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思い願い誓い重く 宮城沿岸避難者本社アンケート
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110411t13027.htm
2011年04月11日月曜日(06:10)
河北新報社が、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県沿岸部の避難者に実施したアンケートでは、津波対策の課題が指摘され、今後の備えについても貴重な意見が寄せられた。家族や自宅、地域に対するさまざまな思い、将来への不安もつづられた。
<複雑 自宅あった場所再び住みたいか>
「自宅のあった場所に再び住みたいか」との質問に寄せられた多くの回答からは、津波への恐怖と家や地域への愛着との間で揺れる避難者の思いが読み取れる。
回答した394人のうち、半数近い189人が「住みたくない」を選んだ。住民の多くは、地盤沈下や防潮林、防潮堤の崩壊など、震災によって住環境が危険にさらされている。
石巻市の末永光平さん(65)は「地盤沈下で、自宅近くまで海水が流れ込んでいる」と明かす。亘理町の男性(69)は「堤防が切れ、自宅があった場所から海が見える。台風が来たら不安だ」という。
石巻市の吉田恵美さん(36)は「子どものころから見慣れた海が、思い出も友人も奪い去ったことが、一生、心から消えないだろう」とつづる。
津波の恐怖を体験しても、なお「住みたい」と訴える住民は87人。いずれも家や地域への強い愛着をにじませた。
山元町のイチゴ農家渡辺庚午郎さん(81)は「農地がある。先祖の墓も守りたい」と一日も早い農地の整備を望む。多賀城市の半沢孝史さん(38)は「先祖代々受け継がれてきた家なので守っていきたい」とする。
現時点で「決めかねている」住民は90人。「分からない」とした28人と共に、悩みは深い。
山元町の女性(20)は「地域の方々もいい人で住みやすかったけど、また津波が来たらと思うと怖い」と答え、南三陸町の男性は「自分は町が好きだが、この先どうなるのか」と将来の不安を記した。
<教訓 避難場所・行動自治体の対策>
アンケートからは住民の避難行動と同時に、避難場所の問題点が浮かんできた。今回の大津波で濁流に迫られたり、のみ込まれたりした避難場所も少なくなく、指定避難場所の選定を含めた自治体の防災の在り方に、避難者は厳しい見方をしている。
大津波の際にいた場所は、「高台や高い建物などの避難場所」が36.5%で最も多く、次いで「自宅や勤務先、学校、訪問先など」31.9%、「避難場所に向かう途中」15.7%、「移動中」8.9%だった。
「避難場所」と答えた人に、安全が確保されていたかどうか聞いたところ、「安全だった」は50.6%にとどまった。「安全だったが、津波が迫り、身の危険を感じた」が27.7%に達したほか、「津波が押し寄せ、危険だった」も18.3%に上った。
指定避難場所の再考を求める声も複数寄せられた。仙台市の男性(38)は「避難所に指定されている小中学校のそばに、津波の被害予想区域の看板があった。実際に避難して亡くなった方もいた」と指摘。同市の大友進さん(65)は「地震と津波で避難場所は別に考えるべきだ」と提案する。
地震や津波に対する自治体の備えについて「対策は不十分」が50.3%で最も多く、次いで「対策は十分だったが、役に立たなかった」26.7%、「対策は十分」8.4%だった。
避難者からは「今回の津波被害を踏まえた防災計画を策定すべきだ」「強い堤防を造ってほしい」など、一層充実した防災対策を望む声が寄せられた。
一方、住民の避難行動にも課題があった。震源が近い地震による津波の避難は、高齢者や障害者ら要援護者を車で搬送するケースを除き、自分の足で高台に逃げるのが原則とされる。一般的に道路は津波の通り道となりやすく、渋滞した場合は津波から逃げられないためだ。
避難場所に逃げた人に、移動の手段を尋ねたところ、車が164人で全体の6割を占め、徒歩や駆け足は87人。バイクや自転車10人、家族や住民の介助6人だった。
<不安 要望>
被害を受けた家の再建や修復、仕事、生活費、子どもの教育…。アンケートでは、今後の展望を描けず、多くの不安や課題を抱える被災者の姿があらためて浮かんだ。
避難所生活が続く被災者にとって、安定した暮らしの場の確保は切実な願いだ。
東松島市の女性(18)は「早く避難所から出て暮らしたい。仮設住宅、アパートなど入れる所を知りたい」と望む。女川町の木村佳代子さん(62)は「高齢者、年金生活者が多いので、町営のアパートを建ててほしい」と求めた。
全てを失い、途方に暮れる子育て世代の被災者も多い。
仙台市の女性(36)は「家が流された上、夫は仕事も失った。残ったのは18年もある住宅ローンだけ。3人子どもがいる。どうしたらよいか分からない」と窮状を訴える。
家や車のローンを抱えながら子育てをする多賀城市の小幡利津子さん(39)は「先が見えず不安だらけ。助けて」と切実な声を寄せた。
国は住宅全壊1世帯に35万円などの義援金配分を決めたが、生活費などの支援は喫緊の課題だ。南三陸町の男性(57)は「一時金がないとどうしようもない。次の生活が考えられない」、東松島市の女性(42)も「ある程度の家財をそろえるための支援を」と訴える。
行政の対応や情報不足への不満の声も相次いだ。「市の情報をもっと多く、早く出してほしい」(石巻市の男性)「町の情報発信がなく、ここは被害がないと思っている友人もいる」(山元町の男性)「仙台市は対応が非常に遅い。被災者は震災当日から時が止まったままだ。一歩外に出ると普段通りの生活にみんな戻っていて、焦りを感じる」(仙台市の女性)
行政に対しては、まちづくり計画や将来像の早期の作成、提示を求める声も目立った。
2011年04月11日月曜日
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