02. 2011年3月30日 19:54:21: X2Ur4tDwpY
政府高官も近隣住人も米国人は日本が心配国を挙げて東北の被災地に手を差し伸べる米国 2011.03.30(Wed) 古森 義久 深夜の午前3時だというのに、数百人もの家族が広大なホールをぎっしりと埋めつくしていた。ホールは熱気にあふれ、こんな時間なのに子供たちがにぎやかに声をあげ、駆け回っている。 ワシントン近郊のバージニア州フェアファックス郡の救急センターである。みんなが、日本の大船渡市での捜索活動を終えて戻ってくる捜索救助隊の帰りを待ち受けていた。3月20日の未明である。 全米でも有名な「フェアファックス郡捜索救助隊」74人は、東日本大震災に襲われて大被害を受けた岩手県大船渡市に送られていた。日本政府から米国政府への要請を受けて、地震と津波の発生から3日後の3月14日には、もう現地入りしていた。 フェアファックス郡捜索救助隊は、瓦礫や土砂の下に埋もれた被災者を探知するエキスパートたちである。瓦礫を除去する強力なクレーンから、特殊なハイテクの各種センサー、捜索犬までを装備し、救助の専門家に、医師や科学者までを含めた一隊だった。 ミッションは埋もれた被災者の捜索と救助 三沢米軍基地から特別軍用機で近くのダレス空港まで飛んできた救助隊の一行は、まもなくバス2台で救急センターに到着した。作業服にブーツのままの、たくましい男女たちだが、みなやはり疲れて見える。 待ち受けた家族からは、大きな歓迎の声が起きた。しかし、一行は家族との再会も後回しにして会議室に入り、総括の報告会に臨んだ。 ロバート・ゾルドス隊長が、「今回は行方不明の被災者を発見することはできなかったが、生存者の確認や被災者への物資供与で成果があった。みなよくやってくれた」と結んだ。 後で同隊長に個別に話を聞くと、もう少し詳しく説明してくれた。 「大船渡では津波で人間がみな流されてしまったため、市街地に埋もれた人間を見つけるという、本隊が最も得意とする作業は、残念ながら成功しなかった。 だが現地には4日間滞在し、被災地をいくつもの区画に分けて、各区画にもう人間が絶対にいないことを確認していく作業で貢献ができた。今回の津波の惨禍は、これまでの多くの任務と比べ、対処が最も難しかった」 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5754 同救助隊の本来の任務である、埋もれた被災者の捜索と救助という作業は、現地ではもう緊急必要度が低くなったため、帰ってきたのだという。
午前4時近くという時間にもかかわらず、この帰還式には藤崎一郎駐米日本大使が来ていて、救助隊員全員に「あなた方の尽力は、米国が日本の真の友人であることを証明した。日本国民はその貢献を決して忘れない」と挨拶した。 隊員たちは全員が起立して、大使への感謝と激励の拍手を送った。 被災地の支援のために大々的に米軍を動員 こうした支援は、米国の巨大規模の日本への緊急援助のほんの一端だった。米国での官民を挙げた日本支援の広がりは実に驚嘆させられるほどである。 ワシントンで次々と明らかにされる支援の拡大は、日本人として感激させられた。まず最大の物理的な援助は、米軍の陸海空での活動だった。合計二万数千人もの将兵が「トモダチ作戦」と呼ばれる日本救援活動に投入されたのだ。 米海軍では、原子力空母の「ロナルド・レーガン」と揚陸艦「エセックス」を主体に合計20隻以上が三陸沖などに出動し、ヘリコプターや水陸両用車両を動員して、日本側の避難所合計90カ所近くに人道支援物資300トン以上を送りこんだ。 海兵隊では、沖縄駐留の第31海兵隊機動展開部隊がヘリ約20機、水陸両用車両約150台を投入し、22日だけで医薬品約8000箱、毛布2300枚を送りこんだ。 空軍では輸送機を動員し、被災地に必要な発電機、ポンプなどの大型機材をピストン輸送した。22日だけで200トン以上の貨物を運んだ。 陸軍では約500人が支援活動に参加し、日本の被災者たちに毛布を数千枚単位で提供している。 米国は、最も懸念する福島原発の放射能漏れに対して、原子力専門家50人ほどを日本側に送りこんだ。オバマ政権の原子力規制委員会から10人ほど、エネルギー省からは40人ほどだという。 米国の軍や政府のこうした大規模で敏速な支援活動は、やはり日米同盟の堅固な機能を感じさせる。同盟相手だからこその軍隊を自由に動員しての支援活動だと言えよう。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5754?page=2 その上、米国側の要人による日本への弔意や激励の表明も、どっとあふれるようだった。ワシントンの日本大使館が開いた弔問所には、3月18日にオバマ大統領が訪れて弔問の記帳をした。
その他、バイデン副大統領のほか、クリントン国務長官、ガイトナー財務長官など現職の閣僚でも8人ほどが弔意の表明に日本大使館を訪れた。議会でも民主党のイノウエ上院議員など有力議員たちが相次いで日本大使館に来て、記帳をした。 こういう政治指導者たちの個人レベルでの慰問や激励は、日本人として見ていると、かなり胸を締めつけられる感じを受ける。日本の大惨禍を見て、なおさらこういう事態の際に支援し合うのが同盟パートナーの証左だと実感させられたのだった。 真剣に日本の震災を心配してくれる米国人 民間の反応も、ものすごい勢いである。まず米国赤十字が先頭に立って募金活動を始め、大震災から4日目の3月15日には、すでに全米から集まった1000万ドルの寄付を第1弾として日本赤十字社に送ることを発表した。 その他、「サマリタン・パース・インターナショナル」「ワールド・ビジョン」など全米規模の人道支援などの非政府機関(NGO)が40団体近くが、すでに日本支援の活動を開始している。 民間企業は義援金を一斉に提供し始めた。コカ・コーラ、ゴールドマン・サックス、プルデンシャルなどの計4社がそれぞれ600万ドル以上の寄付をした。合計41社が27日までに総額2億ドル(約160億円相当)近くの寄付を発表した。これまたすごい勢いである。 だが、米国在住の日本人である私が最も強く胸を打たれたのは、文字どおり数え切れないほどの米国人の友人、知人から、慰めや心配の言葉を直接伝えられたことだった。 もう何十年も前の米国留学時代の同級生やルームメートから電話がかかってきて、「家族や友人は無事か」と問われた。ワシントンでの取材で知り合った政府や議会の関係者が、私人としてねぎらいや悔やみの言葉を送ってきた。 その他、近所に住む人たちや、時々行くレストランや商店の人たちまでが、真剣な表情と語調で家族や親類の安否を尋ねてくるのだった。 アメリカ人の本来持つ人道主義的な傾向だとして済ませることもできよう。だが、その背景にはやはり日本だから、日本への日頃の善意や好感があってのことだと実感させられた。 米国の今回の日本支援は、素直に感謝を述べて、受け入れるべきだとも思うのだった。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5754?page=3 |