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東日本大震災:無人漁船に救われた 高3、流木足場に乗り
http://mainichi.jp/select/today/news/20110409k0000e040051000c.html
2011年4月9日 12時3分 更新:4月9日 12時18分 :毎日新聞
東日本大震災の大津波にのまれながら、奇跡的に助かった男子高校生がいる。高校生を救ったのは漂流中の無人の漁船だった。船の持ち主は津波に巻き込まれ行方が分からず、漁船は間もなく解体される。「船の最後にふさわしい仕事でした」。持ち主の家族は高校生の無事を心から喜んだ。【清水優子】
助かったのは、宮城県立柴田農林高校(大河原町)3年の原友季(ともき)さん(17)。地震当時は名取市閖上(ゆりあげ)の自宅に1人でいた。揺れが収まり、近所の友人、柴山健人さん(17)ら2人と外で話していた時、家々をのみ込みながら押し寄せる黒い濁流が見えた。3人で駆け出したが、振り返ると高さ7〜8メートルの津波が約10メートルの距離まで迫っていた。
「逃げても間に合わない速さだった。木材やがれきが重なり固まって流れていて、その上に乗れば何とかなると思った」。津波に身を任せ一度は水中に沈んだが必死で浮き上がり、木片などの上によじ登った。十数メートル先を走っていた柴山さんにも「波に乗れ」と大声で叫び、水から引き揚げた。もう1人の友人(23)の姿は見えなくなった。
冷たい水に体温は奪われ、体も疲れていた。十数メートル先に漁船を見つけたのはそんな時だ。漂う木々を足場に船へ近づき、操舵室のガラスをひじで破った。急に雪も降り始め、柴山さんと励まし合いながら、中で寒さをしのいだ。「漂うガスボンベが爆発したり、壊れた家が船体にぶつかり怖かった」。船は田んぼに乗り上げて止まり、翌朝9時ごろ、通りかかった消防団員に救い出された。原さんは「体が冷え切り足の感覚がなかった。船は命の恩人です」と感謝する。
原さんらが乗り込んだのは定置網漁船「第8福神丸」(約9トン)。持ち主の佐藤晃さん(77)=仙台市若林区=は津波にのまれ行方不明だ。弟で漁師の義忠さん(64)によると、地震後、近くに住む晃さんを車で迎えに行こうとしたが、津波のため家に近づけなかったという。
義忠さんは「20代から漁師を始め、8人きょうだいの一番上の優しい兄でした。第8福神丸は解体しますが、最後に人助けができ兄も船も喜んでいると思います。助かった命を大切にしてください」と原さんを気遣った。
原さんは今、名取市内の小学校で避難所生活をしている。「一緒に逃げて行方不明だった友人も1週間後に遺体で見つかりました。佐藤さんや友人の分まで精いっぱい生きていきたい」
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