http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/904.html
Tweet |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu237.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
無能な政治家や教師は、福島原発災害や大津波がやって来た事で
明らかになった。適切な判断を早く下せる指導者を選ぶべきだった。
2011年4月11日 月曜日
列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて
男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。
なぜ最初から裏山に避難しなかったのだろうか?(被災前)
児童らが避難しようとした新北上大橋のたもとでも、
電柱や街灯がなぎ倒されるなど津波の被害を受けた。
なぜ大津波がやってくる河の方に避難したのだろうか?(被災後)
◆石巻・大川小の悲劇、被災時の詳細明らかに 4月9日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110409-OYT1T00462.htm
大川小は東北最大の大河、北上川右岸の釜谷地区にあり、太平洋に北上川が注ぐ追波湾の河口から4キロ上流に位置する。同県教委によると大川小の児童は56人が死亡、18人が行方不明。また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明になった。校長は震災当時、外出して不在だった。
保護者や住民らの証言では、児童は11日午後2時46分の地震直後、教諭らの誘導で校舎から校庭へ移動した。ヘルメット姿や上履きのままの子もいた。保護者の迎えの車が5、6台来ており、「早く帰りたい」と、泣きながら母親にしがみつく子もいた。
同49分、大津波警報が出た。教諭らは校庭で対応を検討。校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。学校南側の裏山は急斜面で足場が悪い。そうした状況から、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになった。そこは周囲の堤防より小高くなっていた。市の防災マニュアルは、津波対策を「高台に上る」とだけ記しており、具体的な避難場所の選択は各校に委ねられていた。
◇想定外◇
午後3時10分過ぎ、現場に居合わせた男性(70)は、児童らが列を作って校庭から歩き出すのを目撃した。「教諭に先導され、おびえた様子で目の前を通り過ぎた」
その直後だった。「ゴーッ」とすさまじい音がした。男性は児童らとは逆方向に走り出した。堤防を乗り越えて北上川からあふれ出した巨大な波が、学校を含む地区全体に襲いかかった。住民や男性の証言を総合すると、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。(後略)
◆津波で児童74人死亡・不明 石巻・大川小の被災状況調査へ 4月10日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110410t13025.htm
東日本大震災の津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市大川小の被災状況について、石巻市教委は9日、関係者の聞き取り調査を行い、結果を公表する方針を明らかにした。市教委と同校は同日夜、市内で保護者向けの説明会を開き、こうした方針を説明。出席した保護者からは被災時の避難誘導などを疑問視する声が相次いだという。
市教委によると、調査結果の公表時期は未定。津波が襲った当時、校内にいた教職員のうち唯一生存している男性教諭からの聞き取りは終えており、児童や居合わせた保護者らからも話を聞くという。
大川小と市教委による説明会は、新学期から仮教室を置く同市の飯野川一小であり、保護者ら約100人が出席した。柏葉照幸校長や市教委の今野慶正事務局長らが今後の方針などを説明。男性教諭も同席した。
市教委などによると、子どもを失った保護者からは「地震後、直ちに高台に避難すれば子どもたちは助かったのでないか」「なぜ大川小だけがこれだけの犠牲を出したのか」と厳しく指摘する意見が数多く出た。被災児童の保護者への説明が約1カ月後になったことへの批判もあった。
市教委によると、地震後、児童は校庭に避難し、一部は迎えに来た親と帰宅。残った多くの子どもたちが津波にのまれたという。
◆住民の助言で高台に避難 全員無事卒業祝う 石巻・谷川小 4月10日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110410t15029.htm
牡鹿半島にある宮城県石巻市谷川(やがわ)小の卒業式と終了式が9日、行われた。同校は津波で全壊したが、児童、教職員は学区内の住民に助けられ、全員が無事だった。地域の絆の固さと温かさを胸に刻み、児童たちは新たな一歩を踏み出した。
3月11日の地震直後、校庭に集まった児童と教職員は、避難してきた地域住民の助言で、高台を通る県道に移動。直後に津波の第1波が押し寄せ体育館が流された。校舎2階まで水没するほど水かさが増したため、児童らは山に登って逃げた。
波が収まった午後5時すぎには、小高い丘にある神社に避難。住民約20人とともに不安な一夜を過ごした。翌12日は隣の集落に移動して食事を分けてもらい、13日には全児童が保護者と再会を果たした。
(私のコメント)
昨日の統一地方選挙は、民主の大敗、自民の後退、みんなの党や諸派が躍進したと言うことですが、自民党や民主党は耐用年数が過ぎた政党であり支持が得られないのは当然だろう。日本の政党は能力よりも年功序列であり、党幹部になるには能力よりも当選回数を重ねなければなれない。菅総理も国会議員歴30年のベテラン議員であり、鳩山前総理も小沢前代表も議員歴が長い。
自民党も同じような体質であり、能力のある人材がなかなか党の幹部になることが出来ず、当選回数が10回以上無いと総理大臣になることが出来ない。例外的には安部元総理が当選5回で51歳の若さで首相になりましたが、そうなると彼よりもベテラン議員が面白くなく、党の掌握に苦労して1年足らずで辞任した。
平時なら年功序列でもいいのでしょうが、東日本大震災のような大災害が起きると総理大臣としての能力不足が露呈してしまう。このような年功序列による人事は大戦中でも変わることが無く、司令官として無能でも罷免されることは極めてまれだった。軍人ともなれば勝った負けたで能力が分かりやすいのですが、それでも年功序列の人事は崩れることは無かった。
年功序列会社組織では、能力よりも経歴が重要視されて無能な人物でも無難にこなせば社長になれるということだ。何事も無難にこなす事が身上だから大きな失敗はしない代わりに、大成功もしないし危機的な状況になると十分な対応が出来ずに先送りにするのが常になる。自民党も民主党もそのような状況になっても両党では日本の危機的な状況が抜け出せなくなっている。
自民党にしても民主党にしても有能な人材はいなくは無いのでしょうが、たとえ抜擢して首相にしてもベテラン議員の嫌がらせで協力はしないだろう。硬直した組織では異物を排除することに全力を注ぐような人が多くいて、日本の会社では有能な人材をスカウトしてきても機能しないことが多い。だから年功序列から実力主義に変更することは組織全体から変えないと無理だろう。
学校などの組織では能力競争とは無縁の社会であり、逆に教頭や校長になることも拒否するような社会であり、無能な教師でもやる気の無い教師でも首になる事は公立学校では全く無い。生徒に対してはテストなどで競争を強いることはしても教師がテストされることは無い。私立学校では教師の質が低いと生徒が集まらなくなり学校も経営が出来なくなるから競争はありますが、公立学校では社会常識から外れたような教師でも務まるようだ。
公立学校の教師が有能か無能かは生徒が一番よく分かるのであり、学級崩壊は無能な教師が増えたからだろう。確かに最近は我侭な生徒が増えてモンスターペアレントがうるさい。しかし昔から不良学生はたくさんいたし非常識な親もたくさんいた。最近の無能な教師は生徒も躾けることが出来ないし、モンスターペアレントに対しても対応が出来ない教師が多くなった。そうなってしまったのも学校そのものが競争社会ではなく、教師に対する能力による淘汰が無いためだろう。
石巻の大川小学校では津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった。記事によれば2時49分には津波警報が出されて、3時10分ごろに津波が襲ってきた。つまり警報が出されて20分以上の時間があったにも拘らず、安全な場所に避難する事ができなかったらしい。裏山に避難すれば助かったでしょうが、なぜ津波がやってくる河のほうに避難しようとしたのだろうか?
僅かに助かった生徒や教師は裏山に逃げて助かっている。適切な判断を素早く下せることが指導者や教師に求められますが、ぐずぐずもたもたしているうちに津波に飲み込まれてしまった。おそらく津波に対する訓練なども行なってはいなかったのではないだろうか? テレビのニュースなどでも学校で普段から行なっていた訓練が功をそうして全員助かったと言うニュースが多いのですが、大川小学校だけが大きな被害を出してしまった。
引率した教師も津波で遭難しており11人のうち10人が死亡ないしは行方不明になっている。普段から裏山に避難する訓練ができていれば全員助かったはずだ。おそらく3メートル程度の津波を予想していたのでしょうが、来た津波は14メートルで小学校の屋根を越えて行った。グーグルアースの上空写真でも分かるように津波の土砂が裏山を10メートルも遡っている。付近の住民も4割が亡くなったそうですが、これほどの津波は想定外だったのだろう。
小学校の校舎が壊れるほどの大地震だったのだから、津波も想定外の津波が来ることも予想できなかったのだろうか? 警報が出て20分以上も時間があったのだから逃げる時間は十分にあった。大災害は初動が大切であり、判断を間違えば多くの命を失うことになる。昨日も書いたように菅総理の初動の間違いが福島原発大災害にしてしまった可能性が高い。
菅総理の粗忽ぶりは年金問題からでも明らかであり、今回の大震災でも原発にかかりきりで津波の被災者を後回しにしてしまった。菅総理の無能さが更なる災害をもたらすのであり、民主党は総理を交代させるべきだろう。そうしなければ日本国民全体が大川小学校の生徒のように、助かる命も助からなくなってしまうだろう。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。