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大災害の爪痕 〜FT現地ルポ(2/3)〜2011.03.31(Thu) Financial Times
(2011年3月25日 Ft.com、第1回http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5759">http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57、はこちら)
日本で東北関東大震災と呼ばれるようになった大地震が発生した3月11日、筆者は北京にいた。中国人の中には、東京から1300マイル(約2100キロ)離れているのに、地面の揺れを感じたと話す人もいた。
北京で知った大震災の悲劇
筆者は全世界の何百万人の人々と同じように、テレビで流される津波の映像と、次第に明らかになる悲劇の規模を、恐怖に駆られながら見ていた。この段階では、公式発表された死者の数はまだ100人に満たなかったが、巨大な波が町や空港を押し流していく恐ろしい映像は、それでは済まない事態であることを物語っていた。
それから間もなく、福島第一原子力発電所の危機が報じられた。東京の北150マイル(約240キロ)に位置するこの原発では、非常用電源が津波によって破壊され、冷却システムが停止した。やがて原子炉とその近くの使用済み核燃料貯蔵プールにあるウランが過熱し、爆発と火災が発生。放射性物質が大気中に放出された。
地震発生5日後の3月16日、筆者はかつて本拠地としていた東京に飛んだ。
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FTの前東京支局長である筆者のデビッド・ピリング氏は、震災発生から5日後に東京に飛び、被災地に向かった〔AFPBB News〕
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そちらの様子はどうなっているのかと、飛行機に乗る前に友人たちに尋ねてみたら、来ない方がいいとの声が大半だった。余震や放射能の恐怖から逃れるために、既に日本国内のより安全な場所に移っていた友人も何人かいた。
飛行機には60人の乗客がいた。機体が東京に向けてゆっくりと下降している時、自分がこれから降り立つのは地球の表面に根を張った島ではなく、ただ浮いているだけの不安定な土地なのだという考えが不意に浮かんだ。
地下の力に揺さぶられ、荒れ狂った海に襲われて火だるまになっている土地だという想像にとらわれたのだ。
変わった東京と全く変わらない東京
東京は変わっていた。と同時に、以前と全く同じでもあった。掃除の行き届いたターミナルビルのエスカレーターは節電のため止められていたが、手すりにしっかりおつかまりくださいとか、お荷物の置き忘れにご注意くださいとかいった例の甲高いアナウンスはそのままだった。
一方、大半のコンビニでは、普段なら寿司、カレーパン、とんかつ、ごまスティック、タコの燻製などがたっぷり詰め込まれている棚が、空っぽに近い状態になっていた。
東京では余震が続いていた。揺れが始まると人々の会話はすうっと途切れ、居合わせた人たちは揺れるランプシェードを不安そうに見つめた。普段なら時計を合わせるのに使えるほど正確にやって来る電車も、本数を減らしたり完全に運休したりしていた。
レストランもその多くが閉まっており、開いている店も閉店時間を早めていた。サラリーマンとバーのホステスが深夜まで通りを埋め尽くすのが普通になっている都市では、あり得ないことだ。
筆者が東京に着いたその日、天皇がテレビで国民に語りかけた。父君が1945年に、降伏と米国による占領に際して「耐え難きを耐え」るよう強く願ったように、明仁天皇もこの厳しい時期に団結するよう国民に求めた。「被災者のこれからの苦難の日々を・・・分かち合っていくことが大切であろうと思います」
天皇はまた、「原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ」ているとも語った。筆者の友人の1人は、辛辣な口調で言った。天皇が担ぎ出されるということは、本当に深刻な状況なんだな、と。
東京から岩手県に向かう。宮城県、福島県と並んで最も大きな被害を受けた県である。津波が去って1週間経っても、この地方では深刻な非常事態が続いていた。数十万人もの人々が避難を余儀なくされ、当局は瓦礫の中から遺体を探すのに懸命だ。住民は寒さと空腹に見舞われている。
岩手に向かうために、まず秋田へ
車で北に向かうのは難しい。とはいえ、搭乗できる飛行機もほとんどない。最善の選択肢は、目的地である岩手県の沿岸部から100マイル(約160キロ)ほど離れた日本海側の秋田に飛び、そこから車を走らせるというルートだ。秋田行きの全日空便は、赤十字の職員や支援物資を抱えたボランティアで満席になっている。
秋田で乗り込んだタクシーの運転手は、白髪のもじゃもじゃ頭をした老紳士だ。秋田にはほとんど被害がないそうだが、ここでも電気が2日間止まったという。まだ雪がしっかり残っている時期には、かなり不便だ。
「コートを羽織って、手袋をはめて、さらにホカロンを詰め込まないといけませんでした」。ホカロンとは使い捨てカイロのことで、日本人は冬になるとこれをポケットに入れて自分の懐を暖めている。「そんな格好で布団に潜り込んだんですよ」
その夜、ホテルで、掃除の行き届いた小さな部屋でテレビをつけた。女性アナウンサーが、行方不明者と、発見された人の名前を延々と読み上げている。姓を先に、名を後に読み、「さん」という敬称をつけるのが日本式だ。「サトウ・ヨシエさん、タカハシ・ミチコさん、スズキ・ミツコさん・・・」
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カミカゼ特攻隊を思わせる消防士たち
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消防士は、国を救うために決死の覚悟で放水作業に向かった(写真は施設の説明が入っ-た東京電力福島第一原子力発電所の衛星写真)〔AFPBB News〕
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チャンネルを変えてみる。ニュース映像は、オレンジ色の制服に身を包んだ東京消防庁の消防士たちが、くすぶる原子炉への放水準備を進め、敬礼する姿を映し出していた。
筆者には、国を救うために決死の戦いを命じられたカミカゼ特攻隊のことがどうしても思い出される。
別のチャンネルは募金を呼びかけていた。「ドラえもん」という、青と白のツートンカラーのアニメキャラクターがマスコットに使われている。
1時間ほどしてから最初のチャンネルに戻ったら、アナウンサーがまだ名前を呼び続けていた。「オノ・メグミさん、ウチヤマ・トモエさん、ウチヤマ・ミツコさん・・・」。テレビを消して眠ることにする。
翌日。日本人カメラマンの瀬ノ上俊毅氏と合流し、筆者の運転で岩手に向かう。車には食料と水をたっぷり詰め込んだが、瓦礫の山をよじ登る時に履く安全靴など、まだ揃えなければならない物がいくつかある。
そこで雑貨店に立ち寄るが、店先には売り切れてしまった商品の手書きのリストが貼られている。燃料を運ぶ容器、乾電池、ラジオ、懐中電灯、ポータブルヒーター、カセットガスボンベ、携帯電話充電器、直流交流インバーター、各種の燃料、水、お茶、ウォータータンクなどだ。
「売れちゃった物は全部、単純だけど大事な物ですね」と俊毅はつぶやく。「水、火、通信――本当に欠かせない物ばかりだ」
突如目の前に現れた大船渡の惨状
筆者らは緊急通行車両の確認証を持っている。これがあればガソリンを購入でき、一般車が利用できない高速道路も通行できる。鬱蒼とした杉林を横目に、まだ雪があちこちに残る山あいの道を走っていく。ほかの車の姿が全く見えないことを除けば、この近くで大災害が起こったことをうかがわせるものはほとんどない。
壊滅的な被害を受けた沿岸部からほんの数マイルのところにあるパチンコ店「マルハン」の駐車場は、車で埋め尽くされている。だが、そこからもう少し走ったところで、大船渡の惨状が目の前に現れた。元大工で、消防団にも入っていたサトウさんに出会ったのは、それから1時間ほど後のことだ。(明日に続く)
By David Pilling
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