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記者の目:東日本大震災 故郷・釜石から=萩尾信也(東京社会部)
◇がれき乗り越え「前さ行くべ」
故郷の街は、がれきの海に沈んでいた。岩手県釜石市。大津波に襲われてから6日後の17日。ようやくたどり着いた現場だった。
内陸の花巻市から車で1時間。釜石市中心街に近づくと様相が一変した。道端に家や車の残骸が折り重なり、汚泥の臭いが鼻を突く。自衛隊のトラックや消防車が走り、被災民が買い出しのためにリュックを背に歩いている。
9歳の春、父親の転勤で長崎から釜石に越し、17歳の夏まで暮らした。今でも毎年のように訪れ、定年後は家でも借りて暮らすつもりだった。
◇「生きてら」
車を降り、歩き始めて、破壊力に息をのんだ。東西2キロの商店街は全滅。崩壊を免れた店も泥で埋まっている。
がれきで埋まった路地を縫って、級友の消息を追う。寝たきりの父親の介護で、帰省中の高野洋子さん。津波は高台にある家の手前で止まっていたが、留守だった。思案していると、近所の人が「迎えにきた人と一緒に盛岡に避難した」と教えてくれた。ろうそくの下で、懸命に介護を続けていたらしい。
親友の草山雅之さんのカヌーショップは、海岸べりにあった。毎年夏には、店の2階に泊めてもらい、シーカヤックに興じてきた。
20分ほど歩くと、倒壊寸前の店が見えた。前で人影が動いている。「草山」。声を飛ばすと、彼が振り向いた。がれきを越えて、再会の握手。「生きてら」。他に言葉はいらなかった。
壁に残った「MESA」の看板。釜石弁で「いつでも前(め)さ進むべ」という思いを込めた店名だ。「なくしたものを悔やんでもしょうがないべ。前(め)さ行くしかねえべよ」。そう言って、片付けを続けた。
小雪が舞う道で、しょうゆのボトルを詰めた袋を両手に歩く男性に出会った。「泥かぶった商品だが持ってけ」と譲ってもらったという。
津波は、海から離れた場所にいて免れた。海沿いの家にいる両親の元へ必死に戻ったが、家は跡形もなかった。「避難所で炊き出しを手伝いながら、遺体確認に通っています。せめて荼毘(だび)に付してやりたい」と声を詰まらせた。
魚河岸周辺では自衛隊や機動隊が捜索を続け、この日も数体が収容された。
◇「津波に追われ」
津波が一帯をのみ込むテレビ映像を見た時に、同級生の赤崎光男さんと家族を案じた。「赤崎商店」は河岸の裏手にあった。
店は1896年の大津波以来、幾度も津波にのみ込まれた。終戦前の艦砲射撃の焼失を加え、建て直すこと4度。釜石の歴史が刻まれていた。
津波は地図も変えた。記憶を頼りに捜し歩くと、倒壊寸前の店が見つかり、がれきの間に消防団の法被を着た赤崎さんが立っていた。
「死んだと思ったべ」。元早稲田ラグビー部員で市会議員で消防団員。疲れ知らずのタフガイは生きていた。地震とともに開会中の議会を飛び出し、広報車で避難を呼びかけながら、堤防の門扉を閉めて回った。「門扉の間から津波が噴出して、追いかけられるようにして逃げたのさ」。いかつい体でそう言った。
夕刻迫る被災地で出会った母と娘。「食べる物ないかと思って」。手にしたポリ袋に、汚れたキャンディーとつぶれた缶詰が入っていた。
少し離れた場所では、女性が市役所の職員に詰め寄っている。「配給物資が奥の集落には届いていないのよ!」
漁師町の公園では、避難した地域の住民がたき火で干物を焼いていた。「困った時に頼りになんのはやっぱ仲間だべ」。それぞれが食材を持ち寄り、分かち合っている。
午後7時過ぎ、元釜石一中の体育館の避難所で食事の配給が始まる。1人2個の冷えたおにぎり。300人の避難民が薄暗い体育館で肩を寄せ合っていた。
日が落ちると、被災地から人影が消え、雪は次第に激しさを増していった。
◇「何が天罰だ」
浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。
「石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)」。傍らから声が続く。「こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ」
18日午前0時。寝静まった小屋を抜け出し、がれきの町を一人で歩く。リュックにぶら下げた温度計は0度。人類が去った後の、廃虚のようだ。
午前5時。曙光(しょこう)の中に白銀に染まった故郷が浮かび、被災地のあちこちで人々の新たな営みが始まる。
空は快晴。日差しが注ぎ、ぬくもりが戻ったその日、「海岸近くでふきのとうが芽吹いた」と聞いた。
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毎日新聞 2011年3月22日 東京朝刊
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