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株式日記と経済展望
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朝日にいる社員記者の人材のレベルでは、今回の事故が首都圏では
どの程度の危険を想定すべきなのか、正確に評価することができないのだ
2011年4月6日 水曜日
◆頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道 3月18日 烏賀陽 弘道
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5668
◆各国政府の見解から危機の程度を判断すると
16日になって、東京にいるアメリカ人の音楽仲間がフェイスブックに投稿したポストに「東京のイギリス大使館が発表した首都圏への放射線の影響」という英語のリンクを偶然見つけた。
結論は、「チェルノブイリ級の事故になることはまずない。なっても汚染物質が降るのは半径30キロメートル程度」とあるではないか。あまつさえ「首都圏のブリティッシュスクールは休校すべきか」という問いに「地震や津波を別として、被曝の心配なら、その必要はない」とまで言い切っている。「今回の事故をチェルノブイリに例えるのは、完全に間違っている、と強調した」(イギリス政府主席科学顧問のジョン・ベディントン氏)。
(日本語の要旨はこちら。イギリス大使館のサイトはこちら)
ここから、芋づる式に東京の被曝の恐れについて、アメリカ政府の見解、オーストラリア政府の見解がネットで見つかった。
見解はどれもほぼ同じ。「チェルノブイリみたいな事故にはならない。なっても首都圏は安全だろう」という話だ。しかも、よく見ると「チェルノブイリ事故でも、人間が住めなくなるような危険レベルに達したのは半径30キロ以内」とあるではないか。朝日の記事は一体何だったのだろう。
私はこの情報を日本語でツイッターに書いておいた。すると、みなさんよほどこの種の正確な情報に飢えていたのだろう、たちまち200以上リツイートされて「ありがとう」メッセージが洪水のように押し寄せた。「英語原文」を投稿したら、これまたボランティアで翻訳してくれる人が次々に現れ、あっという間に日本語版が流れ始めた。
こうして、フェイスブック〜ツイッター〜英語ニュースサイトと渡り歩くうちに「まだ東京脱出の必要はなさそうだ」という感触だけは掴めた。やれやれである。
◆危険の程度を正確に評価せず、取材もしない日本メディア
しかし、大迷惑なのは「チェルノブイリに備えよ」みたいな朝日の報道だ(他の新聞やテレビも不正確という意味では大同小異)。こうなると「読まないでもいい」などという苦笑ものの失敗談ではない。「読むだけパニックが起きるので有害」ではないか。
要は、竹内編集委員はじめ、朝日にいる社員記者の人材のレベルでは、今回の事故が首都圏ではどの程度の危険を想定すべきなのか、正確に評価することができないのだ(朝日新聞の編集委員だと言われても、この人物の記事がどの程度信頼できるのか、まったく読者には分からないという事実が、また分かりにくさに拍車をかける)。
私をはじめ市民は「最悪の事態に備えよ」と書かれた時点で「チェルノブイリ」を思い浮かべる(「あるいはそれよりもっと悪いのかもしれない」という「最悪の到達点」さえ見えないのでもっと不安だ)。
もし、チェルノブイリを指標にしたいのなら(イギリス政府はそれも「完全に間違い」と完全否定している)「チェルノブイリと同じだ、同じだ」と叫び回るだけではなく「チェルノブイリとは何が違うのか」を取材して併記すればよいのだ。それを同じ紙面に載せて「ここは同じ」「ここは違う」と書いて読者に判断してもらえばいいではないか。
ちなみに、東京のイギリス大使館は皇居のそば、半蔵門にある。どの新聞社も、取材に行くのにクルマで30分かからない。ご覧のとおり、私でも自宅でデスクに座ってネットをたどるだけで、3つの政府の公式見解を取材できた。「チェルノブイリとはここが違う」という対論を取材するのは、ばかばかしいほど簡単なのだ。つまり、これは「発想」と「意志」の問題なのだ。
たとえみっともない誤解でも、朝日が「福島第一=チェルノブイリ」と信じるのは勝手と百歩譲っても「両論併記」は報道の鉄則ではないのか。
ここに、日本の記者クラブ系メディアが抱える宿痾の腐臭がまた漂ってくる。彼らはあまりに「日本政府発の情報偏重」であり「国内情報偏重」である。外国の「政府公式情報」ですら「チェルノブイリはありえない」と断定しているのに、視界から落ちてしまう。
日本政府や東電の発表を押しのけて、外国政府の見解が1面トップでもいいではないか。自分で判断できず、公式情報に頼る手法でも、それくらいはできる。なぜそれほど日本政府情報を世界の公式情報の中でも偏重するのか。
この生死がかかったクライシスに、何という劣悪な報道だろう。平時なら「ミスリードでしたね」とへらへら笑って許しているかもしれないが、これは戦争並みのクライシスなのだ。生死がかかっているのだ。この愚劣な報道は有害ですらある。
もう一度言う。クライシスに市民のために役立たない報道など、何の存在価値があるのだ。
(私のコメント)
今回の東日本大震災の現場と、われわれ国民との間にはマスコミと言う「バカの壁」が存在しているようだ。どのテレビのチャンネルを回してみても同じような官報報道であり、官房長官の記者会見や保安院や東京電力の記者会見報道に終始している。テレビに出ている専門家たちの解説も似たり寄ったりで裏で報道協定でも組んでいるのだろうか?
もちろん現場からは限られた情報しか伝えられませんが、視聴者や読者が一番知りたいことはこれからどうなるかだ。日本のマスコミ報道は、記者クラブ発表記事ばかりであり横並び報道では何も分からない。もちろん関係機関の記者会見も重要な情報源ですが、新聞記者や報道記者の独自取材ももっとあってしかるべきだ。
しかし最近では、新聞記者自身がネットの記事を漁りながら記事を書いている状況では、金を払って新聞を読む意味が無くなる。テレビ報道も映像第一主義であり、災害現場を映像で見ることも重要な情報ではありますが、視点が定まらずに煽るだけの報道では意味が無い。なぜこのような大災害が起きてしまったのかが一番の問題だ。
三陸海岸は過去に何度も大津波による災害に見舞われてきています。その度に高台に避難する事が災害訓練など行なわれてきましたが、災害訓練でも実際に参加した人は僅かであった。停電で消防署のサイレンが止まってしまったり、津波の規模を3メートルと消防署は放送していましたが、実際に来たのは14メートルの津波だった。
規模を想定するのは不可能であり、間違った想定は災害の規模をかえって大きくしてしまう。3メートルなら防波堤を超えないから大丈夫と判断した人が多かったのではないだろうか? その為に消防隊員自身も被災してしまった。明治三陸大津波では15メートルの津波だったそうですが、それでは15メートル以上の防潮堤を作らなければ意味が無い。実際に15,5メートルの防波堤を作って災害を逃れた村もありますが、どういうわけかテレビでは報道されません。
◆明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手 4月3日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110403-OYT1T00599.htm?from=navr
津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代(ふだい)村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。
村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。
「これがなかったら、みんなの命もなかった」。太田名部(おおたなべ)漁港で飲食店を営む太田定治さん(63)は高さ15・5メートル、全長155メートルの太田名部防潮堤を見上げながら話した。
津波が襲った先月11日、店にいた太田さんは防潮堤に駆け上った。ほどなく巨大な波が港のすべてをのみ込んだが、防潮堤が食い止めてくれた。堤の上には太田さんら港内で働く約100人が避難したが、足もとがぬれることもなかった。
村は、昆布やワカメの養殖が主な産業の漁村で、人口約3000人は県内の自治体で最も少ない。海に近く狭あいな普代、太田名部両地区に約1500人が暮らし、残る村人は高台で生活している。普代地区でも高さ15・5メートル、全長205メートルの普代水門が津波をはね返した。
防潮堤は1967年に県が5800万円をかけ、水門も84年にやはり35億円を投じて完成した。既に一部が完成し60年にチリ地震津波を防ぎ、「万里の長城」と呼ばれた同県宮古市田老(たろう)地区の防潮堤(高さ10メートル)を大きく上回る計画は当初、批判を浴びた。
村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。
今回の津波で、宮古市田老地区は防潮堤が波にのまれ、数百人の死者・不明者を出した。岩手県全体で死者・行方不明者は8000人を超えた。
普代村も防潮堤の外にある6か所の漁港は壊滅状態となり、船の様子を見に行った男性1人が行方不明になっている。深渡宏村長(70)は「先人の津波防災にかける熱意が村民を救った。まず村の完全復旧を急ぎ、沿岸に救いの手を伸ばす」と語った。
村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。
当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。決して想定外ではない。
(私のコメント)
東京電力の意向としては津波が想定外の大きさであったことを印象付けるために、普代村の15,5メートルの大堤防は都合が悪い情報だ。普代村にしても1896年に15メートルの大津波があったからこそ作ったのであり、決して大津波は想定外のことではない。むしろテレビは田老村の大堤防でも防げなかったことをNHKでもその他の民放でもやっていましたが、普代村の事はスルーしている。
もちろん、日本全国に高さ15メートルの大堤防を作ることは現実的なことではない。津波に流されない五階建て以上の鉄筋コンクリートの防災マンションを作ったほうが現実的だろう。被災した人は自動車で避難しようとして渋滞に巻き込まれて被災した人が多い。近所に高台が無ければ高層ビルの屋上のほうが安全だ。一戸建ての住宅にしてもコンクリート住宅なら流されることも無かっただろう。
福島第一原発にしても、原発は安全だと言う東京電力の安全キャンペーンばかりが流されて、実際には何の対策も採られた形跡が無かった。重大事故があっても報道されずに封印されてきた。柏崎原発被災事故でも周辺設備の耐震性が問題になりましたが、国会でもその問題が追及されていて決して想定外の災害ではない。
日曜日の報道番組を見ても現状報道ばかりで、原因や対策などには触れられずにうやむやにされようとしている。むしろ烏賀陽氏が言うように『大迷惑なのは「チェルノブイリに備えよ」みたいな朝日の報道だ』。本当に最悪になると東京が人が住めないような地域になったのだろうか? メルトダウンして水素爆発が起きて最悪に近い状況にはなりましたが、チェルノブイリほどにはなっていない。
朝日が言う様な最悪を想定してみんなが行動していたらどうなっていただろうか? 首都圏がパニックになって二次災害が起きていただろう。本当にマスコミがしなければならないことは冷静な報道であり、福島=チェルノブイリは間違いだ。最悪でも数キロ圏内が立ち入り禁止区域になるだけだろう。原発が安定して遮蔽できれば放射能漏れは防げる。
むしろ東日本大震災の教訓を生かす機会であり、東京でも災害対策を打つ必要がありますが、抜本的な対策を打ち出している都知事候補がいない。ゼロメートル地帯を堤防だけで防げるのか、果てしなく広がっている木造住宅は潰れて大火災が発生するだろう。私が考えるに東京23区内は鉄筋コンクリートの建物以外を認めない、木造は直ぐに建て替える条例を作るべきだ。このようなことを主張しても普代村の15メートル堤防の時のような非難が出るだけだろう。
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