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東日本大震災と福島原発事故は、文字どおり国難と言える危機だ。被災地の救援や復旧へ国を挙げての取り組みは、東日本と西日本が、禍を転じて福にする再生の契機、閉塞した日本が元気になる第一歩としたい。
テレビで地震防災の研究者の一人は、大津波に10メーターの堤防が無力だったことから、従来のような災害復旧では対応できないと語った。そこから、コンクリートと鉄による災害復旧ではなく、災害に順応し得る国土と生態系の保全が課題となる。
この復旧計画で大津波の被災地は、流域圏を範囲とし、堤防やダムから、信玄や清正の霞堤みのように、自然に逆らわない低水方式の水利技術が軸となる。多くが田畑や森林などの農林地に、遊水池・沼沢地が組み込まれ、自然生態系が形成される。その基軸は、灌漑・輪作・放牧などの高度化、自然更新・択伐・林牧複合、魚釣り林など、農林漁法の変革だ。
また住民の居住地は、扇状地の山麓や山間の高所に設けられる。それは、自然と人間が共生する、地域循環型の地域再生計画だ。被災者が求めているのは、これからの展望だ。この地域再生計画は、その設計図であり、住民の仕事と暮らしの羅針盤となる。
さらに全国には、荒れた山野と不耕作地、居住者の無い住居を抱える限界集落が、広範に存在している。こうした地域の人々が、伊達直人になって、ネットで被災者の受け入れを呼びかけ、これを自治体や政府が支える仕組みが必要
だ。
加えて地震列島の原発は、エネルギー政策を見直し、長期的には原子力発電を廃止し、小水力・バイオなど自然力利用、国内炭火力発電の優先に転換が必要である。それは、地域資源や住民の仕事や暮らしを、活かし・つなぐ地域循環を構築し、地域経済・社会の再生を土台に、日本全体を再生させるだろう。
だが大地震・大津波と重なった、福島原発事故と計画停電、放射能汚染は人災と政治の貧困だ。政府・東電・与野党・マスコミの災害対応は、原発事故の連鎖・深刻化と不安の抑制が表裏で、客観的な情報の公開、最悪の状況が明示されず、後手後手に回って迷走した。
中でも政府・東電は、先の見えない緊急対応に終始してきた。原発の電源は確保したが、注水による冷却機能の回復は、綱渡りの試行錯誤が続いている。一方で、福島原発の廃炉も予測されているが、廃炉や閉鎖の技術、使用済み核燃料の最終処理など、不明確で未解決な課題が多い。
この事故で、政府の待避地域は、その場凌ぎの朝令暮改が続き、外国人の国外退去もあった。被災地域の住民は、自発的な待避を始め、自治体の首長は、政府と住民の狭間で立ち往生している。
政府・東電の原発事故対応に欠けていたのは、冷却機能回復という緊急対策の一方で、最悪事態を含め地域別に被害を予測し、それに備えた避難計画を検討・提示することではないだろうか。併せて、放射物質汚染データの公開も必要だ。「直ちに、人体に影響はない」と言うのは、逆効果で気休めにもならない。
飯田哲也は、福島原発事故について、次の三つを指摘した。一つは、電源や冷却装置の復旧は、「カーターマジック」(幸運)を祈るだけである。二つは、圧力容器・格納施設の破損による、最悪懸念の水蒸気爆発、再臨界のシュミレーションを行い、避難計画を明示することだ。三つは、災害対応の経済財政政策であると。
広瀬隆も、一縷の望みは電源の回復とし、4基が一度に被害を受けた衝撃を挙げている。加えて、今回の事故原発が太平洋に隣接し、人間の仕事や暮らしの営みが、水・風・土という自然循環の中にあることも見落としてはならない。
この事故で、原発の安全神話は、大きく信頼を失った。放射能の不安に、エネルギー政策の見直しは必至だ。その根底には、技術文明に疑いを持たない利便と効率の追求がある。加えて、政財界主導の集権体制が生み出した一極集中の首都圏と、地方の過疎という表裏の歪みがある。
東日本大震災・福島原発事故の影響で、産業界の生産規模の縮小、西日本への生産拠点の移動、自動車・鉄鋼の海外移転加速、電機の脱原発事業改革、エネルギー政策の見直しも予想されている。
これまでTPPで第三の開国が言われ、政府・多国籍企業は新成長戦略で、原子力発電を含むインフラ輸出を推進してきた。また社会保障と税の一体改革も、震災・原発事故の影響が産業・社会全体に及び、共に新たな視点への転換が必要となる。
即ち、今度の大震災と原発事故は、従来の外需依存・海外生産指向経済と、内需再構築・国内産業の立地と技術・市場構造変革という、政策路線の選択を必要とし、日本の命運を決めるのである。それ故、迷走する政治の貧困打開には、この道筋の選択に、国民が広く参加する論議の場が不可欠である。
政府・東電主導のトップダウンではなく、国民・住民・地域の智恵と力を結集するボトムアップへの転換だ。被災地への支援と、避難の受け入れが両立する住民・地域間の連携も、その一つである。
放射能汚染列島ニッポン、本当の恐怖はこれから(広瀬隆)(一部抜粋)
【一縷の望みは電源の回復】
原子炉や原子炉格納容器が破壊されて最悪の事態を迎える危険性は、十分に残っています。そういう最悪の事態を想定しながら、今できることを着実にやっていく。そして唯一の望みはやはり電源です。1号機から4号機まで外部電源がつながったという報道がありました。
電源をつなげて恒常的に原子炉と原子炉格納容器、そして使用済み核燃料のプールを冷却できるようにする。ただし、電源が来たからと言って、大量の塩分が残っている中で、精密機械が果たしてきちんと機能するのか。
また、現場には相当な放射能が降り注いでいます。その中での作業は大変だと思います。時間との戦い、放射能との戦いなんです。
【4基が一度に被害を受けた衝撃】
そして、今回の事故で特徴的なのが、福島第一原発の1号機から4号機まですべて大被害を受けたということです。スリーマイル島やチェルノブイリと大きく違う点がここにあります。4つある原子炉のうち、どれ1つとっても失敗できないということを意味しています。万が一、どれか1つの原子炉でメルトダウンや再臨界が起きてしまったら、福島第一原発に誰も近づけなくなってしまいます。
そうなれば、残りの3つの原子炉の冷却作業を行えなくなる。つまり、残り3つの原子炉もメルトダウンが避けられなくなるということです。そうなれば、人類史上空前の原子力事故が発生する危険があります。電源が回復して恒常的に原子炉全体を冷却できるようになる確率はどれほどでしょうか。
簡単に成功する確率を1基当たり50%としましょう。1つの原子炉で50%だったら、4つ全部成功させるには、2分の1の4乗ですから、6.25%の確率ということになります。
【600度でメルトダウンを起こす危険性も】
1基80%の確率としても、4基全部成功するには41%の確率しかありません。
ついでに厳しい見方を言えば、日本の原子力の専門家たちは炉心溶融、メルトダウンは摂氏2000度を超えないと発生しないと言っていますが、フランスの原子力学者は600度を超えるとその可能性があると発言しています。そのことはかつてNHKの番組でも放送していました。
いま福島第一原発で本当に何が起きているのかは、外からは分かりません。とにかく、現場での冷却が成功することを祈るのみです。
ところで、この福島第一原発は、1971年の3月26日に運転を開始しています。そうです。運転開始から40年が経つわけです。米国では法律で、40年経った原子炉は廃炉にすると決めている。
【設計者が退社したら廃炉にするのは世界の常識】
ところが、日本は昨年、この原子炉を60年運転すると決めています。実際に原子炉が建設を始めたのは1960年代末でしょう。その頃の技術者は誰一人残っていません。とりわけ、1号機は米GE製です。そんな設計者もいない、そして図面も残っていないと聞いています。
そんな細かい技術が分からなくなった原発を20年も延命させて運転させるというのは、狂気の沙汰ですよ。設計した技術陣がいなくなったら廃炉にするのが常識です。原子炉というのは非常に複雑であり、当初の設計から変えている部分もある。設計者にしか分からないことも多いのです。
さて、私がもう1つ言いたいのは、福島第一原発のことではありません。日本にはこれと同じように怖い原発が存在しているということを、日本の国民は知るべきです。
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