http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/829.html
Tweet |
嗚咽、呪い、怒り…遺体確認の法医学者も涙した凄惨現場
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110404/dms1104041555021-n1.htm
2011.04.04 夕刊フジ
遺体確認のプロである法医学者にとって、遺体は“隣人”にすぎない。いくらそう言い聞かせても、泥と枯れ草の付着した小さな遺体を前に、込み上げてくる思いを抑えられない。東日本大震災で、宮城県警に協力して遺体の検案に当たっている法医学者の男性は「何が起きているか、事実を伝えたい」と話す。
その日は被災地の小学校体育館で任務に当たった。天井からつるされたブルーシートで仕切られ、玄関側で警察官や法医学者が遺体の検視、検案を行う。ステージには身元が特定された遺体がひつぎに入れられ、家族との面会を待つ。
教室から持ってきた机を並べて作った即席の検視台に遺体が乗せられる。泥や枯れ草は、警察官がわずかな真水を使ってぬぐってくれた。東北の寒さが、今はまだ遺体をきれいに保っていた。
法医学者が行う「検案」は、個人識別に有用な医学的情報を集める作業だ。手術の痕跡を探して年齢を推定、最後に、針の長い注射器を使いDNA鑑定に必要な血液を採取する。
体育館に並ぶ遺体は100体。遺体を見慣れた法医学者の自分でさえ、感覚がまひする被害の大きさだった。
ステージから常に遺族の泣き声やおえつが漏れる。必死でこらえる声、運命を呪う声、ぶつける先のない怒りの声を聞きながら、「冷静な科学者でいなければ」と必死に自制した。
しかし、自分の娘によく似た小さな遺体を目にしたとき、涙をこらえられなかった。胸に着いていた名札から小学3年生だと分かった。
大切そうに抱えていた緊急持ち出し袋には大量のレトルト食品がパンパンに詰め込まれていた。持って走るには、きっと重過ぎただろう。
倒壊した家屋からは、セーターを5枚重ね着している高齢者や、通帳や印鑑など貴重品を入れたリュックを背負った遺体が見つかっていた。地震や津波に慣れていることが裏目に出たのかもしれない。着の身着のまま逃げていれば…。そう思わずにはいられなかった。
遺体を確認すると検案書を書く。死因は「溺死の疑い」、原因は「地震による津波」、死亡時刻は午後3時ごろ。ほとんど同じ書類になってしまう。手掛かりになればと、発見状況などを書き込むようにしている。
震災から3週間。少しずつ損傷の激しい遺体が見つかり始めている。骨の形状を読み取るレントゲンやCTはもちろん、歯型の写真さえ撮れていない。身元確認はどんどん難しくなるが、必要な情報収集ができていないのが現状だ。
これだけの規模の災害であれば、仕方ないことなのかもしれない。ただ、本来はやればできるのに、急ぐあまりにできないとか、機材がないがために分かるはずだった身元が分からないということがないような仕組みが必要だ。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。