http://www.asyura2.com/09/jisin16/msg/755.html
Tweet |
「津波が来ます」アナウンス職員、震える声で最後まで避難誘導…
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110329/dms1103291637018-n1.htm
2011.03.29 :夕刊フジ
津波の来襲と高台への避難を最後まで呼び掛け続けた。津波に押しつぶされた宮城県南三陸町で防災放送の担当職員だった遠藤未希さん(24)。いまだ安否が分からない。「しっかり頑張ったね。でも、何も命を張ってまで」。いたわりと無念さに揺れる母親。秋に結婚式を控え、準備を進めていた。
「ないよね」。避難所に張り出された身元不明者、死亡者の特徴を書いた紙を指で追いながら、母親の美恵子さん(53)がつぶやいた。震災から2週間以上。更新される情報も日に日に少なくなっていく。
震災翌日から2日間、がれきの中を歩き続けた。「見つけられなかった。自分たちの手ではどうしようもなかった」。隣に寄り添う父親の清喜さん(56)はうなだれた。
3階建ての防災対策庁舎は津波にのまれ、赤い鉄筋だけが無残に立ち尽くす。3月11日、未希さんは2階で放送していた。「6メートルの津波が来ます。避難してください」。冷静で聞き取りやすい呼び掛けが何度も繰り返された。海岸にいた両親にもその声は届いた。
庁舎に残った職員約30人のうち助かったのは10人。高台の高校に避難した人からも、波にさらわれる職員の姿が見えた。
未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属された。昨年7月には婚姻届を提出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していた。景勝地・松島のホテルを予約。「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。そう約束していた。
美恵子さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされた。最後のほうは声が震えていたという。「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。怖かったと思う」
約1万7000人の町民のうち、約8000人の所在が不明で被害の全容は把握できていない。それでも避難所へ逃げた女性(64)は「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれた」と話す。「『ご苦労さま。ありがとう』と言葉をかけたい」と清喜さんは涙ぐんだ。
「未来の未に、希望の希」。美恵子さんは娘の名前をそう説明した。壊滅した町には新しい電柱が立ち、がれきの間に道が通るようになった。少しずつだが、未来に向けて動き始めている。(角本信介)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。