善だと日本の為政者(政府、官僚)が判断したのであれば、それでも良いとしよう。しかしその場合、為政者はその新たな方針を正面から国民に説明し、堂々と国会で審議した上で新しい日米軍事協力条約(日米同盟)をつくるべきであった。

 ところが日本政府と官僚は、国民的議論を行うことにひるんでその努力を怠った。それだけではない。日米共同声明という政治宣言を繰り返すことで、日本の防衛政策をなし崩し的に転換していったのである。現在の日米軍事協力関係は、60年に改定された新日米安保条約に基づく体制とはまったく異なるものになった。米国が日本を守る代わりに在日米軍基地を受け入れるというのが日米安保体制だが、今の日米同盟は、日本を守るという要素はほとんどなくなっており、米国の戦争に日本が協力させられる軍事協力関係になっている。法的には国際条約や憲法の下位にある政治声明が、国際条約や憲法を超えて政策を決めて行った。いわば「法の下克上」が行なわれたのだ。

民主党政権の新たな防衛政策と説明責任

 冷戦下において、反共、自由主義を党是に掲げた自由民主党が日米安保条約を最優先し、対米従属的とも言える防衛政策に終始してきた事はいわば当然であった。政権維持のため、自民党は米国CIAから資金援助まで受けていた事が、今では米国の機密文書解除により明るみになっている(『CIA秘録』、ティム・ワイナーNYタイムズ記者著)。

 その自民党政権が行き詰まり、国民は民主党政権を選んだ。だから民主党政権は米国より国民を優先し、国民のための真の防衛政策をつくる責任がある。民主党政権が初めてつくる新防衛計画の大綱に注目すべき理由がそこにある。

 もとより民主党政権が、自民党政権と同じように「米国との軍事協力関係によって日本の安全保障を守る事が最善だ」、「それが国益だ」と確信し、日米軍事協力関係(日米同盟)の維持を最優先する政策を決めたとしても、国民がそれを支持し、そのような民主党政権を認めるのなら、私はそのような国民の判断を尊重したい。しかしそのためには、その決定を下す前に国民に対し十分な説明責任を果たさなければならない。この事は、自民党政権下の日米安保体制“が密約”の連続でつくられ、国民の間に亀裂――護憲派と改憲派――と不信を招いた事を考えると、特に重要である。

 折から2010年は、1960年の安保改定から半世紀たった記念すべき年である。その年に民主党政権が新たな防衛計画の大綱をつくるというめぐり合わせになった事は何かの因縁である。

 自民党政権が続いていたならば、盛大に日米安保条約改定50周年記念を祝い、その祝賀に紛れて、「共産主義の脅威から日本を守る」日米安保体制を、米国の「テロとの戦い」に協力する日米同盟へと根本的に転換するよう図ったに違いない。しかもそれを、日米共同声明という官僚主導の政治宣言を出すことで、国民不在のまま行っていたであろう。情報公開を掲げて国民から選ばれた民主党政権は、自民党政権下の不透明な防衛政策の決定プロセスを改め、日本の新しい防衛政策を国民の前に提示した上で、国民的合意に基づく防衛政策を確立する責任がある。

歴史を後戻りさせてはいけない


 人類は長らく、軍事力で国益を実現する時代を経験してきた。その行く先は、軍事拡張と軍事同盟の乱立であり、2度にわたる世界大戦であった。その反省から戦後の国際社会は出発した。そして、いわゆる集団安全保障体制へと人類は安全保障政策を進化させたのである。軍事力で国益を実現したり、軍事力で紛争を解決する事を禁じ、平和共存のルールをつくって皆でそれを守る。それに違反する国が出てこないように、みなで監視し、違反する国をみなで取り締まる。

 残念ながら、国際連合による集団安全保障体制は今日まで有効に機能する事はなかった。その最大の理由は東西冷戦の勃発である。国連の安全保障理事会は米ソ2大国の拒否権の応酬の場となり、平和実現のための有効な議決ができなくなった。

 ところが1989年に冷戦が終わり、その意味で大きな障害が無くなったにもかかわらず、国連が安全保障に果たす役割はやはり不十分なままである。なぜか? それは冷戦に勝利して圧倒的な超軍事大国となった米国が、その巨大な軍事力を「世界の警察」の役割のために正しく使おうとしなかったからである。それどころか米国は自らの国益の実現のために、その軍事力を公然と行使した。その典型例を我々はイラク攻撃で目撃した。

 「無敵の軍事力を持つようになった以上、話し合いというまどろっこしいものではなく軍事力にものを言わせて問題を解決する。それは当たり前の事だ」というネオコンの論理が米政権を覆い、テロとの戦いには先制攻撃も辞さないとするブッシュ・ドクトリンが生まれた。

 その考え方はオバマ大統領に「チェンジ」しても引き継がれている。オバマ大統領は核廃絶演説によってノーベル平和賞を受賞した。しかしその授賞式のスピーチで「正しい戦争はある」と言った。これは「テロとの戦いは正しい戦争である」ということだ。米国の戦争は正しく、その他の戦争は許さないということだ。この発言はまさに歴史を後戻りさせるに等しい。

 戦争を無くすことがいかに難しい事ではあっても人類は逆戻りしてはいけない。日本は、軍事同盟の時代から集団安全保障の時代へ進歩する人類の努力を捨ててはいけない。

日米同盟を最優先する合理的理由はない

 日米軍事協力関係、すなわち日米同盟を最優先する政策は、自民党政権下ではもちろんのこと、民主党政権になっても変わらない事が明らかになりつつある。もはや日米同盟に反対する事はタブーのごとしである。しかしその考えには合理的根拠はない。当然のごとくそれを受け入れているだけだ。

 日米同盟の実態を知れば、もはや日米同盟は日本にとって無益であるばかりか、むしろ有害であることに気づくはずだ。その理由は数多くある。第1に、米国との軍事協力関係を重視する限り対米従属から逃れられないということだ。米国はもはや世界唯一の超軍事大国だ。その米国と軍事協力関係を持つ限り対等な関係は有り得ない。米国は軍事政策に関しては他国の意見を聞く耳を持たない。米国の軍事的要請は絶対的だ。一方的だ。それを飲むしかない。従属的にならざるを得ない。

 次に、日米同盟は、もはや日本を守るものではなく、米国の戦争に日本を協力させるための手段になっているということだ。米国が最優先する軍事政策は、いまや「テロとの戦い」となった。その事を米国は繰り返し公言している。「テロとの戦い」とは、米国のパレスチナ政策に反発するイスラム武装抵抗組織との戦いである。日本の安全保障とは何の関係もない戦いである。それどころか、その米国と軍事協力を進める事によって「テロとの戦い」に加担する事になる。日本が、テロの標的になる危険性が出てくる。

 3番目に、「日米同盟はアジア諸国もまたそれを望んでいる」という事の欺瞞である。最近よく、「日米同盟は日本だけで変えられるものではなく、もはやアジアの国際公共財である」と語られる。とんでもない詭弁だ。アジア諸国が日米同盟の解消に反対する最大の理由は、米国から離れた日本が軍事的に再び暴走するかもしれない、という懸念があるからだ。いわゆる在日米軍が日本の軍国主義復活を抑えてくれているという「ビンのふた」論である。日本にとってこれほど屈辱的なことはない。

 4番目に日米同盟安上がりだ、という議論もよく唱えられる。米国も恩着せがましくそれを唱える。いわゆる安保ただ乗り論だ。これも噴飯ものである。日米同盟のためにどれほど日本は経済的負担を強いられてきたことか。米国兵器の購入から始まって在日米軍基地対策費などその負担は世界最大だ。思いやり予算という屈辱的な経費まで負担している。さらに言えば、「米国に守ってもらっている」という負い目から、米国の国債購入や戦費肩代わりのために、国民が稼いだ金を米国に差し出してきた。その経済負担は数字にできないほど大きいはずである。日米同盟のコストは決して安くない。

軍事増強論の誤り


 米国への軍事依存から離れるということは、自らの手で日本を守るということである。そう言うと、「だから憲法9条を改めて、自らの軍事力を強化して日本を守らなければならない」という意見がすぐに出てくる。しかし軍事力の強化による自主防衛は、日本にとって取り得ない政策である。

 軍事力によって日本を守ろうとすれば、軍事力拡大に歯止めがかからない。「敵より強い軍事力を持たないと負ける」という恐怖感から、さらなる軍拡に走らざるを得ない。行き着く先は核武装だ。

 しかし日本が核保有国になる選択肢はない。アジア諸国から警戒され、世界から孤立する。そして、誰よりも米国が日本の核保有を絶対に認めない。軍事力を拡大して日本が単独で日本を守るという選択はないのである。米国が認めない軍事増強政策を日本政府が取ることはない。

自衛隊は専守防衛に徹するべきである

 その一方で護憲論者の中には自衛隊が違憲だと言い張って、今でも自衛隊を認めない人々がいる。確かに憲法9条が成立したとき、自衛隊を持つ事は想定されていなかった。その意味で自衛隊は違憲だ。しかし米国によってつくらされた自衛隊はその後の半世紀あまりの時の経過を経て、国民に受け入れられるところとなった。自衛隊は戦争に巻き込まれることなく、災害救助など国民生活に貢献してきた。

 そのような自衛隊について「合憲か違憲か」、「軍隊か軍隊ではないのか」、などと言った議論を行なうのは不毛だ。重要な事は、米国軍の指揮・命令下に置かれて、米軍の下請け軍隊のようになってしまった自衛隊を、日本を守る事に専念する日本の自衛隊として取り戻す事である。米軍に使われる膨大な予算を、日本を守る防衛予算に「事業仕分け」することなのである。

 その意味で自衛隊は日本領土から一歩も出してはいけない。最近やたら自衛隊の海外派遣が国際貢献の名の下に行なわれるようになった。自衛隊法が改正されて自衛隊の国際貢献が本業となった。私はこの動きに危ういものを感じる。国際貢献の名の下に、自衛隊が米国の戦争に協力しようとしている疑念を抱く。自衛隊は国際協力の前に、まず自国を守る事に専念すべきである。専守防衛の意味はまさしくここにある。

日本を襲う国が存在するのか


 日本の防衛政策を語る上で最も重要な事は、一方的に攻撃してくる国があるのかということである。かつての日本ならいざ知らず、憲法9条を掲げて他国を侵略する意図がないとを日本は公言している。

 日本にとっての潜在敵国はどこの国か。冷戦下においては日本の脅威は共産主義の大国ソ連であったことは衆目の一致するところだ。だからソ連の脅威に備えて装備を考えた。しかし冷戦が終わり、もはやロシアは仮想敵国ではない。それは今では誰もが認める事だ。

 ソ連に代わって、いまや、中国と北朝鮮が我が国にとっての脅威であるかのごとく語られる。しかしそれは本当だろうか。

 確かに最近の中国を見ていると、経済の発展とともに一大軍事大国を目指しつつある国のように見える。しかし軍事力の大きさは、そのまま軍事的脅威を意味するわけではない。軍事的脅威とは、軍事力に加えて、それを行使する意思があるかどうかで決まる。少なくとも、見通せる近い将来において、中国が日本を武力攻撃しようとする意思はない。中国にとって日本を攻撃するメリットはないからだ。中国政府にとっては、国内経済を発展させ、国民生活を向上させることが当面の最優先政策であるはずだ。これから、日本と中国の経済的結びつきはますます拡大していく。経済関係の深まりは軍事的脅威を抑止する。

 それでは北朝鮮は日本とって脅威なのか。北朝鮮脅威論は中国脅威論よりももっと根拠がない。北朝鮮と日本との間に存在する喫緊の問題は北朝鮮の核問題ではない。核問題は米国に任せておけばいい。米国と北朝鮮の問題なのだ。日本が何を言っても米国と北朝鮮が話し合えばそれですべてが決まる。

 日本と北朝鮮の喫緊の問題は、過去の歴史の清算であり国交正常化問題である。拉致問題は国交正常化の問題と一体となって同時解決されるべき外交問題なのである。北朝鮮が核兵器を持って暴発する危険性が指摘される。しかし、そのような特殊な可能性のために防衛を考えるのは誤りだ。暴発をなくす外交努力こそ必要なのだ。

 百歩譲って中国や北朝鮮が日本の軍事的脅威であるとしよう。そうであればこそ日本は、中国と北朝鮮を含めたアジア集団安全保障体制の構築を目指すべきなのである。なぜならば日本の脅威はそれらの国しかない以上、それらの国との安全保障体制を考えるのが当然であるからだ。

 地域的集団安全保障については既に、1995年に欧州安全保障協力機構ができている。EUもまた広い意味での集団安全保障体制だ。EU諸国の間で戦争が起こる事はもはや考えられなくなりつつある。アジアでそれができないはずはない。アジアの集団安全保障体制ができなかった理由として政府はしきりにアジアの多様性、異なる体制の混在などを挙げる。しかし、いずれも真の障害要因ではない。本当の理由は日米同盟の存在理由が失われるからではないか。

 憲法9条を掲げた日本が本気になってそれを提唱すれば反対できる国はない。それができなかったのは日本が日米同盟を優先し、米国の機嫌を損ねる事を恐れて本気でそれを追求してこなかったからだ。アジア集団安全保障体制は、まさしく日米安保体制の対極にある安全保障体制なのである。

 米国がアジア集団安全保障体制に参加したいというならそれを拒否する理由はない。しかし米国が加盟すると米国の意向が優先され、国連の二の舞になる可能性がある。アジアの国に限定したほうがよいのではないか。アジアの集団安全保障体制は、極端に言えば中国、韓国をパートナーとする非戦協定のようなものと言える。

不戦時代の到来とテロとの戦い

 戦争とか軍事力だとか、我々は軽々しく口にする。だが、そのような言葉を口にする日本国民の果たしてどれほどの者が、今日における戦争の悲惨さを認識しているだろうか。我々の戦争体験は65年前の太平洋戦争で止まっているが、その後の軍事技術の発達は兵器の殺傷能力を飛躍的に高めた。それは国家間の全面戦争を不可能にした。犠牲が大きすぎるからだ。核戦争に勝者はない。核兵器によって世界は不戦時代に入ったという認識はもはや国際政治論者の間で広く共有されつつある。

 その唯一の例外が米国の「テロとの戦い」である。しかし、これは国家間の戦争ではない。圧倒的に軍事的優勢に立つ者が一方的に弱者を殺戮する。被抑圧者が命と引き換えに抵抗する。そのような非対称な戦いだ。そこには抑止力は働かない。米国が核廃絶を言い出すようになったのは決して核兵器そのものに反対したからではない。自分たちに核兵器が使われる危険性が高まったからだ。「テロリスト」に核が渡るぐらいならいっそ無くしてしまえ、というわけだ。

 「テロとの戦い」をこれ以上米国に続けさせてはいけない。「テロとの戦い」の誤りを米国に気づかせなければならない。テロの根本原因である米国の不正義な中東政策を改めさせなければならない。それができないのであれば、少なくとも日本は、そのような米国の戦争から距離を置く。これこそが、これからの日本の防衛政策を考える上で重要な点である。

日本は戦争ができない国になった


 それでも中国や北朝鮮が攻めてきたらどうするのだ、という声が聞こえてきそうだ。ならばそう主張をする者に聞きたい。今の戦争はミサイル戦争である。大都市に国家機能を集中させている日本、全国に原子力発電所を抱えている日本、そんな国が核ミサイル戦争に勝てると思うのか、と。1発のミサイルが都心に落ちただけで、その被害は想像に余りある。原発施設にミサイルが投下さたなら、いったいどんな惨状を呈するか? いくら日本が核迎撃システムを高い金を払って米国から買っても、迎撃ミサイルがすべてのミサイルを撃ち落すことは不可能だろう。日本は近代戦争に対して最も脆弱な国になってしまった。日本は戦争ができない国、してはならない国になってしまった。日本は何があっても戦争をしてはいけない国になったのである。

憲法9条は最強の安全保障政策である

 要するに我が国のこれからの安全保障政策は、専守防衛の自衛隊、アジア集団安全保障体制の構築、憲法9条を世界に宣言して行なう平和外交、この三位一体の政策で構成するものであるべきだ。これが私の新防衛計画の大綱私案である。

 そして、その中で最も重要な政策が憲法9条を堅持することである。それなくしては、専守防衛の自衛隊もアジア集団安全保障体制を求める外交努力も説得力と正当性を持ち得なくなる。

 憲法9条は単に条文だけでできているものではない。そこには戦後65年間の我が国の戦後史が凝縮している。米国の占領政策に振り回されながらも平和国家日本を貫き通した先人たちの苦労と英知が詰まっている。そんな憲法9条を失う事は、同時に、戦後の歴史を失う事だ。日本の防衛政策を失う事だ。憲法9条こそ最強の安全保障政策である。  

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コメント
 
01. 2010年10月21日 11:55:28: aIjrukObbg
<侵略に対応しない『国家システム』は政治家ごと駆除される。>

大規模侵略されたら侵略側のシステムに移行。

尖閣がグルジア並みに侵略された場合、

対応しなかった『国家システム』は政治家ごと国民蜂起で駆除される。

米国は日本が反撃しようがしまいが、グルジア戦同様護らないだろう。

たぶん、評論家のごたくより、外に出て『国家の危機』を訴え、

『徴兵制を求める』演説が現実的に必要かもね。


02. 2010年10月25日 16:11:51: tkEJfr9KpY
日本国憲法は、本当に日本国民の為になっているのだろうか?
むしろ、日本の独立を阻止しているように思えるのだが。
第9条について、マッカーサーは、何時でも改正できると言っていたそうだ!
9条を押し付けたマッカーサー自身も、軍隊を持たない独立国は存在できないと
考えていたのである。
日本国憲法には、日本国国体とってもっと大きな障害が埋め込まれていた。
それこそ、天皇制の問題である。
栄えある日本国から天皇制を取ってしまったら、西洋文明に汚染・洗脳された
世界の他の国々と同じことになってしまう。
それでは、一体全体、誰が人類を滅亡から救うことができるというのだ!
日本は、早急に自主憲法を制定し、天皇制を再構築し、天皇による祭政一致の
国体を実現しなければならない。

03. 2013年7月29日 23:20:13 : UFO3RwNf4Y
憲法9条改正は反対だ。しかし防衛予算は今の3倍にして核兵器を保持して専守防衛に
徹するべきだ。防衛力と集団防衛力の保持は国家の自然権として総ての国に認められ
ている。
日本は憲法9条を総ての国が持つようにアメリカや中国を始めとする全世界に働きかけ
るべきである。その際、日本の平和外交を気に入らず日本を侵略しようとする邪悪な
国家から日本を防衛するだけの目的で核兵器は有用だ。

現在、世界中に紛争が絶えず女性や子供たちや一般市民が真っ先にその犠牲になって
いる。日本は自国のことだけ考えず、平和に暮らし突然犠牲者になる可哀想な市民を
出さないために先頭にたって平和憲法を世界に広めるべきだ。それが過去の歴史に対
する責任でもある。


04. 2014年6月22日 20:14:49 : l6hZgaOPRs
核抑止力は核ミサイル迎撃システムを作ることではない。

核報復力を確立することが、中共や北朝鮮の核攻撃を思いとどまらせるのだ。

都市に一発落ちただけでどんな惨状を呈するか、それは中共も知ってる。

迎撃システムを作るのはむしろだだっぴろい中共の方が不利。

だから、日本が核攻撃されない一番の方法は、相手が日本の核報復能力を恐れるほどに核戦力を持つことだ。


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