02. 仁王像 2009年12月20日 23:34:37: jdZgmZ21Prm8E 仏陀の弟子さん 下を参考にして下さい。匿名氏によるこのように質か高くスケールの大きいコメントに出会うのは驚きでありまた痛快です。お互いにいましばらく辛抱した方が良いと思います。 阿修羅世論もわずかに変化しつつあるように見えます。国民世論に直結しているわけではありませんが、一つのガイドラインとしてここ1〜2年が正念場のように思われます。 http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/208.html 04. 2009年12月19日 10:37:04 仁王像さん。阿修羅は変化してきました。<政治版>のアクセス数を見てください。圧倒的です。これは2チャンネルで書き込んでいた人間も参加しているでしょうが、日本におけるインターネット人口の国民的普及も関係しております。そして本音を吐露できる<コメント欄>の創設も大いに影響していると思います。 民主党政権樹立後、わたしは民主党議員の秘書軍団や小沢軍団に雇われた<書き込み工作員>や小沢軍団に雇われたインターネット企業に雇われた人間の書き込みではないかと疑ってきました。とくに仁王像さんが投稿した<森田政治批評>なでのコメント欄はある特異性がありました。 自民党政権のときも世論工作として雇われた<書き込み要員>が存在することがネットでは注目されてきました。おそらく官房機密費がネット世論工作として使われている可能性があります。民主党政権樹立後、今度は<民主党真理教>による<ネット書き込み>これも民主党による官房機密費による世論工作の疑いがあります。おそらく請け負っているイッターネット企業は同じかもしれません。何故ならその<特異性>が同じ文体の匂いがするからです。権力とは自由に国民の血税を自由に使いネット世論工作ができますから、恐ろしいですね。 また、阿修羅のアクセス数が圧倒的に増加しているのは<検索>であると思います。阿修羅はすでに巨大な<データーベース>となっており、さまざまな<キーワード>を打ち込むと必ず阿修羅のURLが表示されます。長年の阿修羅の営為が今現出しているのではないかと思います。これほどの長期にわたる<データーベース><記憶の貯蔵庫>はマスメディアでさえ持っておりません。新聞社の過去の記事はすでにアクセス不能であるからです。 阿修羅は現在、さまざまな要因によって<日本のサイト掲示板>となりつつあるのです。それは権力にとっても民衆にとっても<日本のサイト>であるのです。 わたしは民主党政権崩壊以後に注目しております。民主党政権崩壊とは日本の深部にあるマグマが沸騰しながら噴出するときです。阿修羅コメント欄には民主党の官房機密費に雇われた<書き込み工作員>とかさまざまな人間が投稿しておりますが、これが日本の混沌である沸騰マグマなのです。阿修羅コメント欄は民主党政権以後の日本が現出しているのです。ここでは強気の精神が必要です。 仁王像さんにもぜひ<強い心>をもって阿修羅投稿にのぞんでほしいと思っています。民主党政権とは日本の深部にあるマグマが臨界点まで沸騰し、深層から表層へと噴出する<過渡期の現象>なのです。権力に雇われた言語と民衆の覚めた言語の混沌こそが現在の阿修羅コメント欄であり、この混沌に身をさらしながら投稿していくしかないのではないかと思います。そこから必ず<日本の提示>と<日本の模索>が湧き水として出てくるのではないかと思えてなりません。 http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/193.html 24. 2009年12月13日 12:05:30 23番さんへ コマント欄が2チャンネル化しないと当初からわたしは思ってきました。 むしろ阿修羅のコメント欄はブログのコメントシステムを凌駕するダイナミズムをはらむと思いました。それは阿修羅が<日本>だからです。2002年、わたしは阿修羅の読者になったときここは<日本>だと思いました。最後に残された<日本>を感知しました。検索から阿修羅にたどりついたと思います。 仁王像さん。阿修羅の読者には高度さがあります。そして<男塾><男道場>として、徹底的に叩かれます。そのバッシングを越えてこそ一人前の投稿者だと認知されるシステムが阿修羅にはあると思います。 有力な投稿者が消えていったのは、「陰謀論」の深さだと思います。陰謀論探究の過程というのは徹頭徹尾孤独な作業です。よほど強烈な個人的強さがないと継続できません。有力な投稿者が消えていったのは自己の問題であると考えています。陰謀論探究とは市民社会ではまったく通用しない代物ですから。また有力な投稿者が消えていった背景には、その投稿者が老化しエネルギーがなくなったとことに原因があると思います。探究者とは「いがみあい」や「ギクシャク」に嫌気して去るということはありえません。有力な投稿者の生活あるいは自己の問題であると思います。 批評というものはそれほど甘くなく自己にとっても厳しい過程なのだと思います。 消えていった有力な投稿氏がコメント欄に投稿できる再生のシステムこそコメント欄ではないでしょうか。だから阿修羅が2チャンネル化することは、まず、ありえません
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