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先の2011.3.24日付けブログ「大疎開政策論」で温泉郷疎開論を提言したが、ぼちぼちながら流れが始まっているようである。この動きをもっと強めねばならないと思う。被災地の国会議員はぼやぼやせず率先して受け入れ先の地方自治体と折衝し「脱被災地」に向かわせねばならぬ。財源は後から取ればよい。以下、改めて別の角度から提言しておく。
今、福島原発事故の応急対応が関係者総員の手で懸命になされている。日本全国のみならず世界中が見守っているが、肝腎なことはメルトダウンによる爆発前の小康状態なのか、終息するのかである。識者の見解も分かれており両論が飛び交っている。れんだいこは門外漢なので、爆発するとも終息するとも断言できない。但し、これまでの事故によっても既に相当の放射能汚染が始まっており、今後ますます深刻化するであろうと見立てするぐらいの予見は許されるだろう。
問題は、菅政権の対応が余りにも無責任杜撰無能なサマを見せつけていることである。その場対応に終始しており、今後の見通しを立て国民に呼びかけ、英明に諸事処理して行く姿勢そのものを放棄していることにある。被災後2週間を経過しているが、いつまでも「置き去り」が許されることではなかろう。
恐らく、原発行政を引き続き維持せん為に不都合、不利益なことを言及すまいとの立場に汲々しているのだろう。仄聞するところ、菅首相の采配で目立ったところは、東京電力を難詰し、現場死守による修復命令したぐらいのところである。代わって枝野官房長官が矢面に立ち記者会見に臨んでいるが、専門外なのに大丈夫発言を繰り返しているに過ぎない。これも限界とみるや自主避難を云い渡し始めたのが最新の流れである。
もう一つ、本来の被災担当と思われる総務相の動きがやけににぶい。片山総務相の無能ぶりが浮きだっている。この御仁の政治的背景も疑わねばならない。決して普通の対応ではない。自衛隊が鳴り物入りで10万人体制の功罪についても言及したいが、現場に精通している訳でもないので控えることにする。
以上から判断すると、菅派は、凡そ中央政府としての政治責任を放棄していると断じてよい。為すべきことに対してまともな指揮をしておらず、することと云えば臭いものに蓋する姿勢が目立つばかりである。この姿勢は今後とも改まりそうにない。こういう手合いは、情況がさらに悪化しても何らかの気休めを云い続け、最後には想定外の一言で口を拭うであろう。
御身は常に高みの見物を決め込み、いざの時には脱兎のごとく逃げ出す手合いだろう。今に至るも原発行政推進を問いなおす姿勢は見られない。こういう按配であるので、我々が見通しを立て生き延びる対策を講ぜねばならない。そこで発案したのが温泉郷疎開案であるが、この発案に思いを凝らすと良案であることをますます確信するようになった。
その一つに、山間部の温泉郷が立地する森林が放射能汚染対策として効果があるのではなかろうかと思うからである。当然、温泉浴自体の効果もあろう。この両面に於いて、温泉郷疎開が講ぜられるべきだと確信する。これは今のところ科学的知見に基づいてはいないが、後から証明されることもある。今は立派なカンではなかろうかと思っている。
もう一つ、仮設住宅、医療チームや自治体職員の被災地派遣等を含め政府が今後支出する膨大な出費を考えると、日本全国の温泉郷避難の方が却って安上がりになるのではないかと算定する。にも拘わらず、なぜ疎開政策に向かわないのだろうか。れんだいこには解せない。仮設住宅の例と比較すると、これから用地確保、インフラを整備する必要もないし、既設の旅館を使えるのは思わぬ利点ではなかろうか。
医療チームや自治体職員も勝手を知ったところでの派遣の方が効果的なのではなかろうか。この際、仮設住宅、医療チームの被災地派遣等に費やす費用の一部で、温泉郷旅館の施設整備、廃業旅館の活用も行えば一石二鳥三鳥だろう。温泉郷の収容能力はほぼ500名単位で可能であろうから、被災地住民がある程度まとまって住むことが可能と云う利点もある。
いわゆる市街地の空室利用より勝るのではなかろうか。間接的な村興しにもなるのではなかろうか。そういう訳で、緊急予算の一部を温泉郷立て直しに注ぎ込んだ方が賢明と判断したい。もう一つ、顧慮せねばならないことは、菅派政治の救援対策が、被災地難民を救援するよりも、治安維持的な観点から閉じ込めようとしている気配が窺えることである。
救援物資の滞貨が云われているが、被災後1週間経っても被災地への補給線が確保できないなどということが有り得て良い訳がない。石油、灯油等の過少割当制限、医薬品の供給不足等も本来の救援ならば有り得ない事態である。被災地に入る為の交通制限、規制も道路陥没だけの理由によるとは思えない。
政府が被災地救援優先を打ち出せば、石油不足で往来できないなどという事態は起こらない筈である。こういうことが有り得ているのは、菅派政治の救援対策が逆指揮に向かっているとみなす必要があるのではなかろうか。れんだいこには、被災民が棄民化されようとしているとの疑念が消えない。
被災地難民は自らが置かれている状況を客観化させ、ここは冷静に判断すべきではなかろうか。菅派政治に運命を委ねる愚だけは避けるべきだろう。岩手、宮城の被災民の避難は或る程度の期間で済むかも知れない。但し、こたびの被災を奇禍として、いっそのこと思い切った都市計画に基づき土地区画整理事業で復興させた方が良いかもしれない。
他方、福島の原発汚染難民は相当長期間の離村が予想される。地下水汚染、作物汚染がより深刻化し、現地も立ち入り禁止区域にされる恐れが強い。これを思えば、江戸時代の大名再配置の転封的事態も考慮せねばならないと思われる。
そういう総合的な見通しの中で、被災地の自治体の長、住民は身の振りどころを判断せねばならないところに置かれているのではなかろうか。この際、残る者は残り、移住する者は移住し、行き来する者は行き来するという柔軟な対応策が望まれているように思われる。何も残るべきか残らざるべきかで深刻に悩むことはない。空家の管理は、それこそ警察、自衛隊、役人の仕事だろう。壮年自警団も組織すれば良い。
自治体は最低限直ちに被災住民証明書を交付し、被災住民の移動の自由を保障せねばならない。被災住民は移転先の自治体に被災住民証明書を提出すれば生活給付金が受けられる仕組みを確立せねばならない。この動きが全くないのは政治災害である。
政府は当然これを財政的援助する必要があろう。問題は、政府が被災地復興資金を創出するのなら、こういう必要なところに手を回し、利権の為の利権的事業に費やさないことである。そう云う意味でも有能な政府が今ほど望まれていることはない。膨大な補償が予想されるが、これも今後の電力事業の総体的な見直しと被災業者の再起に資するものでなければならない。経団連企業や外資系企業の餌食にされたら堪ったもんではない。
根本認識として、迫りくる危機が本当なのか謬言なのかの見極めにある。この点では東電、保安院、学者の弁に待たざるを得ない。その際は、危機でもないのに危機を煽るのは不謹慎であると同じように、危機なのに危機ではないと云うのも輪をかけた政治犯罪と心得ねばならない。全ては、この見立てにかかっている。誰か論ぜよ。常に肝腎なところから論ぜよ。
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