01. 2011年3月23日 21:36:10: SjZ0aKrkzo
津波に襲われた町−日常と惨状を結ぶトンネル 2011年 3月 23日 19:09 JST 【石巻】山を抜ける全長1.6キロのトンネルが、壊滅状態の漁村とその他の日本、そして世界を隔てている。 Eric Bellman/The Wall Street Journal 牧山トンネル エンドウ・マサノブさん(47)は、17万5000人の人口を抱える宮城県石巻市の中心付近にあるそのトンネルの入口に立っていた。ここから牧山トンネルは山を通って、沿岸部に繋がっている。以前エンドウさんが妻と子供と暮らしていた、活気あふれる漁村があった場所だ。 日本が今世紀最大級の地震に揺れ、沿岸部が津波に打ちのめされた3月11日、製鋼所に勤めるエンドウさんは家から約160キロ離れた場所で働いていた。エンドウさん宅周辺の海に面した工場で働いていた人たちは、逃げるために何百台もの車でこのトンネルに押し寄せ、そのまま津波に飲み込まれたと目撃者は言う。 自衛隊がそのトンネルを片付けるのには数日かかった。今では徒歩でそこを通り抜けるのが、工場、魚市場、倉庫などが立ち並んでいた魚町など石巻の港湾地域へ行く限られた道の1つとなった。最初は数人だけが歩いたトンネルを、今では多くの人が絶え間なく行き来している。 家族を探しに行くためにトンネルの前に立つエンドウさんは17日、そろそろ状況も落ち着いた頃ではないか、と話した。その先の惨状はまだあまり知らない。 停電の影響で牧山トンネル内の一部は暗い。歩行者の通行は想定されていなかったため、歩道もない。そして、その中を冷たい風が吹き抜ける。津波で多くの車が流され、ヒッチハイクも一般的ではない日本では、大勢の人が長い距離を歩いてそのトンネルまで辿り着く。 愛する者と再会できる人もいれば、愛する者を失った事実を知る人もいる。反対方向に歩きながら、壊滅した町から出て行くのだと言う人もいる。 トンネルを抜けたある人は、先に見える光に辿り着くまでは驚くほど長かったと話す。 ゴトウ・エイコさん(51)は、6時間掛けて歩いた先で唯一の姉と再会し、喜びに溢れていた。泳げない姉は、たまたまセブン・イレブンの店舗の上に流れ着いたと言う。 ゴトウさんの少し後ろには、前後に大きなダンボールを括り付けた自転車を押すストウ・コウスケさん(26)がいた。漁師のストウさんは、唯一残ったという仕事着のゴム製胴付長靴と手袋を身に着けていた。漁に出ていたときに津波に襲われ、ボートに乗っていて助かったが、帰宅して両親の亡骸を見つけた。 両親も住む家も失ったストウさんは、倒壊した町から離れながら行く当ては特にないと話す。東京にいる妹が少しばかりお金を貸してくれるかもしれないと期待を口にした。 石巻は昔から牡蠣と捕鯨銛と17世紀のガレオン船の巨大復元船が有名な街だった。「漫画の帝王」と呼ばれた地元出身の漫画家の記念館があり、商店街沿いにその漫画家のキャラクターが並ぶなど、町おこしが進められていた。石巻市中心部のトンネルを抜けるとブルーカラー労働者が集まる地域が広がる。 製鋼所で働くエンドウさんは、トンネルを抜けて目を見張った。育った町は、泥と材木と家具で埋め尽くされていた。 高校時代の友人と遭遇し、友人の妻に、まだ家に帰ってないのか、家はどこかと険しい表情で聞かれた。 家は海沿いの栄田にあると答えると、友人の妻は息を呑んだ。そこが最も被害が大きかった地域の1つだったからだ。 自宅に向かう途中、エンドウさんは近所のコインランドリーの窓から突き出た小型車を目の当たりにした。通る予定だった道は家屋の屋根に塞がれ、近くのガソリンスタンドの給油ポンプは海と反対方向に向かってドミノのように倒れていた。 その惨状の中を進みながら、毛布を被った人の体を踏みそうになった。毛布から見えていたのは、数珠を掴んだ老人の手だった。エンドウさんは歩みを速めながら、タバコを1本取り出した。 ぬかるんだ場所を横切りながら、エンドウさんは自宅を指差した。 どこからか流れてきた大きな青い屋根が家に倒れ掛かり、玄関を塞いでいた。その屋根の上には、銀色のミニバンが横倒しになっていた。 エンドウさんは滑って2回転びながら屋根を駆け上がり、ガラスがなくなった横の窓から2階建ての家に入り、家族を探した。 ゴミと泥がリビングを埋め尽くし、壁に残った跡から津波が4メートル以上の高さまであったことが分かった。よろめきながら窓から出て来るときに、また転んだ。 ここには誰もいない、と言い、次に息子と娘が通っていた小学校に向かった。家族はそこにいるかもしれない。 その場所、鹿妻小学校の体育館で、毛布の上に座りながらカードゲームをしている家族を見つけた。 地震が発生したとき子供たちは学校におり、残りの家族−妻、義母、弟とその妻−は車で学校へ急いだ。学校の下に停めた車は流されたが、家族は無事だった。 エンドウさんは18日夕方、新しい家にいた。子供たちがバスケットボールを練習した体育館の片隅だ。 今回の震災による死亡・行方不明者が18日時点で17,503人に上り、まだ不明者として届けられていない人も大勢いるこの国で、エンドウさんは、家族を失うという最悪の事態を逃れることができた。しかし、家も車も食べ物もきれいな服も、育った町が復活するという自信もない。それが直面した現実だった。 未来は暗いな、とエンドウさんは言った。 記者: Eric Bellman http://jp.wsj.com/Japan/node_207838 |