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作り方は教わらなかったにせよ、一緒に働いていたんだろ?
自分の舌は味を覚えているんだろ?
そしたら、必死に試行錯誤でもして、両親の味を再現してみな!
35歳にもなって意思も弱いから「きちんと自立せい!」ということだ。
味のひみつみたいなものは、何気ない一手間に隠れていたりするもの。
ボケーと働いていたときの両親の行動を細かいことも省略せず洗いざらい書き出すこと!
材料の比率問題は試行錯誤でどうにでもなる!
使っている機械・器具・材料も大切。
あとは信念だ!
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「両親の味」継げず後悔 笹かまぼこ店3代目の長男
2011.4.9 12:15 (1/2ページ)
東日本大震災の津波で、仙台名物・笹かまぼこの老舗店3代目の父親を亡くした長男が、後悔の日々を過ごしている。4代目を継ぐか、別の道を歩むか−。答えを出しあぐねている間に、長年積み上げた老舗の味が津波とともに奪い去られてしまったからだ。「結局、親に甘えていただけだった」。失って初めて分かった価値の大きさをかみしめる。(市岡豊大)
地元では活気あふれる朝市で知られる宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。創業60年の笹かまぼこ店「丸一」で、家業を手伝っていた菅野大輔さん(35)は、いまは市立名取第一中学校で避難所生活を送る。自宅と笹かまぼこ工場は3月11日の津波で流され、3代目の父、仁さん(62)と母、悦子さん(59)を亡くした。
地区内に笹かまぼこ工場が建ち並ぶなか、唯一の家族経営。両親は「値段を上げずにうまい物を」という思いで1日1千枚以上を生産した。冷やしても柔らかい絶妙な歯応えが人気で、直売限定だったが当日中に完売していたという。
菅野さんは大学卒業後、アルバイトをしながら何となく家業を手伝っていた。広告を出さず味だけで勝負する両親の姿勢に、本格的に作り方を教えてもらうのは二の足を踏んだ。「漠然と継ぐのではないかと考えていたが、本当にそれだけで食べていけるのか不安だった」と振り返る。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110409/dst11040912170031-n1.htm
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