06. 愚民党 2010年2月12日 10:25:40: ogcGl0q1DMbpk 05さん。わざわざのコメントありがとうございます。昨日は自粛いたしまいて阿修羅への投稿を自制しながらいろいろ想念いたしておりました。自分は「新しい人」の登場にあたって寂しい荒野に呆然と立ちつくしているのですが、「されどわれらが日々」のように飛翔はできず卑小になるだけです。 自分は大衆のひとりであり大衆の盲目を代表する愚民であります。民衆とは「盲目」の人々のことを指すとは中国の格言だとある人から教えられたことがあります。 >「新しい人」の暴力支配志向を見て 阿修羅政治版での連続罵倒コメントに遭遇いたしますと、「おれに反対するものは徹底的につぶす」という小沢一郎の狂人的な意思法則を感じております。はっきりいって恐怖です。ですから被害妄想の陥穽にも落ちていきますよ。政治とは他者を陥穽という落とし穴に埋没させ、その上に土をかぶせアスファルト舗装してしまうことですから、恐怖ですね。 しかしもっとおのれの身体の重心を底へと落とし込め、そこで怠慢に思考していけば、阿修羅コメント欄とはパソコン通信時代への総括かもしれないとも考えました。様式としてはコメント欄は下層へと降下していきます。どんどん地下へと流れていきます。まさに縦軸の下、アンダーグランドへと降下していくデジタル・テキストによる巻物です。日本中世の時代に出現した横層の巻物「一遍聖絵」が縦軸となった現象でもあるかもしれません。 産経新聞ネットとか朝日新聞ネットはA4分割様式で、ひとつの記事をA4雑誌のごとく、ページに分割しております。ここにはすでに縦軸として下降するパソコン通信様式は消却され、1995年インターネット様式のA4ページ様式を貫徹しております。 阿修羅で何故コメント欄を新設したのだろうかと昨日考えておりました。 管理人さんは、パソコン通信時代の様式であるテキストが下へと流れる縦軸巻物の復権をねらったのではないかと思いました。 1993年ごろ、パソコン通信ニフティの芸術フォーラムで知り合った若き美術家が出品する「デジタル・アート展」に幕張まで行ってきたことがあります。その若き美術家の作品はモニターに「縦軸の巻物」として下へ下へと流れておりました。 1994年ごろ草の根パソコン通信で「連画」をコンセプトとする美術家とであったことがあります。その草の根パソコン通信の主宰者から都市は横軸と縦軸によって生成していることを教えられたことがあります。 マイクロソフトのWIN95によってインターネットは爆発的に普及したのですが、そのころからパソコン通信の掲示板はなぜか愚劣化していきました。「大衆と暴力的排除」の論理と感情が全面展開しておりました。暴力支配志向とはすでに1995年のパソコン通信掲示板に表出していた愚劣現象でありました。 マイクロソフトのWIN95によってインターネットは爆発的普及によって草の根パソコン通信は消滅していきました。 05さん。わざわざのコメントありがとうございました。 阿修羅でわたしは生涯の投稿者を持続していきたいと願っております。それはパソコン通信文化の思いがあるからです。そして阿修羅とはパソコン通信文化を継承しているサイトであると思っております。 ここ阿修羅コメント欄にはパソコン通信の様式が復権しております。 われわれの21世紀とは「新しい日本の中世」であり、そこは「一遍聖絵」巻物の世界であり、未知との遭遇こそが阿修羅コメント欄というアンダーグランドへと流れる巻物ではないかという動物的感覚が作動することもときよりあります。 いま「新しい人」は覚醒しております。その暴力支配志向に抗することのできる力は念仏おどりかもしれません。そこからやがて阿国が誕生すれば「たたら」へと復帰できるかもしれません。「たたら」の火は没落するであろう「日本および仁日本語」の形相を闇から照らし出してくれるでしょう。 |