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学問を構成する三つの柱である、自然科学・社会科学・精神科学が跛行的な進歩発展を遂げることは、人類にとって不幸であると言うこと。人類の思想進化こそが地球の平和を招来すると言うこと。
今日の自然科学(天文学・物理学・生物学等)の進歩発展は目を見張るものがある。自然科学の研究に於いては、若い人であっても、試行錯誤の実験の繰り返しによって、場合によっては、早期に真理を発見する事が出来る。
社会科学(社会学・経済学・歴史学等)の研究に於いては、ある程度の社会的な経験が必要不可欠である。例えば、小学生のとき歴史の勉強をしても、殆ど項目を暗記するに過ぎない。よって面白味は少ない。何故か、その理由は社会経験が少ないからである。大学に入ってから読む歴史は一味違うものになる。中年になって読む歴史は興味深い。高年になって読む歴史は興味が倍加する。何故か、実社会における裏切り・背信・失敗・挫折等のどろどろした人間関係にもまれ、試行錯誤の人生を送ったことにより、社会経験が豊富になり、世の中を洞察する力が出来た事により、若い時には見えなかった、活字の下に隠されていた情報がどんどん目の中に飛び込んで来るからである。従って、社会科学の進歩は社会経験を積む必要があるので、自然科学の進歩に比べて進歩が遅いのはある程度止むを得ない。付言すると、第二次世界大戦後ヨーロッパで生まれた「平和学」についての真摯な研究が軌道に乗りつつある事は、人類にとって喜ばしい限りである。
ところで、精神科学(哲学・宗教学・心理学等)に至っては、古代ギリシャ時代以降未だ僅かしか進歩の跡を見る事が出来ない。これは、人類にとって甚だ不幸な事である。
因みに、上記の区分は学問の世界を敢えて例示的に三つに区分したものであり、例えば経済学は心理学の研究無くしては成立し得ないのと同様に、夫々が互いに他を補完する密接不可分の関係に立つものである事は勿論である。
今日でも、大量殺戮を繰り返す馬鹿げた無価値な戦争が止む事がない。悲惨極まりない戦争の最大の被害者は、常に一般国民大衆である。更には人類自らの手で、大切な地球環境を破壊して止む事を知らない。智能の発達した人類が、何故にこの様な愚かな行為を続けるのか。その理由は、精神科学の進歩発展が遅れている事に起因する。人間が正しい人生観・世界観を持たないからに他ならない。
吾人の日常の生活活動には、常に「心」が働いている。自分の感情の問題から人種偏見や戦争のような大きなものまで、全て人間の心の問題から発していると言う事が出来る。一般に「心」の働きは大脳によって具現されると言われているが、「心」は大脳を超える大きさを持っている。「心」は全宇宙を呑み込んでいると言っても過言ではない。古代ギリシャの哲学者が、広大無辺の宇宙をマクロコスモス(大宇宙)と呼び、それと比較して無限小とも言うべき人間をミクロコスモス(小宇宙)と名づけた事は、正に先見の明が有ったものと思料される。
学問の世界は、自然科学・社会科学・精神科学のバランスのとれた発展がなされなくてはならない。調和がとれている事が必要である。例えば,実定法としての法学を勉強するに当っては何はともあれ、法哲学の勉強が必要である事を見ても明らかである。そうでないと唯物論に陥る弊害が生じる。これは、人類にとって甚だ不幸な事である。マルクス以後の、唯物論に基づく無神論国家の出現は、造物主(神)の子である人間を単に労働が価値を生むだけの、人造機械としての人間にまで引きずり降ろしてしまった。造物主(神)の存在を認めない唯物論を「真理」だと考えるようになると、快楽のみを追い求めるか、闘争だけに熱中するような人生を送る事になる。
ところで、近年DNAの研究が盛んになり、発展を遂げつつある。身体を創る設計図が遺伝子であり、DNAの中に人の場合、約30億個の遺伝子が並んでいる、とされている。遺伝子の指示に従い人体が出来上がる過程は極めて精巧且つ複雑であり、まさに想像を絶する神秘性を帯びたものである。ダーウインの進化論や遺伝子の突然変異だけでは絶対に説明不可能である。人間はアメーバから進化した偶然の産物と考える事はどうしても出来ない。「何等かの大いなる力」が働いて、はじめて人類がこの世に誕生する事が出来たと考えざるを得ない。宇宙の生成も亦然り。ここに吾人は、輪廻転生を信ずると信ぜざるとに拘わらず、造物主(神)の存在については、之を認めざるを得ない事になる。地球上の全ての生物(植物・動物・人)は何れも、その細胞の核の中に、遺伝子が並んだDNAを持っている。つまり地球上の全ての生物は造物主(神)の創った物と考えざるを得ない。無宗教者も造物主(神)の存在を否定することは出来ないであろう。
さて、吾人は「精神性の向上により精神的な喜びが得られる」と言う「真理」を認識する必要がある。それでは、精神性の向上に資する為の具体的な方策を例示すると、哲学する心(人は何の目的でこの世に生まれてきたのか自らの心を徹底的に探求する)・感謝する心(神によってこの世に生かされて修行の場を与えて貰っている)・反省の心(間違いを正す)・奉仕の心(世のため人のために役立ちたい)・まろやかな愛の心(愛は神の喜びの表現であると言う事を理解する)・勉学する心(読書の習慣をつける事により情報量を増やす)・勤勉の心(働くことに喜びを感ずる)・スポーツする心(体力と気力の練成をする)・技術を磨く心(各人が携わっている職業に係わる技術の工夫向上を図る)・施しの心(努力して得たパイを他人や社会に還元する)・良心に恥じない心(良心に問う事により良心に従った行いをする)・美を探求する心(芸術の研鑚をする)・自然を愛する心(環境破壊をしない)・科学を探求する心(演繹法や帰納法を駆使して真理を発見する)等無数に有ると思料されるが、以上例示したような心を身につけるべく実践する事である
如かして、吾人は歴史を通して或は生物の生態系における食物連鎖を通して「弱肉強食・優勝劣敗」と言う、生存競争上の「真理」を学んでいる。地球上の生物は全て「弱肉強食・優勝劣敗」と言う、生存競争上の「真理」の基に、適応と淘汰を繰り返し乍ら進化し成長発展を続けて来た。人類も亦然り。さて、人類は核兵器を創り出してしまった。核兵器を用いての戦争が勃発すれば、人類を含む地球上の全ての生物の絶滅と地球そのものの壊滅を招来する事になる。これは、造物主(神)の望むところではない事は明白である。
そこで、人類にとっては今後、「弱肉強食・優勝劣敗」と言う、生存競争上の「真理」」を「精神性の向上により精神的な喜びが得られる」という「真理」に止揚することが必要不可欠の命題となる。人間の良心(神の心)を大いなる愛、つまり人と人との愛をも含んだ人類愛、延いては宇宙の万物への愛、と捉えて人間各人が「精神性の向上」を目的として、切磋琢磨するように、人間のアイデンティティに根差した意識革命をする必要がある。遺伝子として受け継いだ逞しい競争心を各人の「精神性の向上」と言う目的に向けて奮い立たせる他に、人類が生き残る道は無い事を自覚する必要がある。例えば「弱肉強食・優勝劣敗」と言う、生存競争上の「真理」を、各国間の争いを解決する手段として、武力を行使すると言う形で表現した場合は、人類の滅亡のみならず地球の壊滅を招来する事になる。
ところで、今日実社会における、人と人、企業と企業、国と国との間における、経済的な熾烈な競争は神が与えた試練であると考える事が出来る。精神性の向上には絶好の機会であるから、創意工夫して競争に勝利してパイを手にする事は、努力に対する正当な評価であり喜ばしいことである。問題は勝ち得たパイを社会に還元する事によって、社会の福祉を増進させる目的がある事を忘れてはならないと言う事である。努力精進して得たパイを社会に還元する事に、精神的な喜びを感ずるように、人格を向上させなくてはならない。例えば、地震等の天災による被災者救済の為の義援金の提供、福祉社会実現の為のボランティア活動、育英の為の奨学金給付に係る財団法人の設立等、還元の方法は無数に有ると思料される。国際的に有名な「ノーベル賞」「日本国際賞」「京都賞」等の科学賞も、同一のカテゴリーに入れる事が出来る。
この様に、勝者が敗者を不幸にするという、生存競争上の「真理」の中に介在する矛盾を止揚すると言う命題のもとに、競争に勝利する事が、精神性の向上につながる事になる。勝者である自分が獲得したパイを、競争相手であった敗者をも含めて社会に還元する事によって、人類の幸福を増進させるべく、意識革命をする必要がある。たとえ「真理」の中に矛盾が介在する場合であっても、矛盾を止揚する事により、つまり「精神性の向上により精神的な喜びが得られる」と言う「真理」にまで高める事により、人類の平和と繁栄を招来する事が出来る。
ここに吾人は、「精神性の向上により精神的な喜びが得られる」と言う「真理」の存在を認識する事が出来る。因みに、魂の浄化・魂の鍛練・人間性の向上・人格の向上・精神性の向上、はいずれも同意義の文言である。如かして、更に精神的な喜びの質の向上に努めること、つまり精神的な喜びを、限りなく良心(神の心)に近づけるべく努力(修行)する必要がある。
それでは参考迄に、仏教を主体とした日本国内の各宗教の教理を要約してみる事にする。若干の違いはあるが、おおよそ次の如きものである。
1.霊魂は不滅である。人は宇宙の大原則により輪廻転生するものである。人は皆前世のカルマを刈り取る為に肉体を纏って、仮の世である現世に魂の修行の為に生まれたものである。現世(仮の世)で魂の浄化つまり修行をして、一段と魂を良心(神の心)に近づけて死んだあとは、本来の住むべき所である、あの世(現実界)へ戻って、霊位をより高めるべく修行に努めるべきものである。この世で良心(神の心)に反した行為をした場合は、あの世では地獄に落ちることになる。地獄界で修行した後ようやく輪廻転生してこの世に生まれる時は、より大きなカルマを背負って生れなくてはならず、この世で一層の苦痛を背負う事になる。神は人の心の中に宿っている。良心は即ち神の心である。よって人は皆良心(神の心)に恥じない行いを採らなくてはならない。神の心はつまるところ、大いなる愛・人類愛である。従って人類が良心に恥じない行いをする事は世界の平和を招来する事になる。
2.宗教の教祖は、霊界の位の極めて高い神が、世直しのために輪廻転生して降臨したものである。人は皆神の子であるから、お互いに神の意思を尊重して、教祖の教えを神の教えとして、戦争のない平和な住み易い世の中を創って行かなくてはならない。但し宗教の名をかたる不届き者が居るので、宗教を選ぶに当たっては充分の注意が必要である。
因みに、キリスト教やイスラム教には輪廻転生と言う概念は無い。一方通行である。
従って、良心(神の心)に従って行動出来る人は、必ずしも宗教団体に入る必要はない。無宗教の人(無神論者ではない)であっても楽しい人生を送る事が出来る。しかし乍ら、個人の力ではどうしても良心(神の心)との対話が充分に出来ないと考える人々は、集団を造って良心(神の心)との対話をスムーズに行う必要が生じる。この集団が宗教団体であり、リーダーが教祖である。如かして、この場合宗教団体の教祖が「神の心」をどのように捉えるかが、重要な命題となる。信徒は教祖によって洗脳・マインドコントロールされる事になるので、信徒の生殺与奪は教祖の意のままとされる。宗教の怖さはこの点にある。そこで、教祖が絶対に守るべき準則を列挙する。
1.究極の目的を「人の精神性の向上・人類の幸福・地球の平和・宇宙の平和」とする事。
2.理想とする目的達成への道は無数にあるのであるから、他の宗教をみだりに誹謗してはいけない。
3.宗教団体の活動のあらゆる分野において、人権侵害の行動を採ってはいけない、人に迷惑をかけてはいけない。
4.宗教団体の運営に必要不可欠な経費以外の、経済的な金品の提供を信者に要求してはいけない。
宗教団体に入る人は、その宗教が上記の準則を満たしているか否かを充分に見極める事が重要な前提条件となる。
そこで、此れ迄に述べてきた事を要約して言える事は、人は皆良心(神の心)を持って居るのだから、毎日の行いを反省して、壁につき当たった時は、神が与えた試練だと感謝の気持ちで受け止め、ひたすらに良心(神の心)に従って、つまり良心(神の心)を大いなる愛、人と人との愛をも含んだ人類愛、延いては宇宙の万物への愛、と捉えて、精神性の向上に努める事により、先ずは、人の心の中に「やすらぎの心」を創る必要がある。つまり、悲しみや苦しみの試練の壁を乗り越える事により、謙虚さや優しさが育まれて、より高い人格を形成する事が出来る。物の世界よりもずっと豊かな精神の世界の充実を求める必要がある事に吾人は覚醒するべきである。かくして始めて、地球を宇宙の楽園とする事が出来る。従って、戦争は造物主(神)の心に反する最大の愚挙である。更に宗教に起因する戦争は、造物主(神)を冒涜する最たるものである。
吾人は造物主(神)の存在を認めない唯物論を真理だと誤解してはいけない。ここに、唯物論とは、精神に対する物質の根源性を主張する立場を執る理論である。つまり、物質から離れた良心(神の心)・意識を認めず、意識は高度に組織化された物質(脳髄)の所産と考え、認識は客観的実在に対する物質(脳髄)による反映であるとする理論である。
唯物論を真理だと考えるようになると、衣食住の問題を第一義とする立場(物質主義)を信奉することになり、拝金主義者・守銭奴に堕落する恐れがある。更には、本能を満足させる事が人生の最高目的であるとする人生観(本能主義)を持つようになる。因みに、文部大臣の諮問機関である中央教育審議会が1998年にまとめた「心の教育」に関する報告書は、社会全体の子供に対する教育力の低下を指摘したが、その原因は、利己的・享楽的・刹那的・拝金的な「大人社会自体の精神の荒廃」にあると分析した。正に、「正鵠を射たもの」と受け止める事が出来る。
人間は、他の生物(植物・動物)のように本能だけでこの世に生きているのではない。人間には良心(神の心)が宿っていると言う事が、人間と他の生物(植物・動物)との違いである事を認識する必要がある。今後は、遺伝子研究の成果を精神科学に採り入れて、精神科学(哲学・宗教学・心理学等)の飛躍的な進歩発展を促す必要がある。今後の課題として、DNAの研究が進み、DNAに組み込まれている遺伝子の意味が全て解読されて、人の過去生の記録が若しも遺伝子上明らかにされたとしたら、輪廻転生が科学的に立証された事になる。
さて、科学の世界もバランスの採れたものでなくてはならない。吾人はバランスの採れた科学(自然科学・社会科学・精神科学)を勉強する事により、始めて幅の広い且つ深い洞察力を得る事が出来る。正しい人生観・世界観を身につける事が出来る。例えば、今日地球上で平和を希求しない民族は皆無であるにも拘わらず、現実は、地球上どこかで戦争が行われている。その理由は何故か。戦争を起こさせて、漁夫の利を得ている輩が居るのではないのか。更には、麻薬売買により利益を得ている輩の実態、国際金融財閥によるヘッジ・ファンドを利用しての国際金融界支配の実態、戦争発生のメカニズムを構成する軍産複合体の解体の必要性等について、幅の広い深い洞察力を以って、地球(世界)情勢の実相に迫る事が出来る。
絶対平和主義を謳った日本国憲法は、天皇に係る規定以外は、造物主(神)の意思を反映させたものと観る事が出来る。人の心に国境は無いのであるから、地球上の人々が、「人は何の目的でこの世に生まれてきたのか」といった、人間のアイデンティティに根差した意識革命を今こそ真剣に実践する必要がある。人は皆、裸で生まれ裸で死んでゆく運命の基に在る。物質欲にこだわり過ぎてはいけない。今日までなおざりにされていた精神の世界の充実を希求する事が、つまり「物中心」から「心中心」へと視点を移動する事により、物質の世界と精神の世界とのバランスを採る事が、人間としての幸福をより高める事になり且つ真の地球の平和を招来する事になると言う事を、吾人は認識する必要がある。
ここに吾人は、「精神性の向上により精神的な喜びが得られると言う真理を、自然との調和を保ちつつ実践する。如かして、精神的な喜びを限りなく良心(神の心)に近づけるべく努力(修行)する。そして将来的には、地球だけの生命を宇宙の生命にまで発展させる。」これが正に、人間がこの世に生れて来た目的である事を悟るべきである。
今日の自然科学は、ミトコンドリアDNAの解析により人類のルーツを探求した結果、「現在地球上に生存している、現代人共通の祖先は、20万年前アフリカに現れた、一人のアフリカ人女性である」と言う科学的な結論を出している。
人は皆、造物主(神)の分身として、人種の差別・身分の上下・職業の貴賎などあるはずも無い、お互いに尊重されるべき存在である。そして、大宇宙の中の運命共同体としての宇宙船・地球号の乗組員である。この宇宙船である地球を大宇宙の楽園とするべき使命を自覚して、思想革命に基づいた人類の叡智を存分に駆使する事によって、人類に平和と繁栄をもたらす責務がある事を吾人は肝に銘ずるべきである。地球上の人類が挙ってこの使命を自覚しない限り戦争・テロを地球上から根絶する事は不可能である。
新千年紀(ミレニアム)を迎えた人類は、政治のみならず有らゆる分野に亘って、地球的視点で思考する地球市民としての自覚を持つ事により、世界連邦から世界共和国へと、栄誉ある思想の進化を為さざる可からず。「狭義の国家」の束縛から脱皮して、「広義の国家」つまり地球単位の民主主義国家、「地球共和国」設立の夢を開花さすべく、思想革命を為さざる可からず。
http://www12.bb-west.ne.jp/matuoka/