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「薔薇、または陽だまりの猫」より転載
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/875c75ea00def16ff3a1fab48c55de62
「憲法第9条改定を許さない6,14全国集会」(東京・社会文化会館)への招待状
明日6月6日、「伊達判決の今を問う−日米謀議の情報不開示に抗議す
る集会」が、午後1時半より、明治大学駿河台校舎、
リバティタワー1146号教室において行なわれます。かつて、安保闘
争の前哨戦ともいうべき「砂川闘争」において、米
軍基地の存在は憲法違反であるとして砂川裁判被告の無罪を宣した伊達
判決が、いま新たな光を浴びています。
伊達判決を覆した最高裁の判決に日米政府当局者が関与したという重大
な疑惑が浮上しているからです。
集会では、砂川事件被告の土屋源太郎さんの報告を中心とし、記録映画
「砂川の暑い日」も上映されます。皆様のご参加を
お待ちします。
9条改憲阻止の会 連絡センター
「連帯・共同ニュース}
2009年6月5日 第18号
6月に君は何を思い出し今日のそして明日の糧とするか
■6月の日々は梅雨もあって鬱とうしい、それが多くの人が抱いている
季節感であろうか。
暑いのは苦手だけど梅雨空けの日は待ちどうしいと思うものか。梅雨も
含めてこの季節は案外と楽しいものだと思っている人
もいるかもしれない。
どういう因果か、僕には6月というのは特別な季節だ。6月15日とい
う記憶が僕のこころに大きな場
所を占めているためである。これは半ば無意識化しているものだが、自
己の身体(こころ)の一部になって、自己に問答を仕
掛けるものだ。6月と言う季節は精神的にはどこか特別の季節というべ
きところがある。
■ 「6月15日という安保闘争の記憶」は自己の一部となっていて、
それは時代の中で僕らが見失っていくもの、忘れさるこ
とを強いられているものを呼び起こそうとする。時代や歴史の激しい流
れの中で、何かとせわしい日常の中で、僕らは多くの
ものを見失い、忘却していくのだが、僕らは自己の内部で何事かが想起
されることで、変わっていく時代や自己を見つめ直しも
する。
これは自己や時代を見つめるもう一つ目や声であるが、それは死んで行
く時間が僕らの中で生き続けるあり方だ。[歴史とは子
供を失った母親の嘆きである]とは小林秀雄を名言であるが、子
供を失った母親の嘆きは歴史という記憶である。この記憶は僕
らの精神の、存在の糧なのである。
■ 僕らは激しく変化する歴史の中で、何処に僕らが向かうのか、どの
ように生きればいいのかという自己問答を強いられなが
ら、何処にも答えのない場所に立たされている。
場所も言葉も見いだせない状態こそが現在であり、希望であるかもしれ
ないというのが現在である。これは危機であるが、可
能性でもある。こうした中で歴史と言う記憶は僕らが現在から未来の場
所と言葉を発見するための糧である。僕らの心的(精神
的)営みのための糧である。
■ 僕らはここ何年間か6月15日に集会を持ってきた。それは6月1
5日という歴史化された記憶が現在に問いかけをする大き
な糧であるためだが、混迷する時代の中で戦争という足音を響かせる政
治的、国家的動きに異議を申した立てるためだ。
内部的には時代に対する自己問答をそれぞれが持ち寄りお互いに響き合
わせ交流するためであり、外部的には憲法の改定などを
目論む動きへの抗議であり、抵抗である。特に来年は国民投票法案の稼
動が解禁される。僕らはこの動きを注視し、闘いを準備
して行きたいのだ。今年は「憲法第9条改定を許さない6,14全国集
会」(社会文化会館)としてある。賛同人になり、参集され
んことを願う。
(文責 三上治)
憲法第9条改定を許さない6.14全国集会
集会内容は、以下のチラシで
呼びかけチラシ・表
呼びかけチラシ・裏